「地中海世界」(フェルナン・ブローデル編)−ローマ−
今回で3回目の「文化の読書会」。引き続きこちらの本を読み進めています。今回はいよいよ(国としての)ローマについて。
【−ローマ−の要約】
ローマの立地条件は稀なものであり、特に南イタリアのギリシャ人入植地やエトルリア文明の開花によってラティウム、そしてローマが次第に中心的な立場になっていった。
青銅器時代からラティウムの鉄器時代(BC1000年-BC580年)への移行期には道具の改良による農産物の増産そして人口の増加と集中・定住化が増加していった。特にBC9世紀初頭のエトルリアで著しく、次第にその中心地も移行していった。
これらの現象は互いに密接に関連しあっており、古い単系親族集団(クラン)をより大きな組織の中に組み込んでいくとき、さらに大きな変化が惹き起された。例えば新しい道具が生まれたことで分業が促進され、大量生産によって市場形成に至った。要因は新しい道具を持つギリシャ人の入植だった。
そして鉄器や生産道具の進化により生産量・人口の増加、そして経済社会が形成され、さらに土地が共有から私有に変わったことで富の集中・貴族階級が出現し、ラティウム文化の東方様式(オリエンタリザン)段階(BC700−BC580年)には墳墓の豪華さなど、はっきりとしてくる。そしてローマはエトルリアとマグナ=グラエキア間の交通の要衝という立地で都市国家となっていった。
また、同時期の文字の導入により文化的躍進も進む。村落の間に存在した「無人の中間地帯」(戦争の場)の一部を取り込み、構造化し、出会いの場や競技の場といった「言葉の戦争」つまり政治が生まれ、神話的擬制歴史を背景に都市が構築されていった。その中心は「共に歩む(クム・イーレ)」に由来するコミュティウムだった。
ローマは内部に向かって地区の境界が定められていき、周縁化によって貴族と平民、市民と非市民といった社会的分極化も助長された。こういった空間の線引と合わせて時間の区分つまり暦表も市の創設と同時期にできていった。ローマはこの後、周辺都市との戦いや階級間の争いなどを経て市民集団が拡大・経済的自立を果たす中で各地に多種多様な集団ができ、新しい政治形態つまり共和制が創設された。
人口増加に伴い周辺勢力と衝突しながら領土を拡大した。しかしBC3世紀にはその社会モデルも限界に達し、戦争で痛手も被る中、都市国家群は崩壊し市民は都市に流入した。土地所有は少数に集中し、労働は奴隷が行い、生産は販売目的になった。寡頭制は進み、ごく少数の元老院に権力と富が集中し、支配層と隷属層が分裂した。領土拡大が前提の中でモデルは限界に達し、救済的な面も含めて職業的軍隊の創設やローマ市民権の大幅な拡大といった「ローマ革命」を経て、BC1世紀には元首政に移行していった。
【分かったこと】
前の章までは自然条件などが人間の社会をどう左右してきたかが中心だったが、この章からは地中海世界の覇者となるローマがどのように成立したかという背景として、経済上の立地としての自然条件、そして人や社会同士の関わり(異文化間だけでなく階層間など)が政治を生み、統治機構を生み、その変遷をもたらしてきたかに焦点が当てられた。生存のための衝突が領土拡大になり、領土の変化が統治機構や社会の変化をもたらし、そしてまたその変化が次の変化を生んでいくという、これまでの緩やかな変化から人間同士の関わりの増加とともに急速に社会が成立し、変化も加速していくということを感じた。