ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』第1巻−2まとめ−360度から眺めて人間の歴史という山の景色がぼんやりと見えてくる
ブローデル『物質文明・経済・資本主義』の読書会メモ。今回は、第1巻の後半2分冊目のまとめ。
人類が営々と積み重ねてきた日々の暮らし、タイトルの通り人間の日常性を構造的に可能な限り読み解くことにアプローチした歴史の巨人・ブローデルの思考に2冊に渡って触れてきた。この本を読むまで、歴史はなんらか文献が残っていて、そういった文献などから推察していくと勝手ながら思っていた。しかし、実際にはそういった文献は権力者などが文字も知識も独占していたり、内容にも影響を及ぼしていることが多い。(それでも残っているのは貴重だろうが)
しかし歴史は権力者だけで紡がれていくのではなく、人々の日々の暮らしの蓄積であり、その中から文化や技術も生み出されていく。そのため、そういった日常や社会の様子については絵画、経済活動の情報、食料品や物品などの動き、技術の発展、民族の移動・居住の変化、都市の構造の変遷、文化といった様々な事実を360度的に収集し、その変化や進展、さらには相互の影響などをつぶさに観察して推察していくことになる。
実際、これは僕の今居住している西陣地域の話になるが、西暦1000年創業のあぶり餅店「一文字屋和輔」さんは、「血續廿五代」と暖簾に染め抜かれている。普通に計算すると1000年にならないが、女将さんはこう話す。
「お寺の過去帖に残っていて分かるのがそこまで。それより前のは燃えてなくなっている。口伝と昔の絵から分かる。一般の人々の暮らしは文献とかには載りません」
まさにブローデルの話を地で行くような話をおっしゃっていた。
僕は、ブローデルのこの全方位にわたる情報収集の凄まじさに脱帽しながら読み進めていた。その背景にとてつもなく一人ひとりの人間が日々一生懸命暮らしていることに対する人間讃歌的な気配を感じる。ここでこの例を持ってくるのが適切かはわからないが、まるでジョジョのようだ。一人ひとりの人間がその時代時代の社会の中で懸命に生きている様子をつぶさに、なおかつ多面的に観察して描写する様子は、通底するものを感じた。
さらにブローデルの凄まじいところは、これらの集めた膨大な情報を鳥瞰しながら、全体の構造を読み解いていく洞察にあると思う。人類全体の歴史に通底している普遍的な人の営みや性質を見せてくれた。まるで読み進める中で、巨大で全景がぼやけて全く見えない人類の歴史という山に、いろんなアプローチから登っていって、少しずつ視界が晴れてくるという感覚だった
もちろんフランス人というブローデルの「視座」から見た見方であり、日本の社会に対する部分は「?」と思うところも少しあったが、その普遍性は揺るがないものを感じる。
本書は18世紀までがメインである。それはつまり本書の中でもしばしば触れられているが、19世紀以降の社会が大きく変化した部分があるからだ。とはいえ、ここまでブローデルが見せてくれた人類の歴史に通底する本質は19世紀以降も現在も変わらないものが多々あるはずだ。そのあたりを踏まえて、現代も読み解いていってみたい。