見出し画像

『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』(フェルナン・ブローデル) ‐人々を土地に縛り付ける「米」-

フランスの歴史学者、ブローデルの「日常性の構造」を読んでいくオンライン読書会の第6回目。穀物シリーズの今回は「米」。

【概論】
前回の小麦も人の社会を支配していたが、米はさらに収穫率も高く、籾のままだと保存も利く。ただ、とてつもなく育てるのに人手を要する。栽培エリアは極東に今も限られている。
陸稲はスマトラ島、セイロン島、安南山岳地帯等の森林を焼畑にしたところに稲を蒔き、収穫後はまた地力が回復するまで25年待つといったことを繰り返した。この栽培方式は楽だったが収穫量が限られるため1平方キロあたり10人分と限られた。

一方、水稲はインドでまずは定着し、紀元前2000年または2150年頃に華南地域に伝わってから同地域は大きく発展した。稲は文明の証明でもあった。日本には1世紀ごろ伝わったが浸透するまで時間がかかり、17世紀になるまで食生活のメインになっていなかった。
水田は泥水によって土壌の肥沃さを更新し、マラリアを媒介する蚊も寄せ付けなかった。戦争で農業が混乱すると水が澄み、蚊が増加しマラリアが広がり、アンコールワットは滅んだ。
この水を引くために、水路や水車、足踏みポンプ、灌漑などが必要となり、その動力としての労働・人的資本の厖大な集中と管理応用が必要となったため、堅固な社会と国家が成立した。同じ土地で毎年二期作・三期作、二毛作、三毛作なども実現し、効率的な生産ができることで人口も増加した。中国や東南アジアでも暦ごとにやるべき作業が定められた。これらの結果、フランスのラヴォアジエ時代に1ヘクタールあたり小麦が5キンタルのときに水田は籾で30キンタル、食用で21キンタルだった。

これらアジア・モンスーン地域の食生活では米を水で炊いたものが主で肉や魚やわずかであり、西洋人のパンのように毎日食べても飽きないものだった。塊茎や他の穀物、パンよりも米を好み、その他のものは「ひもじい」思いのものとなる。食べ物の好みはこういった優越感にも似た自覚的選り好みの結果として出ているのかもしれない。米以外の穀物の方に適している地域でも米を栽培しようとするのも、それで説明できる。

ただし、水田で効率的に生産できる土地は限られるので低地に集中し、ヨーロッパが山岳を森林や牧畜で活用したのに比べて中国では活用が進まなかった。そのため繁栄はしたもののあらゆる仕事を自分でやらねばならなかった。華北地域では、都市に農民が汚物や排泄物を集めに来て野菜や酢、金銭と交換して肥料とした。都市と農村が共生関係が強く出来上がった。日本でも同様で、さらに肥料として菜種や大豆、なども活用され、そして稲に加えて様々な農産物を栽培しては都市に販売するといったことで農村と近代経済は結ばれたが、ますます労働が必要となった。

【わかったこと】
小麦よりも稲作、特に水稲が収穫量が多い一方、手間がさらにかかるということで同じ土地に労働力を縛り付けることが求められ、その結果、人口の増加と管理社会、強い国家が生まれるという背景が見えた。
さらには都市と農村の肥料供給と食料供給という近接した共生関係も生まれていった。
小麦と米との栽培方法の違い、そして欧州の平地での小麦+山岳地帯での牧畜活用との比較の中では、土地の活用範囲が限られるという結果になったというのは理解できる。しかし、それは小麦と米という穀物の比較で言えることなのだろうか?
欧州では人々が肉を食べたいから牧畜をするようになり、結果として土地の活用範囲が広がったということも言えるのではないだろうか?そういう意味では人々が肉や牛乳を好むのか、穀物を好むのかという違いも大きい。ブローデルの本書の中では明確にアジアの人々は食品支出の80%が穀物とあるが、その理由は何だろうか。栄養学的に見れば、小麦と米とで違いがあるから、といったこともあるかもしれないが。

いいなと思ったら応援しよう!

北林 功(Isao Kitabayashi)
よろしければサポートお願いします。日本各地のリサーチ、世界への発信活動に活用して参ります。