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『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』(フェルナン・ブローデル) ‐生物学的旧制度は十八世紀とともに完了する

フランスの歴史学者、ブローデルの「日常性の構造」を読んでいくオンライン読書会の第3回目。

【概論】
「生物学的旧制度」すなわち「拘束・障害物・構造・比率・数のはたらきをひっくるめた全体」「生と死との対等・非常に高い幼児死亡率・飢饉・慢性栄養不良・強烈な流行病」が17世紀までの世界だった。強烈さによって失われる命が多く寿命も短い一方で、短期的回復能力も同じくらい逞しかったため、長期的には埋め合わされて上昇していった。18世紀にはそれをベースとして西ヨーロッパの一部がこの世界の状況から緩慢であれど脱却し、飛躍の時期を迎えていく。

この章では、この17世紀までの「旧制度」の世界各地の状況がブローデルらしく数値の根拠に基づいて詳細に描かれている。その中での事例を見ていくに陰惨である。ペスト、天然痘、梅毒などの病気が人類を襲い続けた。気候変動要因も含めて飢饉が起きると餓死者は増加し、都市に貧しい人々が流入し、衛生環境は悪化した。場合によっては人肉を喰らうといったことも起こっていた。そして疫病が蔓延するというのが世界各地で典型的な流れだった。そしてこの様々な病気の「大軍の攻撃」の最も被害を受けていたのが「栄養不良で、無防備で、無抵抗な住民」だった。

「百姓はふつうかなり愚鈍である。なぜかというと、粗悪な食品しか食べていないからである。」

という『トレブー事典』(1771年)の無遠慮な断言や、
トゥールーズの有産市民の

「伝染病はまったく貧民しか襲わなかった。恩寵ふかき神は、そのことを満足に思ってくださいますよう。金持ちは身を守るのである」

という言葉(1561年)にも現れているように「金持ちは疫病の兆しが見えるとすぐ、別荘目指して逃げ延びた」のである。さらにはサヴォワ地方での事例として、伝染病が去ったあとは、街や家屋を消毒してから数週間貧民を住まわせてみて安全を確認してから住むといったことが行われていた。

医療環境や技術が十分でなかった当時では、栄養を十分に摂取できているかが病気への耐性につながっていたとも言える。そのため、貧しくて食料が十分に手に入らない人々は、伝染病の被害者になった。

病気も人間の交流に伴って全世界に素早く広がり、このような惨憺たる状況は中国でもインドでもロシアでも発生した。

【わかったこと】
2017年時点で幼児の死亡者は630万人(5秒に1人)、飢餓は8億人いると言われており、貧しい人が疫病に襲われていて十分な医療が受けられず、富裕層への食料・資源・富の偏向状況はさらに進んでいる。また、これらの流れからは、今現在も同じ疫病の環境下に置かれているからこそ、これらのことはある意味「人類病」とでも言えるのかもしれないと思う。人が定住し、食料を備蓄し始めたことからネズミ等が人間の生活空間で存在ようになり、また家畜も身近にいるようになったことから病気が人間に感染するようになった。そして人が定住・集住するようになったことから、その病気は人から人へ感染するようになった。そしてこれらの生活から社会が構成され経済的な格差も生じるようになった。
一方で、人が集まり、人が交流することが人間の社会、そして心の活力の源泉でもあり、滋味のある美味しいものを食べて運動することが体の活力の源泉でもある。
何が言いたいかと言うと、結局の所、人の密集度合いも、富の偏りも、脂肪の偏りも、何事も過ぎたるが及ばざるが如し、で適度なバランスの範囲内に保っておくことが色んな意味でオーバーシュートしないために大事なのだなと思った次第。食べすぎ、飲みすぎ、禁物。

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北林 功(Isao Kitabayashi)
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