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『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』(フェルナン・ブローデル) ‐飲み物と〈興奮剤〉…かくも人は「嗜好性」に溺れる-

フランスの歴史学者、ブローデルの「日常性の構造」を読んでいくオンライン読書会の第8回目。今回は「嗜好性」の飲料品等。

【概要】
飲み物の歴史も単なる栄養物だけでなく興奮剤や憂さ晴らしの役割もあった。

雨、川、泉、貯水槽、井戸から人は水を入手し樽や銅器などに保管していた。ヴェネツィアでは貯水槽を用いていたが不足したので、真水を運河で運搬してきた。ヨーロッパ全体でも水道はあまりなく、古代ローマの水道橋を16世紀になってから修復したり、建造していった。パリもロンドンも川や井戸水は臭いがしていたため、酢を入れたり濾過して飲んでいた。真水は基本的には水運びが運んできていた。中国では水を様々な種類に分け、さらに沸騰させて飲んでいたので健康に寄与した。

ぶどう酒
ぶどうが栽培できる北緯49度以南の地中海諸国を中心に、古くからぶどう酒は作られてきた。ヨーロッパ人の活動地域の拡大と共に中南米遅れて北米にも栽培地域が広がっていった。
イスラム地域でもぶどう酒は隠密理に作られていて船乗りや貴族に売られていたし、修道士も作って「用いていた」。インドではぶどう酒に満足せず蒸留酒アラキを好んだ。
ドイツなど北方で大量消費されるため、南北での大規模通商が成立した。保存が利かないため、コルク栓などを用いる方法ができる17世紀までは新酒が各地で歓迎された。そして18世紀前半にスパークリング白ぶどう酒が作られ、18世紀中葉には今日に繋がる銘柄ができた。そしてパリ等では囲壁外では税金がかからないためそういった地域の酒場が繁盛した。
貧しい人は憂さ晴らしのためにも、あるいは小麦に代わるカロリー源としても安いぶどう酒を飲んでいた。

ビール
古代バビロニアやエジプトで知られていた。シャルルマーニュの時代にはビールは広がり宮殿でも飲まれていた。製法は多種多様で芳香性のものを入れて風味を入れたりしていた。ホップを入れることで苦味と保存ができるようにしたのは8-9世紀の修道院で、ドイツでは12世紀、オランダは14世紀、イギリスは15世紀に使われ始めた。ビール製造はフランスにも広がったが、ぶどう酒が優勢だった。
17世紀末期にはドイツおよび近郊の国でビール産業が発展し各国に輸出されて広がっていった。

りんご酒
原産地はビスケー湾で、11-12世紀ごろにノルマンディー地方にりんごの木が伝来し、13世紀にはりんご酒ができた。ぶどう酒エリアの北側だったのでビールと競争した。ビールは穀物由来なのでビールを飲むとパンがなくなったためりんご酒が買った。ただしパリではあまり増えなかった。

蒸留酒
蒸留酒がヨーロッパで作られ始めたのは16世紀で17世紀に前進し18世紀に世界的に普及した。蒸留器を用いたブランデーはイタリア南部で医療用に発見された。ルイ12世が酢製造人同業組合にブランデー蒸留の特権を譲渡したことで世俗化し、広がっていった。安い酒でもブランデーを入れるとコクが出ることや、量が同じでも価格がぶどう酒よりも高価だったので輸送費が抑えられたこともあり、生産量は急速に増加した。1768年生まれのエドゥアール・アダンの発明により蒸留方法が改良され、原価が下がり、19世紀に普及していった。
アメリカでは砂糖からラム酒、ヨーロッパ北部のぶどう酒地域の北では各種果物から作ったブランデー、穀物系のウォッカ、ウィスキー、ジンなどが作られた。
ヨーロッパ外でもカナダのインディアンは楓の樹液、メキシコ人は竜舌蘭、南米ではとうもろこしやマホニット、極東では米などを用いて酒が作られたが、蒸留器のおかげでヨーロッパ人は優位に立ったのかもしれない。蒸留酒を中南米に持ち込んでその虜にすることで従属させることにも成功したからだ。

チョコレート・茶・コーヒー
蒸留酒と同時期に刺激・強壮剤としてこの3種を海外(チョコレート:メキシコ、コーヒー:アラビア、茶:中国)から借りてきた。パリではチョコレートが司教が用いて以降、少しずつヨーロッパに広がっていった。
茶は中国やインドで古くから広がっていたのをヨーロッパ人が東インド会社経由で輸入した。茶はイギリスを中心に北西部で広がったが、ヨーロッパで生産はできなかった。中国や日本ではその栽培にとても手間暇をかけており、飲むための儀礼が備わっていた。茶の湯の技芸習得はヨーロッパでいえば踊り方やお辞儀等を習得するのと同じだった。
そして茶が広がったのはぶどうの木が栽培されていない地域だった。ヨーロッパ北部、ロシア、イスラム圏だ。逆にぶどう酒と蒸留酒は極東では広がらなかった。
コーヒーは1615年頃にヴェネツィアに来てから16世紀中頃にはパリやロンドンに広がった。身体にとっての効き目を広告したこともあり、カフェがどんどん広がっていった。ヨーロッパ全体が生産の組織化に乗り出し、アラビア半島以外の大西洋などで栽培していったことがその背景にある。そしてパリではカフェが優雅の士や閑人が集まり、貧乏人の避難場所ともなった。

刺激剤-たばこ
いかなる文明にも贅沢な食品や刺激剤・興奮剤は必要であった。香辛料や胡椒、蒸留酒、茶・コーヒー、薬物など。ヴェネツィアの税吏は各種嗜好性飲料に対する税は、今後また発明される全てのものにも課されると記している。確かにその後のアヘンや大麻なども国家の巨大な財源となっていた。
たばこはコロンブスがキューバで見つけて以来、16-17世紀に全世界に広がった。他の飲料等は背景に文明があったが、たばこは「未開人」からやってきたことが大きく異なる。そこで栽培方法や服用法もできていった。たばこの服用が始まった時期は各国政府の禁止令によってわかる。税収入が期待できると気づくまでのことだ。それは17世紀がほとんどだった。

【感想】
人間はやはり日々の色んな悩みや精神のストレスといったことを常に感じており、そこから逃れたい、あるいは憂さ晴らしがしたいということでとかく「身体に良い」的な理由を付けて各種嗜好性飲料や草などを楽しんできたということがわかる。そして、そういった嗜好性のものが広がると政府は管理し、税収を確保しようとすることも世界のどの国でも歴史の常と言える。「止められない」からこそ安定的な税収になるからだ。たばこが身体に悪い、と言いながらも禁止せず税金を上げ続けていることも、医療用大麻は解禁して税収を確保しようとしていることも、結局の所国家が人のそういった弱みを利用した安定収入を確保しようとするものでもある。

またぶどう酒と茶の栽培エリアによる世界の見方は興味深かった。ブローデル的にはぶどうが栽培されていれば、そこはぶどう酒が広がると言いたげであったが。また、蒸留器の素晴らしさを誇張しているようなところもあるが、日本でも凄まじい種類の焼酎などが作られていることを考えると、結局のところは、地域の自然の恵みを用いて愉しむのはどこでも同じなのかもしれない。動物でもこうなのだから、これは人間の動物的本能なのだろう。

ということで、ブローデルは赤ワインとブランデーが好きなのだな、そしてそういった偏愛はこれだけの客観的・分析的視点を持つ歴史の大家を持ってしても人間性をあぶり出すのだな、ということがとても強く伝わってくる章だった。

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