『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』(フェルナン・ブローデル) ‐弱小者に対抗する多数者−

フランスの歴史学者、ブローデルの「日常性の構造」を読んでいくオンライン読書会の第4回目。「数の重量」については今回で最後。

【概論】
人類の歴史を大きく動かしてきたのは戦争である。戦争は様々な集団同士の争いであり、現在の感覚からすると数は文明であり、力であり、未来だが、過去はそうではなかった。
蒙古族やゲルマン民族などを始めとした砂漠・草原の遊牧民、文明側からすると「蛮族」は、中国やローマ帝国、インドなどに繰り返し侵入し、ついには征服した。しかし、その実体は何度も家のドアを叩いてはようやく入れてもらった後、家に取り込まれて「吸収」されたに過ぎなかった。蒙古民族・満州族は漢民族の中に、ゲルマン人はぶどう酒の国々の中に、トルコ人はイスラム圏に取り込まれていった。

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この動きはヨーロッパと中国の社会・経済状況に応じて東へ西へ変動した。つまりは弱くなった方に引き寄せられて流れていった。このダイナミックな民族移動は陸路・海路で繰り返されたが、銃砲火器の発達によって18世紀が終わるまでに終了し、文明側が勝利した。これは「蛮族」に対してだけでなく「空間」に対してもだった。アメリカ、シベリア、オセアニアなどにおいて空白の空間を容易に征服していった。

「文化とは、未だにその成熟・最適条件に到達せず、あるいは確かな足取りで成長するまでに到らない文明である」

そして、ブローデルがこのように述べた空白ではない地域でも交易を通じて実質的に「文明」側が経済搾取によって支配していった。「文化」側が抵抗した場合は、容易に征服していった。

文明と文明が衝突した場合は、どちらかが打ち勝つといったことは生じた。そしてそのときは悲劇が生じ、イギリスがインドや中国に打ち勝ったことで新時代への移行した。

15−18世紀にかけて世界の運命は分化し、その様子を「数」を用いて把握しようとしてきたのが第一章だった。
世界はいくつかの大きな団塊に分かれており、それぞれの日常生活における装備は不平等であり、内部でも不平等だった。経済生活の優越性および資本主義を今後みていくが、それはさらに物質生活よりも世界の分化を手荒くしている。

【わかったこと】
ブローデルのいう「文化」や「半文明」という言葉の定義には若干違和感を覚えるが、西ヨーロッパから見た技術やアート、社会の支配構造などの水準や複雑さが一定の水準に達しているものを「文明」として、それに達していないものを「文化」と呼んでいるという理解をすると、まるで浸透圧のように「文明」のほうに「文化」の人々が吸い込まれていっていると捉えられる。
例えが適切かどうか分からないが、日本で言えば「上洛」を目指して京都にやってきた武士たちが公家などの「文明」に憧れて支配しているつもりが結果として取り込まれていった歴史にも同じようなことが言えるのかもしれない。ある意味、人間は精神的な価値、いわば人間だけが持つ虚構のパワーに魅力を感じるからこそ単純な力ではないものに染まっていくということでもあるだろう。
次章以降で触れられていく「物質生活」よりも大きな影響を与えている経済や資本主義のこともある意味、そういった観念上の虚構が生み出したものであり、自然や物質による制約を人間が生み出した虚構のパワーが凌駕してしまったことが現代の色んな問題につながっているとも言えるのかもしれない。

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北林 功(Isao Kitabayashi)
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