虫の交尾の話
ライブの後、居心地がよくてそのまま飲んで遊んでしまったり、片づけをするスタッフとダラダラ話し続けたくなるお店がある。
妙齢のおじさんばかりが働く老舗レストランでのライブ終了後のことだ。
この日は深夜を過ぎてもお客様が途切れず、歌い続けること40曲という記録を残した夜だった。バーテンダーのケンちゃん(仮名)が「お疲れ様」と言って、フレッシュフルーツのカクテルを出してくれた。ケンちゃんは顔が工事現場なのに、中身は繊細で時に芸術的なカクテルを作ったりする。
「ありがとう」と言って私はマホガニーのカウンターに沈むように腰を下ろした。カクテルは甘い味が苦手な私に合った、酸味と苦みが絶妙にバランスの取れた柑橘系の味がした。冷えた炭酸が疲れた喉に気持ちがいい。
ここは本当におじさんばかりが働く私にとってのオアシスだった。
ケンちゃんは話題が豊富でいつも私を楽しませてくれる。その日は珍しく「のりちゃんは最近観た映画で何が一番良かった?」とふいに聞かれた。
私は先日観た昆虫のDVDを思い出した。
そのDVDはレンタルショップのレジの傍に置いてあった。「インセクト」という言葉に思わず反応して手を伸ばしてみると、裏表紙は様々な昆虫の交尾と産卵のカットが載せられていた。私は迷うことなくそのDVDをカゴに入れ、レジに向かった。
帰宅してから万全の態勢でリモコンの再生ボタンを押した。
DVDは海外物で、神秘的な音楽をバッグにシンプルな英語のナレーションが入っていた。蝶、トンボ、ナメクジ、ウスバカゲロウ、その他さまざまな生き物の交尾がひたすら繰り広げられていく。中でも、ウスバカゲロウの産卵シーンと森の中のナメクジの交尾は美しすぎて息が止まるかと思った。
私は、ケンちゃんにナメクジの交尾について熱を込めて語った。
ナメクジは動きものろく、繁殖期に大きな森の中で別の個体と出会うことはものすごく貴重なことである。彼らは雌雄同体という雄と雌の機能を併せ持つ生き物で、交尾をすることでお互いのDNAを交換し合い、より強い個体を生み出す。彼らは交尾をするときにお互いの粘液を絡ませ合い、くるくると回転しながら粘液の糸にぶら下がって木の枝から下りていく。
その様子はまるで森の妖精の秘密のダンスのようだ。青白く光り、とても神秘的で美しい。私はその様子について感動の言葉を並べた。
「それで、のりちゃんはそういうDVDを見て、どんな気持ちになるの?」
ケンちゃんにそう聞かれて少し考えた後「感動すると同時にちょっと興奮する」と正直に答えた。数年前、一世を風靡したドラマで「ムズキュン」という言葉が生み出されたが、その言葉を聞いた時、私は真っ先にあのDVDを思い出したくらいだ。
この話をして以来、ケンちゃんは私のことを”ちょっと特殊は性嗜好を持つ子”として(愛を持って)扱うようになった。本当はそんなことないのだけど、そう思ってもらうことは別に悪いことでもないような気がしてそのままにしておいた。ことあるたびにケンちゃんが「虫の交尾のDVDを観るんだよ、この子は」と私が思うテイストとは違うニュアンスで共演者に話していたけど、それほど的外れでもないと今では思う。
そういえば二年前、仕事が全てキャンセルになって散歩が日課になっていた頃、テントウムシの交尾に出くわして、とっさに動画を撮った。テントウムシの雄が小刻みに腰を振っている様子はちょっと滑稽で、人のソレとなんら変わらないように見えた。こんなものをネットに投下してもいいのだろうかと僅かに背徳な気持ちを抱きながらFacebookに投稿した。みんな笑ってくれた。こういう滑稽さがまさにシュールポルノだよな、と思う。
そういえば、叶恭子さまも生き物には並々ならぬ興味がおありだし、やはり生命とエロスは切っても切れない関係なのだと思う。
ところで、私が観た昆虫の交尾のDVDだが、タイトルを失念したためネットで探し当てることが出来なかった。返す返す、あれは永久保存版として購入するべきだったと後悔している。
あと少ししたらナメクジの繁殖シーズンだ。
あのシーンを思い出し、ほんの少しときめくのだった。
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