#7 そして私はでぶになる
タイトルを見て、こんな頃から私はでぶの兆候があったのかとわなわなしております。それまでは「僕の好みはほっそりした女性」という派にモテモテだった私ですが、今ではすっかり「手遅れでないくらいのぽっちゃり」派に属しています。どこでどう間違ったのだろうと思っていましたが、ここに間違いの原点があったように思います。
日本を去って以来、私の中で追い求めている味がある。
それは、ハッカクという中華の香辛料を利かせて揚げた鴨肉の味だ。塩味が効いてて、ハッカクの匂いのする鴨肉を白いご飯に乗せて食べたい。ニュージーランドでは、クライストチャーチにその味に近い鴨肉を出す中華屋があった。オークランドでは、『龍舟』(ドラゴンボート)という店がおいしかった。アメリカでは、フェニックスにある香港料理がそれに近い味を出していた。
でも、今日はイタリア料理が食べたかった。
日本は飽食である。私が日本にいた頃は、当たり前のように食べていたイタリア料理。にんにくが利いていて、量がたっぷりのスパゲティ。ニュージーランドでは、オークランド以外ではお目に掛かれない美味しい美味しいイタリア料理。Whangareiにもイタリアンレストランはあるけれど、高級そうでまだ行ったことがない。美味しいという噂だ。
さて、国が変われば味も変わる。
アメリカはどうだろう。アメリカ人の好むイタリア料理の代表。それは、ミートボールスパゲティである。太い麺、何も手を加えていないであろうトマトソース、乾燥バジルの風味、そしてミートボール。ミートソースじゃなくて、ミートボール。全体的ににんにくの匂いはまったくしない。
サンフランシスコは小さな街のわりには、中華街、リトルイタリー(North Beach)、ジャパンタウンと集中的に民族街がある。いくら、トマトソースうどんのようなスパゲティを出すアメリカでも、いくらにゅう麺のように細くて柔らかい麺とふがいないホワイトソースのスパゲティを出すアメリカでも、リトルイタリーでは事情が違うのではないだろうか。イタリア人が住みつく町、リトルイタリー。イタリア人が通うイタリアンレストラン。アメリカ人の来ないレストラン。私は本物を出してくれるイタリアンレストランを探した。
それは、Taylor St.沿いにあった。Original Joe'sというイタリアンレストランである。(でも、ここはリトルイタリーからは遠かった)
イタリア人しか来ないという噂の店。昼間だというのに店の中は薄暗かった。カウンター席とボックス席がある。カウンターの向こうはオープンキッチンになっていた。
私は本当にお腹が空いていた。お腹が空いて気が狂いそうだった。食い物、誰か、食い物をくれーーーっ!!!私のお腹が叫んでいた。食うぞ。食ってやる。お金に糸目をつけずに食ってやる!!というわけで、この店でかかった金額は覚えていない。空腹状態の私はナイフのように危険であった。寄るもの触るもの、すべて切りつける勢いだ。
恰幅のいい、頬から顎にかけて短い髭を生やしたウェイターがメニューを持ってきた。無愛想である。しかし、無愛想なだけで物腰は丁寧である。
海外で暮らす上で、言葉の壁もさることながら、英語のメニューには本当に苦労させられる。日本と違って、メニューに写真はなく、言葉だけで皿の内容が説明されているのだ。ボキャブルがなくては、想像も出来ない。私も英語のメニューにはしばらく手間取っていたものだった。今回、私が手にしたメニューは英語とイタリア語が書かれていた。英語で理解することも可能だが、イタリア語をそれとなく目で追ってみると、知っている料理の名前がぽちぽちある。日本では、イタリア料理の名前がそのままカタカナで表示されているので聞きなれているのだ。日本語って素晴らしい。
私はお腹が空きすぎていて、メニューに載っているすべての料理が食べたくなってしまった。いいから全部持ってこーい! 状態である。さすがにそれは全部食べきれないと思ったので、量が多そうでいかにもイタリアという料理を慎重に選ぶ。上から順にメニューを読む。カルパッチョなんかおいしそうだけど、そんなんじゃなくて、もっとガツンとくる食べ物が食べたいなぁー。うーん、カルボナーラ…でも、今ここで安易にクリームソースに逃げてしまっていいのだろうか。ここのレストランの味を知るなら、ミートソース…いや待て、そんな単純なメニューでお腹をいっぱいにはしたくはない。うーむ…お、ややや! 『レバーステーキ』!!! すすす、すごくお腹がいっぱいになりそうだーーー。でも、これは伝統のイタリア料理ってわけじゃないなー。でも、た、食べたい! ふと、セット内容を見ると「お好みによりスモールミートソーススパゲティ、温野菜ガーリック風味をお添えいたします」と書いてある。これじゃん!! 添え物のミートソーススパゲティでこの店の味は確認できるし、温野菜ガーリック風味でイタリアの味を満喫できる!!
私はウェイターを呼んで、これらを注文した。
「量が多いですよ。」
ウェイターに一言言われた。
なーに言ってやがんでぃ。こう見えても私は大食いなんだ。つべこべ言わずに持ってきやがれー。
「本当に量が多いんです。だから、メインのレバーステーキを見て、そしてまだ食べられると思うのだったら、スパゲティと野菜をお付けしますよ。それでどうですか?」
これは挑戦だと思った。
私は、ステーキが来る前からスパゲティと温野菜を食べることを心に決めた。
まんじりとなく時間が過ぎていく。私の空腹感は頂点に達していた。しばらくすると、ウェイターが皿を持ってやってきた。
「さぁ、どうぞ」
ドドーン! 置かれたレバーステーキは、巨大であった。私にはそれがゆうに500gはあるように見えた。おまけにパンまで付いている。これだけで十分だ。しかし、私はスパゲティと温野菜を食べると心に決めてしまったのだ。
「スパゲティと温野菜はどうs…」
「ええ、お願いします」
私は即答した。ウェイターは片方の眉を釣り上げて、オーケーと言った。
ウェイターはすぐに温野菜とスパゲティを持ってきた。スパゲティは小皿に盛られてテーブルに置かれた。温野菜はテーブルでサーブしてくれた。
さぁ、食うぞ。
満腹中枢が刺激される前に、すべてを平らげなければ。
皿には大きなレバーステーキが二枚のせられていた。温野菜は人参、ズッキーニ、ブロッコリ、その他いろいろな野菜がガーリックと一緒にソテーされている。とても美味である。ミートソーススパゲティ…うむ、土曜日の昼下がりになんとなく家で食べる味である。実に手の込んでいない味がする。シンプルでいい。私はこの味が好きだ。レバーは牛レバーであった。ジューシーなそれは、やはりガーリックの風味で仕上がっている。私はコショウを一振りしてから、手を休めずに食べつづけた。体の奥が、食べ物を欲している。ガツガツガツと私は食べつづけた。
実は、私は食べるのが遅い。よく噛むからだ。私はたんたんと同じリズムで食べつづける。しかし、あまりにも唐突にそれはやってきた。突然、苦しくなったのである。満腹感だ。しまった。食べ終わる前に満腹中枢がやられてしまった。しかし、ここで諦めるわけにはいかない。一口でも残せば、あのウェイターは「ほれ見たことか。ふふふん」という顔をするだろう。そんなことは許されないことであった。私はこの挑戦を受けて立ち、完食することで勝利を得るつもりだった。一息つく。ふー。苦しい…でも、食べつづけるんだ。ガツガツ…ふー苦しい。でも、食べるんだ。ガツ…うー、死ぬー。でも、食べ終わるんだ。あと、三口。あと二口。………うー、あと…あと…ひとく…ち…………。
カラン…。
私はナイフとフォークを皿に置いた。
完食である。
苦しかった。とても苦しかった。苦しくて、床でのた打ち回りたい気持ちだった。く、苦しい。た、助けてー。
ウェイターが空の皿を無言で持っていった。彼の背中に、敗北感を見た。あいつ、食ったよ。全部食っちまった。負けた。俺はお前に負けたよ。そう思っているに違いない。ここで私のとんちがひらめいた! やっとギリギリで食べ終わったと思われるのも癪じゃないか? ここは一発、追加注文でもして度肝を抜かしてやろう。でも、私のお腹は既にパツンパツンに膨れ上がっている。
おい、これ以上、何を入れるというのだ自分よ。もういい、よくやった。よくやったよ、自分。これ以上、自分の体を痛めつけるのはやめるんだ。
身体は魂の器だ。自分の体にちょうどよい量の食べ物と栄養を与えれば、魂の器はよいコンディションを保つことが出来る。だというのに、私は、自分の魂のための器に無理を強いていた。…やめよう。これ以上食べるのは。飲み物だけで十分だよ。今は飲み物すら、入らない状態だけど。
「ダブルエスプレッソをお願いします」
苦しくて、エスプレッソも入らないくらい苦しかったけど、私は注文した。レギュラーコーヒーよりはカフェインは少ないが、多少のカフェインで、胃の消化活動は楽になるであろう。(← カフェインで胃酸が増えるからです) 体への思いやりだ。
ちびちびとエスプレッソを飲みながら、私は考えた。
今、私の胴体を輪切りにしたら、楕円系じゃなくて、きっとまん丸なんだろうなぁ。
(つづく)
恐ろしいのは、つい最近まで私は何も学習することなく、こういう食べ方を繰り返してきたということです。体重はどんどん増えていき、危険水域に達していました。危険水域とはどういうことかと言うと、私が街を歩くと道路際の店がガタガタと振動し、コーヒーがちゃぷちゃぷと波打ち、棚からカップが落ち、私が席に着けば、その衝撃で周囲の人たちの体が一瞬宙にに浮くくらいのことです。
ようやく私も「普通の量を食べればいい」ということを学習し、今では体重が減っていっています。なんなら酒についても「ほどほどに飲む」ということを学習し、二日酔いの数も激減しました。
ところで、このイタリアレストランではとても不思議な人に会いました。私の食事中、体中に水鉄砲を装着している風変わりなおじさんが乱入してきたんです。靴の先にも水鉄砲が付いていました。私はそれよりも食べ物のことに夢中だったのであまり記憶にないんですが、よく考えてみるとすごく不思議な人がいたなぁと思うんです。当時はアメリカは自由な国だからと思っていましたから、それも自由の一環なんだろうなと理解していました。
いやー、まだまだこの頃の私は何もわかってませんね。あはははは。
次回の旅日記は”死ぬかと思った体験”です。私は人生で何度か死ぬかと思った経験をしていますが、これが第一弾でした。
お楽しみに!
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