#14 私というパズルピース
前回の記事から間が空きすぎてしまったので、もう前の内容をお忘れかと思います。思い出してください。これです。
私は誘われた見ず知らずの人のさよならパーティで、これまで出会ったこともないような人物と出会ったのでした。果たしてその人とは…。
その人は、庭に置いてあったイスに腰掛け、スプライトを飲んでいた。灰色の髪は、他の部分の髪の毛に比べて後ろ髪が長め。そんな、時代の流行りと無関係な髪型が、浮世離れして見えた。誰と話しているわけでもないのに、微笑んで人々の会話を見つめている。めがねをかけたその向こうの両目は優しく、知的に光っていた。
「あ、先生。おい、non、先生を紹介するよ。」
何時の間にか私の後ろにいた先輩が、私をその男性のところまで引っ張って行った。
なんと、その男性は、先輩の研究室の大学教授であった。大学教授と言えば、もっと年寄りを想像してしまうけれど、先生は40代前半にしか見えない。実際、先生の年齢は40代後半なんだけれども。
「先生、こちら、僕の会社の後輩で、これからアメリカ中を旅する予定なんです。」
先輩が私と先生を引き合わせる。先生の噂はぼんやりと覚えていた。日本人でいながら、コンピューター・サイエンスという世界では有名な人で、NASA関係のお仕事にも携わっていた、とてもエライ人だということを。先生は、自分の仕事が大好きで、仕事ばかりしている。そして、うろ覚えではあるが、バツイチの独身という噂も頭に残っていた。先輩が先生の前で緊張している。緊張しなくちゃいけないほど、エライ人なのか!?
ところがどっこい。先生は実に気さくな方だった。まず私の旅に興味を持ってくれたようで、旅についていろいろと質問された。
「それで、なんの目的があって旅をするの?」
私の旅の目的は多様であった。まずは、旅を通して人と出会うこと、新しいことを経験すること。出会った人から何かを得る、いや、私から与えることもあるかもしれない。少なくとも、出会った人達の心の中に何かを残せたらと思う。そして、それを文章にしたい。ほら、先生、例えばこんなふうに偶然出会うことですら、私にとっては素敵なことなんです。
実は、私には他にもアメリカを選んだ理由があった。それは、Native American(American Indian)、つまりインディアンのことを少しでも知ることである。博物館で得られるような知識はもうたくさんだ。彼らの、信仰、彼らの風習が知りたい。日本人の古い風習と、彼らの信仰はあまりにも酷似している。彼らのことをもっと知って、出来れば彼らとそれらの情報をシェアしてみたい。
先生は、ますます話に興味を持ったようだった。先生は、大学にいる数人のNaticve Amricanを紹介してくれるとさえ申し出てくれた。私達は、食べることすら忘れて、話に花を咲かせた。先生はにこにこしながら、私の話を聞いてくれる。そして、先生の突っ込みは鋭い。いい加減な意見には、容赦ない。私だっていい加減な意見など言いたくない。いいかげんに話を済ませるよりも、そのことについては意見がまだまとまっていない、と素直に言ってしまう方がいい。私達は、いろんなことを話した。人生の目的について、ポリシーについて、結婚について。
人生には、それぞれ目的があるはずだ。毎日の生活に押し流されるような生き方もあるかもしれない。けれど、目的のある人生はそれに比べてどれほど意味のある人生になろうか。私にとっての大きな目的は、自分を知ること。私はこの旅を通して、自分の中にたくさんの新しい自己を発見するだろう。そして、人生にポリシーがあると、自分自身が引き締まる。私のポリシー。それは、誠実であること。逃げない、躊躇わない、目をそらさない。結婚については、まだわからない。だけれど、死ぬまで一緒にいられないような相手とは結婚しない。一緒になったらずっと夫婦だ。だからこそ、本物の相手を見極めなくちゃいけない。妥協はしない。そもそも、妥協する理由は私にはない。時折、私は自分の気持ちが本物であるかどうか、自分に問いかける。頼っていないか、流されていないか、見たくないところに、目をつぶっていないか。本物のパートナーには、自分の得るものと与えるもの、相手が得るものと与えてくれるものが、まるでパズルのピースのように符合するはずだ。出会った瞬間に、シンパシーを感じるかもしれない。あるいは、後から感じるかもしれない。パートナーの発見は、自分の波長とのタイミング次第だ。だって、自分はいつも変化しているから。成長という変化で、パズルのピースも形が変わる。合致したときがタイミングなのだろうけれど、それは、お互い成長しているので、出会った瞬間に符合する者もいれば、少ししてから符号する者もあるだろう。
夫婦とは、そんな自分自身を進化させながら多様に変化するパズルの形を、お互いに符合するよう歩みを同じくし、二人で成長していくものなんではないかな。
人生の先輩に、ずいぶん、ナマイキを言ってしまった。でも、これが今の私である。
「変わっているって言われることはありませんか?」
先生は、にこにこしながら、またしても鋭い質問を投げかけた。
ええ。それはもう。幼稚園に入る前から、今の今まで、変わっていると言われなかったことはありません。あまりも言われ続けているので、自分が変わっているのは当たり前で、それがなんの意味を持つのかもわからなくなってきました。でも、自分ではそれほど私は人と違う性質だとは思っていません。
「お腹が空いちゃったなぁ! 一緒にラーメンでも食べに行きませんか?」
話が一段落したところで、突然のお誘いである。それも、ラーメン。日本を去ってから、まだ一度も口にしたことのない、ラーメン。さすがは、アメリカ。さすがは、カリフォルニア。新米の季節もやってくれば、ラーメンだって気軽に食べられる。アメリカと日本の関係の深さを痛感してしまった。(おいおい、こんなことで痛感するなよ)
私は先輩と一緒の車で来ていたので、先輩を呼んだ。あれ、何時の間にかMBAの学生たちがいない。
「ああ、彼らは食べ物を食べてお腹を膨らませたら、さっさと帰ったよ。さすがにレポートのことが心配だって」
家の中で腐っていても、やるときはやるぜMBA留学生。私は心密かに、彼らのレポートの成功を祈った。
先生、先輩、そして私は、私の運転で近所のラーメン屋さんまで車を走らせた。ところが、ラーメン屋は既に閉店していた。お腹の空いている私達は、何か口にしないとおさまらないので、更に車を走らせて、牛丼屋へ行った。
牛丼を食べながら、先生はしきりにこう言った。
「いやぁ、いまどき珍しい人と知り合ったなぁ。ぜひ、旅先からもメールくださいよ。再会の暁には、一緒に食事でもしましょう」
不思議なものである。日本にへばりついていたら、まずは知り合うこともないであろうお方だ。それが、日本を離れたアメリカで、それもこんな小さなアーバインという街で、更に、ひょっこりと参加したパーティで、知り合うこともなかった人と知り合いになれるとは。それでも、ニュージーランドを経由しなければ、この人とは出会う意味がなかったんだろうなぁ。今だから、意味があるんだ。そんな気がする。
新しく自分を知るたびに、自分が成長するたびに、私の出会う人の群というのが何か変化してきているように感じる。
ほら、だって先生も人生で自分が何をやるべきか知っている人だもの。自分の生き甲斐を発見して、それを貫いている人だもの。そして、成功している人だもの。
私は、牛丼をかっ込みながら、「私だって」と決意を新たにした。
(つづく)
この先生は、後にリタ・クーリッジという有名な歌手と結婚するのですが、そこがまたイイ! 今だったら絶対に私からぐいぐい迫っていたと思います。私が出会った人の中でも指折りのサピオ民でした。当時は、まだ先生の良さがわかっていませんでした。子供でした。激しく後悔しています。
文中で私は「結婚」について熱く語っています。当時はまさか自分が結婚向きの人間ではないことなど、知る由もなかったのです。私は帰国してから数年後にまぁまぁなサピオ民と結婚しましたが、一緒になったらずっと夫婦だとか言いながら、きっかり一年で離婚しました。全然無理でした。そして、一年という期間は、私が嫁向きでないと知るのには十分な時間でした。しかし、離婚の原因は私のせいではありません。嫁向きでないにも関わらず、あっちが原因で離婚しました。私が原因だったら誰もが納得するでしょうが、あっちが原因とはどこまでもナマイキな私なのでありました。
さぁ、次回からいよいよ本格的な旅が始まります。こっから先はしばらくずっと東に向かって行きます。見たこともないアメリカの光景です。