#01 夢を叶える
冒頭に当時を振り返る当時の私…。まぁ、この頃の私だってまだまだですよ。あ、いや、今だってまだまだか。
16歳の夏、学校の交換留学プログラムで、一ヶ月間アメリカに滞在した。それが、私の最初の海外であった。
学校でしか勉強をしたことがない英語。そんな頼りない私を、温かく迎えてくれたホストファミリー。小洒落て見える家具は、私の家の檜箪笥とはまったく異なる。カーペットの色も日本では見掛けない色だったし、食器洗い機を当たり前のように使っていたりもした。スーパーに行けば、知らない味のポテトチップスが売っていたし、置いてある肉の大きさも想像を遥かに超えたものだった。すべてが夢のようだった。何もかもがカッコよく見えた。庭に生える青い芝生も、子供に優しくキスをするお母さんも、アメリカの国旗でさえも。
大人になるにつれて、当時の私は一体アメリカの何を見てきたのか、という疑問が頭をもたげてきた。小説の中に出てくるアメリカ、映画の中に映し出されるアメリカ、そこには私の見てこなかったアメリカがまだまだたくさんあった。もう一度、この目で何を見てきたかを確かめたい。当時の私は、あまりにも何も知らなかった。何もかもが刺激的過ぎた。あの頃の記憶は、まるで昨夜見た夢のようにおぼろげだ。いつか、この目で確かめてこよう、私の見たアメリカを。もう一度見て、今度こそそれが本物であることを確かめよう。
いつか、いつか必ず。
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New Zealand Auckland国際空港。金曜日の夜だからだろうか、それほど人は多くない。
「忘れ物はないかい? 本当にアメリカは危険なんだから、気をつけるんだよ」
見送りに来てくれたホストファミリーのマイクは、心配そうに私の頭を撫でた。
「いってらっしゃい」
リンダは微笑みながら私を抱きしめた。
「本当に気をつけるんだよ。嫌になったらいつでも帰ってきていいんだよ。いつだって僕達は君を待ってるんだから」
少し涙ぐみながら、マイクが私を抱きしめた。
おいおい、マイク、大袈裟だよ。たった3ヶ月なんだから。3ヶ月したらまた戻ってくるんだからさ。ずーっといなくなっちゃうわけじゃないんだから。マイクがそんなに涙もろいなんて知らなかったよ。
最後にもう一度、「気をつけて」と言って、マイクが私を抱きしめた後、二人は去って行った。
さー、私の新しい旅が始まるぞ。
既にアメリカには何度も渡っているけれど、今度の渡米は今までとはわけが違う。3ヶ月間、車でアメリカ中を旅する計画なのだ。この目で、リアルなアメリカを見るのだ。アメリカの中の、いろいろなアメリカを見るのだ。私は期待で胸がいっぱいだった。
ご存知のとおり、アメリカは50の州で成り立っている国である。それぞれの州には州法というものがあって、交通道路法から税率までが州法によって決められている。住んでいる人々も違うし、英語のアクセントすら違うこともある。つまり、州が変われば、国が違うようなものなのである。今回の旅には、州によってどれくらい人や文化が違うかを見る絶交のチャンスでもあった。アメリカの一部だけを見て、偏った印象など持ちたくない。出来るだけたくさんのアメリカを見よう。旅をし終わった後、私の中のアメリカはどんなふうに変わるのだろうか。
最初の目的地はSan Francisco。シリコンバレーに住む友人を訪ねることになっている。
今夜の飛行機はとても空いている。スチュワーデスが飛行機のドアを閉める音がする。シートベルトのサインが表示される。飛行機がそろそろと動き始める。暗闇に光る青い滑走路灯が、まるで宇宙の野菜畑みたいだ。ここはオークランド。空から見る夜景はきれいだろうな。
「すごい!かっこいい!! かっこいい!! ヒューヒューッ!!」
真後ろのシートから一人ぼっちの歓声が聞こえてきた。
私は窓と椅子の隙間から後ろを覗きこんだ。みそっ歯の白人がキラキラした目でこちらを見て、再び滑走路を見る。ちなみに、まだ飛行機は飛び立っていない。
「かっこいい!!」
私は窓と椅子の隙間に顔を押し付けて、彼に言った。
「まだだよ」
彼も顔を近づけた。う。酒臭い。
「すぐだよ! すぐ!! かっこいい!!」
そして、男は私に向かって合唱をし「サヨナラ」と言った。
そんな彼に「アメリカに帰るの?」と聞いたら、「あんなクソったれな国に住んでるわけないだろ。アメリカ経由でイギリスに帰るんだ。俺はイギリス人。アメリカ人なんて、ペッペッペッだ」と言った。本当に唾が飛んできたので、ちょっと仰け反ったら、「ごめんよ。喋ってると唾が飛んじゃうんだ」と言って、再び合唱をして「サヨナラ」と言った。
私は飛行機の中ではとにかく眠る。食事が来たのも気がつかずに、とにかく眠る。あの狭いシートで寝返りも打つ。とにかく眠って眠って、気がついたら、アメリカに着いているのだ。まるで、通勤電車に揺られていたら、会社に着いた、という感じだ。
気がつくと、飛行機はもうアメリカ大陸の上を通っていた。むおー、眠い。まだ眠い。でも、そろそろ起きようかな。おや? 何やら背後が騒がしい。スチュワーデスと例のイギリス人が揉めている。後ろを振り返る。彼は上半身が裸だった。毛布で体を包んで、「恥ずかしい」と言った。一体どうしたの?
「どうしたも何も、俺のシャツがなくなっちゃったんだ。すごく酔っ払ってたから、どこで脱いだか覚えてない。たぶん、パイロットが盗んだんだ」
それはないと思うけど、裸で外に出るのは恥ずかしいね。見つかるといいね。
スチュワーデスがくまなく機内を探したところ、彼のシャツはコクピット付近で見つかったらしい。
飛行機を降りる時、イギリス人の彼が私の肩を叩いた。
「アメリカは恐ろしい国なんだから気をつけるんだよ。僕がアメリカを旅した時は、強盗にあって歯が折れるほど殴られたんだ。本当に、人のいないところや危険なところに行ってはいけないよ」
なんで、これから旅が始まるって時にそんな話するんだよー。でも、もう二度と会いもしない私のことなどを心配してくれてありがとう。それにしても、そんなにアメリカというのは恐ろしい国なんだろうか。誰もが銃を持ち歩き、道端でバンバン打ち合いをして、人がバタバタと死んでいくんだろうか。
飛行機はLos Angelsを経由してSan Franciscoに到着した。
もうすっかり夜になっていた。でも、空気は暖かい。あんなに寒かったニュージーランドから、一夜にして真夏の西海岸に到着してしまった。うーん、飛行機って便利。地球って不思議。
San Franciscoには、ビクターという友人が住んでいる。彼とは日本で一度会ったきりであるが、e-mailなどで細々と連絡を取り続けてきた。旅の初日に、どこに泊まるか、どこに行こうかあれこれと頭を悩ませるのはいやだったので、彼のところにお世話になる予定になっている。今のところ、どこを回るか、どれくらい滞在するか、細かいスケジュールはノーアイディアだ。
私はスーツケースをぎゅっと握り締めて、大きく息を吸った。
私の長年の夢が、今日から実現されていくんだ。いよいよ、始まるんだ。
オレンジ色のライトの下、到着客と出迎え人とでごった返す通りに、パールブルーのステーションワゴンがハザードランプを点けて停まっていた。その横にビクターがニコニコ笑って立っているのが見える。
外に出る。車の音と人の声、暖かい空気。
私はアメリカに到着した。
(つづく)
機内で出会ったイギリス人のことは今でも飛行機に乗るたびに思い出します。旅立ちに強烈な個性と出会い、ネタに困ることがないことを予感させました。
ビクターとは、彼がかつて付き合っていた日本人の元カノを探しに来日していた時に知り合いました。その時彼は、元カノが栃木にいるということを突き止めて日本に来たのに、なぜか静岡に滞在していました。とってもお人好しのビクターは、ちょっぴりだけどいろいろズレてるアメリカ人でした。