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志を高く挑戦しよう

私は割り箸がちゃんと割れない。
絶対にどちらかが太くなる。コンビニの割り箸でも、居酒屋さんの割り箸でも。あまりにもバランスの悪い割り箸に胸を痛めて、毎回私の代わりに割り箸を割ってくれる彼氏がいたこともある。

そして私は食べこぼしが多い。
もし、守護霊同士で自分が守っている者たちの食べこぼしを秘密裏に競い合う大会があるとしたら、私の守護霊はダントツで優勝できるのではないだろうか。

椅子の生活なのに、気がついたら足のくるぶしのところでご飯粒がかたまりになって乾いていることもある。また別の時には肘にケチャップが付いていたこともあった。胸のあたりにできる何かのシミに至っては日常茶飯事である。

足りないものは出先で買えばいいというマインドなのでハンカチやティッシュを持ち歩かない。そのため、高速道路のサービスエリアで彼氏がハンカチを持って待っているということも多かった。

美味しいものを食べていると満腹に気が付かずに食べ過ぎてしまうので、バッグにタカジア錠(消化剤)を持ち歩く人もいた。よく転ぶので傷薬を持ち歩く人もいた。

そのせいか、歴代の彼氏たちはたいてい、私を世話するためのグッズでぱんぱんになったバッグを持ち歩いていた。その中には、私のためのハンカチやティッシュ、薬、シミ取り、それからラーメンを食べる時の髪留めや急にほころんだ洋服を修復するためのソーイングセット、他にもいっぱい、挙げればキリがないくらいいろいろ入っていた。

恐らく私はこの社会を生き抜く生き物として実に不完全で、彼らから見たら「俺がなんとかしないと!」と思う至るに十分なくらいの姿を私は見せ続けてきたのだろう。だから、歴代の彼氏たちはみんな、良くできたお母さんのようになっていく。

お母さんのようになった彼氏たちは、そのうちどんどんお母さん化が進み、私に口うるさくあれこれ小言を言い出し始める。そのうち「あなたもそろそろお見合いでもしなさい」と言い出しかねないようになる。そうなってくるともう、終わりの始まりである。

年齢的にも、顔つきからも、私はしっかり者に見られることが多い。一族の中でも、肝心なことを知るメンバーの一人にされているし、葬儀屋は喪主を差し置いて私に話し掛けてくる。しかし私はその実、この社会のことをまるで理解できていないポンコツなのだ。ご霊前の名前は薄墨で? それは知っている。でも、誰の名前を書くのですか。死んだ人の名前ですか。(これは実際に私がタクシーの運転手さんと交わした会話である)

いいこと考えた! と私が膝を打っても、まともな人たちはでんでんだいこのように首を振っていることが多い。私はその姿を見て「あんな大人にはなりたくない」とため息をつく。お前にだけは言われたくないと普通に突っ込まれる。

私とはそういう社会不適合者ポンコツなのだ。
コアラが猛毒のユーカリの葉を食べてほぼ一日気絶しているのと同じくらい、ナマケモノがすばやく天敵を見つけてもゆっくりとしか動けないから結局捕食されてしまうのと同じくらい、激おこのミジンコが反撃のために角を出そうするのに数日かかってしまって当然のように反撃のチャンスを逃すのと同じくらい、私はポンコツだ。

私はビゴスやガルビュール、シュラハトプラットなど聞いただけではどんな料理かもわからない料理をレシピも見ずに作れるというのに、きんぴらごぼうや肉じゃがの作り方は知らない。まだ実家にいた頃、肉じゃがを作ると宣言してベーコンを炒め始めたら、姉が横でいろいろ悲鳴を上げていた。

私は人参死番虫じんさんしばんむしという小さな昆虫の名前まで知っているのに、関ジャニとなにわ男子の区別がつかない。

私はどんなに偉い人とでも楽しめる会話術は持っているのに、契約書に目を通すと2秒で気が遠くなる。(でも取扱説明書を読むのは好き)

ああ、私はいつになったらちゃんとした大人になれるのだろう。周囲に、電車の棚に自分の楽器を置いてきてしまう人やコンサートの本番に楽器を持ってくるのを忘れるような人たちがいるせいで、自分はまともなのだとうっかり錯覚してしまうのだ。

違う違う。そうじゃない ©鈴木雅之

ここまでいろいろ書いてきたが、結局私が本当に言いたいこととは、これからは割り箸の袋でササっと箸置きを作れるような大人になりたいということだ。

私が真剣な面で額に汗をかきながら作った様子のおかしい箸置き

割り箸袋で作る箸置きは大人の嗜みなのだ。

おしまい

#誰か
#簡単に作れて
#かっこいい箸置きを
#教えてください

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