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予定通りになる不思議
本日は台風の影響で新幹線のダイヤは大幅に遅れが出ている。
私は天気予報を見る習慣はないが、台風が来ていることはさすがに知っていた。しかしそのせいで新幹線が遅れるということにはまったく考えが及ばなかった。これまでにも触れたことがあると思うが、私には一般常識がない。なんなら自動発券機で切符を買うのもまごまごする。(それなのに首都高速を運転するのには問題はない)今回も狼狽えつつ新幹線の切符を買った後、改札を通ってから「あれ? なんか電光掲示板の表示がおかしいよ?」と気がついたくらいだ。
でも私は知っている。
駅員さんは何も知らないおばさんにとても優しい。駅員さんの優しさについては過去にFacebookで書き記したことがあるので、暇な時にでもご一読ください。
私は駅員さんに切符を見せて「どうすればいいですか?」と尋ねた。駅員さんは優しく「窓口まで行ってください」と答えてくれた。きっと彼はこの言葉を今朝だけで100万回言ってるであろうに。
窓口に行くと「趣味は柔道です」とでも言い出しそうな屈強な駅員さんが対応してくれた。自分が何を聞きたいのかもわからないまま切符を見せると。「あーはいはい」みたいな感じでトントンと画面を叩き「すぐ出発する新幹線に乗れますよ」と切符を再発行してくれた。
これにより、私はあたかも流されるかのようにごく自然にすぐ来た新幹線に乗り、遅れるとかそういうことに思考エネルギーを消費する間もなく定刻通りに目的地に到着することと相成った。
この、流れるようにタイミングがいい感じは私がよく経験することの一つだ。まるでピタゴラ装置のように前へ前へと進む感じ。そのピタゴラ装置は時空を超えた装置で、過去と未来を行き来する。
仕掛けが滞りなく進行するのにはどうやらコツがあるように思う。それは、とにかく「今」に居続けることかなと感じている。
私は何かとクリエイトする仕事をしているが、自分の曲も小説も、仕上がってしまえば過去のものという扱いで、過去のものになったそれらにまったく執着がない。自分にとって大切なものであることには間違いはない。それでも、過去のものには興味がない。こんなに過去の音楽に関わってるのに!
先のことを予定するのは大好きだが、先のことを気に病むことは時間の無駄だと思っている。
同様に、他人が考えているかもしれないことにエネルギーを費やすことも無駄なことだと思っている。
これから起こることも、人が何を考えているかも、明日の為替くらい誰にもわからないことだ。わからないことを考えるほど無駄なことはない。
私は忙しい。
そんなことをしている暇はない。
そうすると、必然的に今、この時点での自分のことだけに注目がいく。予定は立てる。予定のために、今できることをやる。
こう言うとずいぶん私はきちんとした人のように聞こえる。全然違う。きちんとは真反対なのが私だ。私は師匠に「ノリチャン、キチンシテ!」(彼女はカタコトの外国人)とよく言われたものだ。きちんとは何なのか。いずれ、きちんについても記事を書いてみよう。
おや、私は何を語ろうとしていたのか。
つい数分前のことだが、過去のこと過ぎて忘れてしまった。
えーっと、窓口の駅員さんが柔道の人みたいでした。
だったかな。違うか。 ま、いっか。
それにしても、いい天気だなぁ。