#13 いちりゅうきぎょうせんし?
ラスベガスを後にした私は、再びカリフォルニア州へ入ります。そこで、MBA取得のために留学中の会社の先輩に会いに行ったのです。私はそこに居候させてもらいながら、本格的な長旅に向けた準備を整えます。
さて、私はそこでどんな人達と出会ったのでしょうか。
彼らは、夕方になると決まってやってきた。そして、何をするでもなく、廃人のように床に寝転び、時折思い出したかのように頭を抱え、
「ああああー!!! 英語わかんねーーーー!!!」
と苦悩し始めるのである。
今、私の前には、ボーッと宙を見つめる者、体を揺らしながら「やりたくねー…」と念仏のように唱える者、いきなりゴルフのスウィングを始める者等、どうしようもない人間達がいる。
そう、彼らは日本では優秀な企業戦士。そして現在はMBA留学生でなのである。
会社の先輩を訪ねてから、そろそろ一週間が経とうとしていた。私はここで、3人のMBA学生と知り合いになっていた。男ばかりで潤いのない毎日の中、私は少なからず、彼らの凡庸な毎日への刺激になっているようだった。彼らは毎日やってくる。真夜中に現れては、コーヒーを飲んで帰っていく。授業の始まる前にやってきて、ご飯だけ食べて去って行くこともあった。私はここで、自炊用の小道具や食材の準備、さらに長期用レンタカーの手配などを行っていた。ここからの旅はかなりの長距離が予想される。そして初めての場所ばかりを訪れる予定だった。備えあっても憂いはない。
現在滞在している街の名はアーバイン。カリフォルニア州のロサンジェルスから車で1時間くらい南に下ったところである。白い壁の似たようなアパートメントがきれいに建ち並んでいるその一角に、先輩と先輩の友人たちの住まいがあった。FBIが"全米一安全な街"と太鼓判を押しただけあって、犯罪は皆無に近い。周囲は整然とアパートメントが建立し、コンディションの良いアスファルトは、まるで平らな絨毯に置かれた一筋のリボンのような滑らかさであちこちへと延びていた。歩いて行ける範囲内にスーパーマーケットやスターバックスがあって、学生達が重宝している。付近に大きな大学があるので、辺りは学生だらけだ。通りの名前も、有名大学の名前に因んで付けられている。車で20分もしたところに、日本人向けのスーパー『ヤオハン』もあった。ここアーバインでは、便利で快適な暮らしが約束されている。完璧なまでに区画整理されているこの街は、物の調達や手続きには非常に便利だった。西海岸ということもあって、出発地点としても理想的だ。
実は、この街は一般企業が土地を買収して作り上げたものなのである。人が増えて土地が足りなくなれば、砂漠に水を撒いて土地を増やすし、アパートメントのカーテン及びブラインドは白に統一するというルールがあるし、ロスではよく見かけたホームレスの皆さんなども、ここでは絶対にお目にかかれない。美しく、調和の取れた街だが、何か無機質さを感じさせる。まるで、ゲームのシムシティみたいだ。
昼間、先輩は大学の研究室へ行く。先輩はMBAの学生ではなく、研究員として大学へ通っている。そして、知り合った3人の留学生は、昼まで寝てたり、大学へ行ったり、ヤオハンへ行ったりして日々を過ごしていた。まだ授業は本格的に始まっていないとのことだった。日記では絶対に匿名にして欲しい、と強く要望されたので実名は明かさないが、彼ら (仮にAさん、Bさん、Cくん と呼ぼう)は、見事なまでに私の中のMBA取得者像というものを裏切ってくれた。日本ではバリバリと働いていた人達なのに、学生生活に戻ると精神までもが学生に戻ってしまうのだろうか。
Aさんは、英語漬けの毎日で、既に英語に対してアレルギー症状が出ていた。英語の新聞も、広告も、雑誌も、ニュース番組も、プライベートな時間内ではすべて排除していた。突然、昼頃息を切らせて「なんか食いもんあります?」と訪ね来るのはこの人である。
Bさんは、顔黒で常に前髪をピンと立ててキメている30代後半の男性。遊び人の風体ではあるが、実は勉強には人一倍時間をかけている。だが、プライベートな時間では宙を見つめて何かを妄想していることが多い。
C君は、うら若き20代前半の帰国子女。英語も日本語も自由自在だ。彼の実姉との会話も、常に楽に発音できる方向へとスウィングしていく。日本語で話しているかと思えば、突然英語に切り替わったり、という具合だ。いつでもかったるそうな態度のサーファーである。
実際、MBAの授業は(当たり前だが)英語で行われ、内容も専門的なことなので、日本人にはついていくのだけでもかなり厳しい。本格的な授業が始まったら、夜なべで毎日勉強しなくてはならないだろう。今は本腰前の骨休みといったところか。しかし彼らの骨休みとは、骨を取って戸棚にしまって、しばらく骨のことすら忘れよう、というくらいの骨休みだ。…これでは、骨抜きである。
そうえいば、先日YOSHINOYAまで繰り出す道のりで、私の隣で無口に座っていたC君が、突然こう叫んだ。
「あああああああーーーー!!! バカな女とやりてーーーーーー!!!」
その後、C君はニヤニヤしながら、「"えぇ~?うそぉ~。"とか言っちゃう女でさ…それでさ…」と独り言のように呟いていた。学生生活も、MBA取得とまでいくと鬱積するものがあるのだな、と感心してしまった。鬱積するものは他の二人にも溜まっているに違いない。彼らの話題は大抵が講義内容であったが、時折C君のような雄たけびが上がるのである。いや、AさんやBさんはもっと無気力だ。精力のない眼でBさんが言う。
「部屋でうだうだしますかぁ~…」
その後を追って、Aさんが言う。
「うだうだするんだから、お菓子はいらないですね…」
そして、溜まり場と化した先輩の部屋で、いつまでもゴロゴロと廃人のように転がっているのである。これでいいのか、MBAの学生よ!! 会社が知ったら「クビ キコクセヨ」の電報があってもおかしくないぞっ。
そんな毎日を送っているある日。ついに私の第3のハニーとなる、レンタカーがやってきた。真っ赤な色のマーキュリー。私にとって、赤はアンラッキーカラーなのに、三代目ハニーのカラーはO型の血みたいに鮮やかな赤色だった。1,800ccエンジンで小回りの効く小型車。納車してから半年以内の新品だ。走行距離は18,316マイル。トランクもそこそこ大きいし、これなら私の小さなスーツケースと自炊用の食材もゆとりをもって収納できる。オーディオもばっちりだし、ニュージーランドに置いてきたハニー二世とは大違いだ。好みではないが、なかなの器量良し。うーん、これから先はずっとこの車が私の相手になってくれるのか。ハニー三世、旅の間だけだけど、よろしくね。私は彼女のフレームをそっと撫でた。灼熱の太陽に照らされたボディはとても熱かった。
夕方になると、レンタカー来たという知らせを受けたMBA学生達が訪ねてきた。ちょっとした刺激にも敏感である。切ない。
私は彼らに車を見せた。
「いいなぁ。僕も一緒に行きたいなぁ…」
現実逃避な意見である。気持ちはわかるが。
そんな彼らに、降って沸いたような嬉しい知らせが届いた。語学学校を経営している日本人の女性が、生徒達のフェアウェルパーティに我々を招待してくれたのである。20名ほどの生徒はすべて女の子。抗いがたいこの誘いに、彼らは『否』とは言えなかった。翌日が大事なレポートの提出日だったとしても。
私にとっては、またしてもパーティである。これから帰ってしまう、しかも会ったこともない女の子達が集まるパーティに私が行ってなんの得があるのかわからなかったが、先輩も出席するし酒が飲めるので私も付いて行くことにした。立派な家屋で行われているパーティには、若くてかわいいぴちぴちギャルが勢揃いだった。その間に、ブラジル人や国籍不明の人達がちらほら見える。先輩やMBAの学生さんは女の子と食べ物に紛れてしまって姿が見えない。私は、テラスでチビチビとお酒を飲みながら、パーティの参加者達と言葉を交わしていた。ふー、ちょっと退屈。お腹が空いちゃったな。私はビールのボトルを片手に、リビングへ戻ろうとした。
そのとき、私は意外な出会いに遭遇するのである。
(つづく)
そういえば、この時日本食品スーパーで買ったノンオイルのしそドレッシングで牛肉を炒めたら、すき焼きみたいな味になることを発見したんです。その話をA、B、Cさんに話したら「食べたい食べたい」ってすごい駄々をこねられて、私のしょーもない牛肉のすき焼き風の料理を食べてもらったことがありました。絶対そんなに美味しくなかったと思うんですけど、彼らは涙を流す勢いで大喜びしていまいました。
ドレッシングで肉を炒めると普通に美味しいので、実は今でも旅先で時々やります。
さて、次回は、意外な出会いというか、なんならサピオな出会いというか、今まで出会ったことのない人物との出会いについての旅日記です。