チョモランマへの道
大盛りには美学がある。
私がひっそりとやっているInstagramは、食べ物の写真で溢れている。以前はFacebookに載せていたのだが、食べ物の写真ばかり載せているとあからさまに情報操作された脳の輩が「太ったね」などと宣うので奴らから逃れるためInstagramに食べ物の写真だけ移行したという経緯がある。私にとっては私的な健忘録として利用しているものなので、あくまでもひっそりと更新している。大盛りの美学で一目置かれている麺飯屋俵飯の大将が私の写真にコメントしてくれたことがある。それが私のそう長くはないInstagram歴、唯一の私の自慢である。
大盛りをチョモランマたらしめるのには、それに相応しい小さな皿が必要だ。それなのに、私は “実質大盛り” を求めるがゆえに持ち皿すべてが大皿なのだ。なんなら調理器具も大量調理が可能なサイズだ。
さて、手持ちの皿でチョモランマをこさえるのはなかなか大変だ。今回の登頂挑戦でよくわかった。
先日の記事でチョモランマ焼きそばなるものに挑戦するつもりだった私は、さっそく焼きそばの調理に取り掛かった。すると程なくインターホンが鳴った。隣りのおばさんだった。怪我のお見舞いにと寄せ鍋と大きな茶碗蒸しを頂いた。これらだけで一食として成り立つ量だった。おばさんは「これで夕飯をわざわざ作らなくてもいいでしょう」と言っていた。いや、これから作ろうとしていたのだ。それもチョモランマという大物を。
麺を6玉から2玉に変更した。チョモランマに立ち向かう前に頓挫してしまった私のチョモランマ登頂。しかも、素焼きそばを宣言しておきながら途中でひよって野菜を入れてしまった。使い切らねばならないしらすも入れてしまった。私の初心は口の中で溶けてしまう超高級和牛のように消えてしまった。
別の日、残りの4玉でチョモランマ焼きそばに挑戦した。チョモランマに至らない分は悔しいが野菜で補うことにした。
本当は具材なんか青ネギと紅しょうがだけでよかったかと今更後悔している。しかし、この時私には使い切ってしまいたい牛肉があり、キャベツがあったのだ。これでチョモランマへのかさ増しができるだろうか。私は熱きチョモランマへと思いを馳せ、ふと「そういえばすき焼き最近食べてないな」と思考が寄り道したところで気がついたら牛肉をすき焼き風に味付けしていた。キャベツと牛肉を甘辛く味付けしたそれは、もしかしたら憧れの半田屋メニューにもあるかもしれなくらい白飯と相性が良さそうだった。
こうなると焼きそばの味付けはソース味も塩味もふさわしくないように思えた。私は冷蔵庫にあった白だしを取り出し、麺に味付けした。
ちなみに、サムネにある画像は4玉の焼きそばを焼き付けカリッとさせたものだ。基本的に私は焼きそばをこの ”焦げ” を大切にしている。餡をかけても、具材と混ぜても、ところどころこのカリッとした食感と香ばしさが焼きそばの美味しさを倍増させる。
やはり、小さな皿にみちみちに盛らないと大盛り感が出ない。俵飯の大将を見習いたい。
ところで、後日書いた記事ではチョモランマオムライスに言及していたので、オムライスにも挑戦してみた。私としては、薄い卵焼きにチキンライスを包むタイプは難易度が高すぎて無理なので、ふんわり卵を乗っけるタイプのものにしてみた。
ちょっとわかりづらいが、けっしてチョモランマではないことは確かだ。何がいけなかったのだろう。怪我をしているからフライパンを煽るのが難しいと判断して重量を減らしたのがいけなかったのだろう。そうは言いながらも、それなりに量はあるので(ご飯400gくらい)ふんわり卵がご飯を覆うに至らず恥ずかしげもなくご飯が漏れ見えてしまっているところがいやらしい。ちなみに、トマトライスにはチキンがなかったので極太サルシッチャを使ってみた。そして見るたびに追い詰められる思いだったビッグマッシュルームを全部入れた。一瞬、マッシュルームで全てが覆い尽くされる勢いになったが、縮んでくれてよかった。
美味しかったけど、足りなかった。
やはり、チョモランマサイズにしなくては。
もっと小さいお皿と鋭い思い切りを手に入れて、なんとしてでもチョモランマを達成しなければ夜も眠れない。
さぁ、次は何をチョモランマろう。