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そして私は魚になった

当時の私は洗いざらしの黒髪ロング。TシャツGパン、ビーサン姿で今の職業からは程遠いほどお洒落には無頓着でした。

※ 長いです。(5,200文字程度)


タウポに向かう朝のことだった。
隣で寝ていたカルメンが飛び起きるなり、こう言い放った。

「さー、のりこ。今度こそ逃さないわよ。前髪を切るの。それも、たった今!」

眠い目をこすりながら、えー今ー?と思いながらも、一生懸命いい訳を考えていた。

彼女は自分で髪の毛を切る。前髪どころか、髪全体を自分で切ってしまうのだ。彼女のヘアスタイルは、ツンツン立ったショートヘアで、パンクとお洒落ぎりぎりの線上にある。彼女を信用していないわけじゃない。しかし、彼女のセンス次第で、どんな前髪にされてしまうかは見当もつかない。友情と美意識の狭間で私の心が揺れた。

ここのところ髪の毛のことなど気にしていなかったものの、前髪がうっとうしかったのは確かだ。そんな私に対して、カルメンはうっとうしそうに自分の前髪を払い、こう言うのだった。「あー、のりこ。前髪、邪魔じゃない?切ってあげるわよ」私は自分で自分の前髪が切れない。不器用なのだ。ついでに言うと、ポニーテールも自分では出来ない。やろうと努力をしてみたことはあるが、汗をかいた挙句、出来なかった。所詮、おしゃれには縁遠い私だ。ドレスに合わせて髪型を変えるなんてことは、生活振りからも無縁に近い。夏でも冬でもGパンにTシャツ。だから髪型も変えない。あ、三つ編はできるよ!ずっと前練習して、上手になったんだ。えへん。

毎回、なんとなくその場しのぎのいい訳を考えながらごまかしてきたのに、今朝のカルメンは容赦なかった。ぐずぐずする私のふとんをひっぺ返し、鋏を片手にバスルームへと私を追いたてる。まるで私は蛇に睨まれたチューチューマウスだ。

数分後、私は流しに散らばった自分の毛を眺めていた。
長いのも短いのもごちゃごちゃになって散らばっている。「ギザギザに切ると自然な仕上がりになるのよ」と彼女は言った。しかし、鏡に映る自分は、ただの散バラ頭になってしまった鼻くそみたいな女だった。そうは言うものの前髪がすっきりしたので気分は非常にいい。視界はクリア、目に突き刺さるような感じもしなくなった。

「すっきりしたでしょ」

うん。今日から前髪がサングラスにかかることはないんだね。ありがとう、カルメン。

散髪して気分も新たに、我々はタウポに向かった。タウポには、北島で一番大きな湖があり、周囲は川や山で覆われている。今はオフシーズンなので人はまばらで閑散としているとのこと。

2,3時間のドライブで、我々はタウポに到着した。今回のバックパッカースは、前回と違ってアダルトな客が多い。リビングルームで静かにくつろいでいると、無茶苦茶かわいい日本人の女の子が走り寄ってきて、カルメンに抱きついた。

「カルメンーーー!!どうしてここにいるのーーー???」

彼女の名前は、サヤカ。カルメンとはWhangareiで仲良しだったのだけど、転々としているうちに連絡がつかなくなってしまったとか。カルメンも驚いている。「サヤカー!何度もメール出したのに、返事をくれないんだもの」二人とも偶然の再会に驚いている。ニュージーランドは小さな国だ。こんなふうに偶然の再会ができるなんて、アメリカじゃまず出来まい。
サヤカは、昼は私達が宿泊するバックパッカースで、夜は日本食レストランで働いているという。

「すっかりタウポが気に入っちゃって。もう、散策したり温泉に行ったりはしたの?」

え?温泉?ピクリと反応する私達。サヤカは、まだだったら、と言って"Nature spa"のことを教えてくれた。タウポの町を流れる、ワイカトリバーに、自然の温泉が涌き出ているという。今回のプロジェクト名が決定した。『大自然の中、Nature spaを堪能する』 である。Hot Water of the beach の屈辱の記憶も新しい私達は、翌日さっそく"Nature spa"に行ってみることにした。

何度も「カルメンが起きた時、まだ私が寝ていたらちゃんと起こしてね」と頼んでおいたのに、私が目覚めたときには、もはや誰もベッドにはいなかった。ちくしょー、また寝坊だ。時計を持ち歩くのがキライな私は、今の時間がわからない。日の照り方からいって、恐らく9時半くらいかと思う。シャワーを浴びに行こうとすると、カルメンが帰ってきた。「のりこー、なんてお行儀の悪い子なの。もう10時よ。起きて起きて!早くシャワーを浴びてきて!今日はHuka Fallまで散策するんだから!」 うぃー、すぐに支度をしてくるよー。

手早く支度をすませ、45分後にはすべての支度が整っていた。時計は11時近い。お昼ご飯は帰ってきてから食べるということにして、我々はさっそく散策に出かけた。

Fuka Fall (フカ滝)までの道のりは、川に沿って森の中を遊歩道が整備されている。トレック時間は往復3時間と軽いエクササイズとして調度良い。カルメンと私は悠々と流れるワイカトリバーを左手に歩き始めた。ワイカトリバーは深くて広い。川の水は、さんご礁でもいるんじゃないかと思うほどどこまでも青く、どこまでも澄んでいる。冬でなければ、絶対に泳いでみたいところだ。泳げないけど。

静寂の中で、枝を踏みしめる音と、風に揺れる枯葉の音は、冬になって眠っている山を思わせる。私達の息は白いが、体は温かい。突然、カルメンが立ち止まった。

「もう、引き返したほうがいいと思うの」

我々の出発が遅かったので、Huka Fallまでマジメに歩いて引き返してくると、温泉を散策する時間がなくなってしまう。既に時計は1時を回っており、日暮れ前に温泉計画を敢行するのは難しくなってしまう。私達は、Huka Fallをあきらめ、引き返すことにした。今回のメインプロジェクトはそう、Nature Spaなんだから。

Nature Spaはこのワイカトリバー沿いにあるはずだった。地図を広げて確認する。よしよし、こちらの方向だぞ。お、湯気が見えてきた!湯気だーお湯だー!どこからか、熱いお湯が涌き出ていて、ワイカトリバーの支流となっている。でも、緑色の物体が底にへばりついていて、あんましきれいには見えない。しかも、どうみても水の量は膝より低めだ。私達は、川上のほうへ歩き、なんとかお風呂スポットを探そうとやっきになった。しばらくすると、腰をかけられそうな橋を発見した。その下を湯気を立てた川が流れている。川量はやはり膝丈くらいだが、橋に腰をかければ、座りながら足を濡らすことが出来る。私達はズボンを膝まで捲し上げ、靴下を脱いで、お湯の中に足だけを入れることにした。いくぜーーーっ。わくわく。

「うわぁっちっ!!!」

ひー、熱いよーーー。火傷しちゃうよーーー。
私達は川上の方へ歩いてきてしまったので、温泉の温度の高いポイントまで来てしまったようだった。しかし、ここまで来たのだ、プロジェクトを敢行しなくてどうする!?恐る恐る、再び足を浸す。しかし、10秒として我慢できない。そういえば、熱湯のお風呂に浸かりながら、自社の商品を宣伝する番組があったっけ。ああ、私の足、真っ赤になっちゃってる。

私達はあらかじめ水着を着てはこなかった。茂みで着替えようと思ったのだ。しかし、そんな都合よく着替えられる場所は見当たらない。それ以前に、こんな熱いお湯に浸かることは到底無理だ。私達は宿へ引き返すことにした。お腹も空いた。

川下へ下る途中、小さな橋の下で人の話し声が聞こえた。ふと見下ろすと、水着を着て、お湯に使っている人々がいる。おお!もしかして、ここが本物のNature Spa スポットだったんじゃない?真っ赤になるまでやせ我慢をして、足をお湯に浸していた私達って一体…?このスポットは、熱すぎるお湯と本流のワイカトリバーの水が混ざり合って、調度良い湯加減になっているとのことだった。お昼ご飯を食べたら、さっそく戻ってこよう!ということになった。

私達がワイカトリバーに戻って来る頃には、日が暮れ始めていた。今度は水着も着てきたし、タオルも持ってきたし、準備万端だ。しかし、日暮れ時なので、辺りには誰もいない。日が沈む直前で、空には早めの星が出始めている。足元が危険なので、少しだけでも明かるいうちに、パパパッと服を脱いで川まで降りる。ぬるぬるした岩に足を取られないように気をつけなくちゃ。暗がりだから、緑色の藻みたいなのが見えなくてちょうどいいや。
ようやく川まで辿り着く。人のお尻がすっぽりハマるくらいの深みにワイカトの水と支流のお湯が混ざり合っている。岩がゴツゴツしていて足が痛い。恐る恐る、そこに腰を下ろす。…おおおおお!いい湯加減!感激だ。ついに、私達のお風呂計画が実現した。Hot Water of the beach の屈辱も洗い流されて行くかのようだ。ふと見ると、カルメンも自分のスポットを見つけて実に気持ちよさそうだ。腰を下ろした目の前に、雄大なワイカトリバーが流れていく。その向こうの丘の上には、ロッジが立ち並び、黄色い灯りが温泉気分を盛り上げる。岩に背をもたせ、ポカンと口を開けて仰け反ると、逆さまの空に朧月が現れた。私の耳に聞こえるのは、岩を打つ支流の音だけ。まるで、自分が森に生息している猿か小動物にでもなったような気分だ。

おや、上の方で誰かが私達を覗いているよ。背の高い、中年の白人女性だ。こっちに向かって口をパクパクしているのは、何か私達に話しかけているのだろう。川の音でよく聞こえない。にっこり笑って手を振ると、女性の姿が見えなくなった。私は再びワイカトの流れに目をやり、くつろぎ始める。用心深いカルメンは、警戒してそちらをじっと見つめている。突然、カルメンがささやいた。

"She's comming !" (彼女、来るわよ!)

おーけー、仲間が増えるわけね。いいんじゃない?と私は目を閉じながら請け応える。

"Noriko!! SHE IS NAKED !!!" (彼女、裸よ!!!)

なにーっ?さすがに私も振り返る。
うおぉーーーーっ!裸だよ!裸!!!すっぽんぽん!!40代そこそこという年齢のおばさんだが、タオルで体を隠すでもなく、注意深くこちらに向かって降りてくる。あああああ、絶対に転ばないでよ。裸でこんなゴツゴツの岩を転げ落ちたら、血だらけだよ。しかし、日本人がみんなと一緒に裸で温泉に入るというのが信じられないなどと言っている西洋人でも、こんなにあけっぴろげなのかね。

ハイ。とおばさんが挨拶をする。おばさんはドイツから来た旅人だという。「温かいわね。川で体が洗えるから、今日は宿は取らずに車で寝るの」と満足そうだ。暗がりの雄大な自然の中、彼女が裸であることは、至極当然のような気がしてきた。"そこに川があるから"と言って、服を脱いで川の水を浴びる。かつて人々はそういう生活をしていたんじゃないか?こんなところで、水着を着て川に浸かっている私達って、一体何者なんだろう?

橋の上で、老夫婦が何か叫んでいた。私達は親指を突き立てて合図をする。老夫婦は満足気に頷いて、影に見えなくなった。しばらくすると、この二人も、少し離れたところで、やはり素っ裸になってNature Spaを楽しみ始めた。誰も彼もみんな裸だ。私達を除いては。朧月夜、川に浸かりながら、静かに大人達が大自然に溶け合う。ああ、どうして私は水着なんか着ているんだろう。

そんなことを考えていると、おとなしそうな若い男の子がこちらを見ているのに気がついた。じっと見ている。...やっぱり水着を着ていてよかった。あ、彼が降りてくる。ぶかぶかの短パンを履いてるぞ。彼はこちらに歩いてきたが、私達からずいぶん離れたところへ浸かり始めた。女性ばかりがいるところは恥ずかしいのだろうか。でも…お兄さん、そこはちょっと寒すぎやしないかい?冬の寒空、彼は支流からだいぶ離れた素のワイカトリバーに浸かっていた。それ、温泉じゃなくて、ただの川の水だよ…。

そろそろのぼせてきたので、車まで引き返すことにした。濡れた水着の上にGパンを履く気分にはなれない。私はTシャツだけ着て、タオルを腰に巻いて車まで歩くことにした。カルメンは熱いと言って、水着のままで歩いている。
温泉から離れた瞬間に、私達は文明の世界に戻ってきてしまった。
だというのに、心は未だに自然にかえったままで、誰がどうみても水着姿でいるのはおかしいという状況でありながら、ちっともそんな気分がしない。幸い、誰にも見られなかったけれど。
誰もいない駐車場で、人目も気にせず いさぎよく水着を脱いで着替えた。お月様はさぞかし当惑したことだろう。

(つづく)


裸のおばさんが岩肌を下ってきた時は本当にひやひやしましたが、自然をリスペクトしている感じが伝わってきました。ちなみに、お湯から外れてただの川の水に浸かっていた男子とは同じ宿だということが判明しました。彼はアメリカ人でした。NZでアメリカ人と出会ったのは後にも先にも彼だけだったような気がします。

次回、ついにカルメンとお別れです。

#何者でもない私 #ということは何にでもなれる #生身の体で岩肌を転げ落ちたらあらぬところまで血だらけです #気を付けましょう #今はポニーテール出来ます

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