日記_20210220(言葉に潜む文化。暗黙領域の意識)
良妻賢母
悪妻・鬼嫁
日本語は、
婚姻関係を結んだ女性に対する評価を意味するが多い。
それに比べて、男性に対してのそのような単語が
極めて少ない。
それは何故か?
日本社会が男性社会で、
・男性は、評価する側
・女性は、評価される側
という、暗黙の了解が存在してしまうからだ。
似たようなもので、
・ヒモ
は、
働かず、女性に寄生するような生き方をする男性を示す。
ここには、
・男性は働くもの、女性を養うモノ
という意識が見え隠れする。
なのに、
40代前後のニート・引きこもりは
男性が圧倒的に多い。
窮地に立たされた時、
非常時、火事場のクソジカラを発揮するのは、女性。
臨機応変な対応が出来るのは、女性。
男性性の得意分野は、『計画をたて、通りに実行』
というもの。
その建前で、これまでの平時(?)は、
男性の給与が高く見積もられていた。
先読みをし、計画を立て、無駄なく廻すことが出来れば、
効率がよく、稼げるから。
しかし、今は、一寸先は、真っ白、白紙。
その状態を、女性性のパワーで乗り切っているというのに、
評価は、限りなく低い。追い付いていない。
そろそろ、意識を入れ替え、現状に反映させる必要が
あるのではないだろうか?
女性が稼げるようになってしまうと、
男性が不要になる場合があるから、
その点に関しては、自己の魅力を磨かず、
男性社会の制度にのっかり、楽してきた人は、
覚悟しなければいけない時代になっているとも言えるのではないだろうか?
それでも、献身的な女性、
ダメンズ・メーカーのような(自己評価が欠落している)人も、
一定数いて、バランスを取るのかもしれない(共依存型)。
しかし、健全じゃない形は、いつかは破たんするものだ。
というわけで、老若男女問わず、
今の内に自分軸をしっかりと取り戻しておくことを、
ただ、ひたすら、オススメする。