老猫の保護施設をつくりたい
こんにちわ。猫12匹と暮らすハンドメイド作家のてばさきです。
この記事は、数回にわたってお届けする、「クリエイターが動物保護活動の支援をする取り組みのアイデア」です。なのですが、今回はタイトルをこのように変えました。
前回の記事「クリエイターだって動物保護活動の支援がしたい②」の最後に書いた、私の最終目標「老猫の保護施設運営」について、思いを綴ります。
安全で平和な終の棲みか
私が目指すのは、老猫が無理をせず、暑さ寒さをしのぎ、穏やかで静かな老後を送ることができる、最後の場所です。
つまり、譲渡を目的としません。
かつて我が家にも、お爺ちゃん猫がふたり、いました。
どちらもエイズキャリアで、そのうちのひとり、レオは腎臓病を患っていました。
エイズを発症し、最期は苦しかったろうと思います。
母の腕に抱かれたまま、息を引き取りました。
もうひとりはゲンさん、彼はすでにお爺ちゃんになってから出会い保護した猫で、エイズの発症はみられなかったものの、保護当時負っていた深いケンカ傷が完治するまで、じつに半年かかりました。
レオ君もゲンさんも、それぞれ、体調を崩した最初の頃や、保護した直後は受診しましたが、そのあとは先生と相談のうえ、猫を連れずにお薬を受け取りに行くという方法で治療を続けました。
特にレオ君は、家族には甘えるのですが病院が大嫌いで、カルテに『暴』と記されたほどの猫でしたから、何度も通院させるのはあまりに酷でした。
ゲンさんは対照的に、とても穏やかなお爺ちゃんでしたが、それでもやはり、なかなか治らない傷の治療薬を受け取りに行くためだけに、年老いた彼が車に乗せられて何度も通院するのは、かえってストレスで具合が悪くなるだろうと、傷口の写真を撮って先生に経過を見てもらったりしていました。
そんなふたりの爺ちゃん猫の闘病と老後の生活を支えて、私は「老猫たちのための、無理をさせない、ひたすらに穏やかな、最後の居場所」を作れたら、とぼんやり考え始めました。その頃はまだ、文字通り「夢」でしかなかったけれど。
人間のジイとバアを見送って
私の祖父母はふたりとも認知症で、最後は本人たちの年金でもって、地元のとても優しい施設にお世話になりました。
矛盾に聞こえるかもしれませんが、家族だからこそ、優しくなれない瞬間、泣きたくなる時が、たくさんありました。そしてそんな自分が嫌になる。それが私と母の、在宅介護でした。
だから、介護士の人たちはまるで天使のように見えました。
冗談抜きで、後光が差しているようでした。
いろんな施設があるとは思いますが、祖父母がお世話になった施設は本当に、本当に優しくて穏やかで、楽しいことをたくさんやってくれる、素敵な場所でした。
祖母は最期、まるで既に肉体から魂だけ抜けたような状態で数日間ただただ呼吸をしていましたが、そんな状態の祖母の口内洗浄を、「お茶がとっても好きですからね」と、あたたかい緑茶で行ってくださった。
甘いものが大好きな祖父が、どんどん顎の力が弱ってくると、あんこを溶かしてゼリーを手作りしてくださった。それも、ニコニコと嬉しそうに。
祖父母はなんて運が良く、恵まれているんだろうと、今でも心から思います。
認知症がまだ緩やかだった頃、祖父はかかりつけ医にこんな事を言いました。
「年金だけが、おれの価値だな」
すると、ご自身もひとりの高齢者である先生はこう答えたのです、「それもあなたの力だ」と。
私はその言葉を聞いた時、胸が熱くなりました。
年を取るということ、それは、これまで何の疑問もなくやれた事が、ひとつずつ難しくなり、やがてできなくなることなのだと、私は祖父母から学びました。
そして、そうなった時支える周囲の言葉、行動、環境、すべてが、人生の最後をどんな色で仕上げるかを左右する。
それは猫も同じです。もちろん犬も、鳥も、人間と共に「家族」として生きてくれたすべての動物たちの最後の時間を、闘病の苦しみはあれど、できる限り穏やかで、安らかなものにしたい。すべきだと、私は思うのです。
人間という動物の責任
我々人間は、今この地球上に於いて、どう考えても支配者です。
人間中心の世の中で、犬や猫といった、長らく「ペット」と呼ばれ続ける種の動物は、圧倒的に弱者であると言わざるを得ません。
しかし本来の、ヒトという動物はどうでしょうか。
するどい牙も爪も、土埃を上げて駆け抜ける強靭な四つ足も、空を舞う翼も、水中を自在に泳ぐ尾びれも、骨をも砕く顎の力も、なにもかも、私達は持っていません。
しかしヒトという動物は圧倒的な知性を持ち、道具でもって野生動物から身を守り、その肉をいただき、生きてきました。
ただそれだけなのです。進化した人間が、この地球上で、宇宙のほんのひと時の中で、道具を増やし表面的な強さを持ち、性質の優しい犬や猫といった動物を傍に置き、彼らを「弱者」にしたにすぎないのではないでしょうか。
野生動物の居場所を侵害してきたことに対して、自然を取り戻そう、彼らの保護区を作ってハンターから守ろうという取り組みは当然の償いであると思います。
では、「ペット」として選ばれた種に対しては、どうでしょうか。
可愛い子を店で買い、都合が悪くなって捨てる人がいます。
お金を稼ぐためだけに、劣悪な環境で彼らを出産マシーンのように扱う者がいます。
どんどん可愛い姿にしたのも、我々人間ではありませんか?
突き詰めると、「人間は滅びたほうがいい」という考えに至るかもしれません。しかし、私はそうは思わないのです。
人間の傍で進化した彼らは、もはや野生に還れません。
野良猫の平均寿命は5年と言われています。それは病気だけではなく、事故や、言葉にするのも嫌ですが虐待も含まれます。
人類はまだ滅びてはならない。彼らへの償いが終わるまでは。
私はそう思うのです。
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回はどんな記事にしようか考えている段階ですが、よろしければまたお越しください。