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雨の日の憂鬱

雨の日が好きな人はどれくらいいるのでしょうか。
ふとした疑問です。

かくいう私は雨の日が好きではありません。理由は結構たくさんあって。

ジメジメしませんか? 「除湿すればいいじゃないか」という人もいるかもしれませんが、除湿って効いてるかどうか疑問なんです。
湿度計では確かに数値は下がってます。でも、実感できないというか。多分、「雨の日」という固定概念がそうさせるのだと思います。

そもそも数字なんて当てにならないんですよ! ルートなんていつ使うんですか!
あ、これは別問題か。数学は活用したところを思い出せないけど、算数の計算は実用的ですもんね。割引き価格とか時給計算とかコンビニの弁当とスーパーの弁当の差額とか。(お金のことばっかりになってる)

話は逸れましたが、湿度って数値より体感の問題だよね? って話です。
つまり、私からしてみれば、湿度計の数字が本当に正しいのかさえも信頼できないんですよ。

「そもそも湿度計を置かなければいいんじゃない?」という声が聞こえてきます。そうですよね。置かなければいいんです。ただのオブジェになっていますから。

ちょっとだけ言い訳をさせてもらえますか?
ジメジメしてるのが嫌なんです。(さっき聞いたって?)そこからの話をします。
試しにエアコンの除湿ボタンを押してみると、動き出すんですよ。動き出すのはエアコンだけではなくて、私の中の淡い期待も一緒に。ちゃんと除湿してくれれば、きっと体感も変わってくるだろうっていう期待が。

なのに! 私の期待を裏切るんですよ、除湿ってやつは!
除湿しているのに部屋はジメジメしっぱなし。

何度もエアコンに尋ねてます。「そこに愛はあるんか?」と。
その質問にエアコンは運転しながら、必死で「愛を伝えたいんだとか」。
でも、伝わって来ないんです。エアコンの片思いになってしまっているのは分かってます。そりゃ私だって、できればその思いを大事にしてあげたい。

なのに恋路を邪魔する奴がいるわけです。
そう、奴の存在。名前は「湿度計」。
数字というカラクリを持って、私たちの前でほくそ笑む。一番タチの悪いタイプ。

この邪魔者を作ったのは誰ですか?
さぞかし偉い人なんでしょうね。これほど上手く関係を引き裂くのですから。

でも、湿度計の数値が下がっていくのは、エアコンとしては好都合だったりもします。だって、頑張ってるのを可視化してくれるんですもん。手助けをしてくれる心強い味方が出来て、片思いが実るかもしれません。

そんな愛情に私は振り向きもせず、苛立ちすらも感じてしまう。実らない恋ほど辛いことはないのに。エアコンは確かに頑張って除湿してくれてるはずなんですよ。私に実感がないだけで。

そもそも暖房と冷房には温度設定があるのに、除湿には湿度設定がないんですか? それとも、最新のものにはついているのでしょうか? 少なくとも私のものは設定できません。

「もう除湿の機能を使わなければいいんじゃない?」って。
ジメジメするんです!
堂々巡り。
期待できない除湿に意味はないのでしょうか。

そして、あの邪魔者。意味を持っているのか分からない、あいつですね。
「捨てましょう!」と言いたくなりますよね。
確かに捨てることで解決するのかもしれません。でも、数学じゃなくて算数だと感じてしまう。役に立つ気がしてしまうんです。
これも堂々巡り。

そもそもこんなことになったのは「雨」のせいでしょ!
雨さえ降らなければ、ジメジメしないし。除湿も湿度計も使わなくて済む。
だけど、そんなことを言っても、ここは日本。四季があるわけで。それは無茶な話。

え? 「エアコンじゃなくて、空気清浄機も試してみれば?」って。
その手もあるか。でも、予算の都合もあるし。ちょっと計算をしてみないと。

あ、ここでも出てくるんですね、数字。
だから、「数字は信用ならないんです」ってば!

もう雨が悪いんじゃなくて、数字が悪いような気がしてきました。
雨の日のが憂鬱というより、数字を見るのが憂鬱ということか。

ジメジメ、除湿、湿度計、算数。
まるごとなくなってしまえば、どれだけ楽なのだろうか。
でも、そんな淡い期待もきっと裏切られるんでしょうね。

随筆家(エッセイスト) 兼高貴也

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兼高貴也
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