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心と体と、部屋の歪みと。
定期的にカイロプロティクスに通っている。
妹の旦那のお姉さんがカイロプロクターなので、帰省のたびにお願いするようになった。
妹の旦那のお姉さん。....義理の姉?なんと呼べばいいのだろう。ここでは、お姉様と呼ばせていただく。
ところで、カイロプロティクスってなに?または、整体と何が違うの?と思われる方多いと思うので詳細を引用したい。
「カイロプラクティック」と「整体」の施術の目的の違い
「カイロプラクティック」は身体の歪みをつくるおおもとの原因を探して背骨や骨盤を矯正し、身体全体のバランスを整えていくことがアプローチの目的であるのに対し、「整体」のアプローチの目的は身体の歪みが出ている部位を直接矯正していくことにあります。
整体に近い。けれど、私にとっては特別ここが痛いから通うというよりも、定期的に全身の歪みを整えてもらうような、そんなイメージだ。もちろん痛みで悩んでいる方にもおすすめしたい。
私が受けている施術では、体をほぐす前に、まずは骨盤や肩の位置の左右差を確認することから始まる。2〜3ヶ月のペースで受けているが、これがまた笑ってしまうくらい毎度毎度歪んでいるのだ。(※効果がないということが言いたいのではない)けれども、少しずつ回数を重ねるごとに、その時の自分の歪みを知ることで、数ヶ月間の自分の暮らしを振り返ることができるのもまた面白い。
さらに面白かったのは、右肩が左肩よりも後ろに開いていて、つまり、上半身が右に回旋していたことがあり「右側にいつも大切なものがありますか?」と聞かれたことがあった。なんて素敵な質問なんだ....と、この瞬間からお姉様が、そしてカイロプロティクスが大好きになってしまった。さて振り返ると、その頃彼との同棲が始まって、キッチンに立つと右側にダイニングテーブルがあったため、少し右を向きながら会話をしていたことを思い出す。そして実は私は左耳が聞こえにくい。そのため右側に人がいる場面が多かったりするのた。
日常の癖や暮らしが歪みと直結していて、どんな占いよりも信憑性があって感動した。
初めて受けた時は、長年のデスクワークで形成された巻肩によって涙が出るほど激痛だったのは忘れもしない。今ではもうほとんど痛みはないが、たまに、今回は肩がすごいですね〜とゴリゴリされることもある。そんな時は、ああ、私、最近仕事頑張ってたな。と思えるようになった。なんというか、顔や体は生き様をしっかり映すものだなと改めて思うのだ。
さて、ここまでは体の話。
ここからは最近の心の話をしたい。
最近、なんといっても部屋のことでモヤモヤしている。インテリアの投稿をInstagramでしているのになぜ?と思われるかもしれないが、私は最近、限界を感じている。
インテリアに興味を持つようになってからは、Instagramに流れてくるたくさんの部屋に釘付けになったし、何気ない暮らしがコンテンツになることに驚き、他者の暮らしにものすごく憧れた。
そんな憧れや好奇心は私を高い位置まで持ち上げてくれた。(ここで言う高いは、フォロワー数とかではなく、己の憧れに少しずつ手が届いてきているようなそんなイメージ)
次第に憧れ始めた北欧名作家具。ビンテージの花瓶。ステンレスで統一されたキッチン。お値段は張ったけどインテリアに興味がない友人に見せたら「ニトリ?」と言われたアイテムもある。
どれも思い出深く大切なアイテムたちだ。
一度にたくさん買うことはできないからこそ、少しずつ少しずつ、貯めたポイントやボーナスで迎入れると、遂に我が家に来てくれた!と素直に嬉しかった。
だけど、汚れや雑多を排除して、SNSやメディアでかき集めた憧れだけでまとめていくと、そこには生活感や個性はなく、調和の渦に飲まれている、ただただつまらない部屋のように感じてしまうのだ。
なんだかなあ、としばらく自分の部屋にモヤモヤして過ごしていた10月中旬。たまたま帰省する機会があった。(ちなみに先に述べたカイロプロティクスも受けた)
実家はとにかく物が多く、どこかの引き出しを開ければ、なんでこんな物まで取っておいてあるの?と思うような、まさにガラクタが隙間なく詰まってる。部屋全体に足の踏み場も少ないが、私は居心地が良くて大好きだ。
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私は自分の部屋にプラスチックの植木鉢があると、そのツヤや軽く見えるチープな質感がどうしても許せなかった。実家では猫のマスキングテープでぐるぐるデコレーションされてたり、なぜか貼る前よりもチープなのにそれが愛おしい。
この乱雑さは、建築雑誌やメディアの表紙になることはない。けれど、その空間に人が生きている感じがちゃんとする。
そしてもう一つ、もやもや期に一冊の本に出会った。
都築 響一 TOKYO STYLE
建築関連の本に出てくるような生活感の無い部屋と対局な、東京の生活感たっぷりの部屋の写真集だ。乱雑に積まれた本や、脱ぎっぱなしの服、シンクの中の食器。埃っぽさまで心地よく香ってくるから不思議だ。
私は、無意識のうちにこうあるべきというルールがあって、そこから抜け出せなくなっていたんだと思った。「つまらない」と思うのは当たり前だ。
最後に、つい先日、劇場版「ミステリという勿れ」を観た時、菅田将暉演じる主人公、久能整くんのセリフが印象的だった。
それ僕いつも思うんですけど
自分が下手だってわかる時って 目が肥えてきたときなんですよ。
本当に下手な時って下手なのもわからない。
ゆがんでたり間違ってたりはみだしてても気付かない
それに気付くのは上達してきたからなんです。
だから下手だと思った時こそ伸び時です。
つまらないと思った部屋だけど、最近は模様替えをしてみたり、たったそれだけでも気持ちが落ち着いてきている。
私にとって体の歪みも、部屋が少し乱れていることも、生きた証と捉えたい。まっすぐ正しく生きることは難しいから、曲がったり、迷ったりもして、それらを体や心に刻みながら生きていると思うのだ。