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対話するように発信する。
インテリアと暮らしにまつわる細々としたことをインスタグラムで発信をしている。
役立つ情報を取り上げてるわけじゃないし、信念があるのか?と言われるととても難しい。
けれども、一丁前にPR投稿もしてたりするわけで、無責任ではいられないからやっぱり"発信"なんだと思う。
先日、ストーリーズの質問機能で「なんでもどうぞ」と呟いてみた。
家具どこのですか?とかそのような質問に備えてみたり、そもそも私なんかに質問なんてくるんだろうか...?と呟いたことを後悔してしまう。わざわざ感情が起伏する行動を自分から取ってしまうのはなぜだろう。
その日の夜は、純粋にどんな人と繋がれているのか知りたいと思った。実はこの前久しぶりにほぼ愚痴のようなnoteを投稿したのだけれど、話を聞いてもらえた!ような手応えがあったのだ。あれだけ凝り固まってガチガチの思考だったのに、ふわっと呼吸できる余白が生まれた感覚が、確かにあった。
だからなのか今度は話を聞いてみたいと思ったのかもしれない。
しばらくして通知が鳴る。
「なんでもどうぞ」と言っているので、質問やメッセージ、お悩み相談までいろんな言葉が届いた。
もしも、私が私をフォローしていたら、たくさんの情報が流れるストーリーズの中の「なんでもどうぞ」に対して、わざわざ手を止めて言葉を書き出し、本人に届けるだなんて、あまりにハードルが高すぎる。
だから、届いた言葉はどれもとてもとても嬉しかった。
初心者におすすめの植物はなに?という質問にできる限り答えてみる。顔も名前も年齢も価値観も分からない相手に適切に回答できてるだろうか...の不安は付きまとうけれど、この質問が来なければ今日の私は植物について思い出すことすらせず、お風呂に入って寝るだけだったと思う。話を聞いてみたいというささやかな興味から、思考する時間が持ててとても楽しかった。そして"会話の"ようでありつつも、こちらの言葉がまとまるまでゆっくりと返すことができるのも心地がいい。
ちなみに植物に関して言うと、私は初心者ではないけれど、正しいかどうかも分からないままとりあえず育てることができている人間です。
世の中には、というか私の周りにはこういう事象で溢れている。
迷わせるのは選択肢の多さだ。それが億劫で始められないという人は、たぶん多い。コーヒーなんて、よく見るYouTuberのアイテムをそっくり真似たし、保険なんてほけんの窓口で進めてもらったまま入った。正しく使いこなせているかは...ちょっとよく分からない。とりあえず植物は生きているし、私は最低限のリスクに備え、毎朝コーヒーは淹れることができている。
その後に興味を持って一歩先に進んだ物事が、趣味になったり、はたまた仕事になったりするんだ。
前段がとても長くなったが、この質問をくれた方には「コウモリラン」をおすすめした。(わたしのとりあえず育てることができている日記によれば) 水やりの回数が少なくても大丈夫な育てやすい植物だ。もしもこの植物なに?と聞かれたら「見た目がコウモリみたいだからコウモリラン🦇」と答えてみてほしい。理由は、なんかそれっぽくてかっこいいからだ。
たったひとつの質問に対し、長々とこのようなことを考えてしまうのだが、本当に言いたいのはコウモリランおすすめ!ではなくて、少しでもポジティブな行動を後押しできたらいいなと思って返信をした。
もう一つ、もっともっと向き合いたかった質問がある。
「友達の友達に嫉妬してしまう自分が嫌だ」だ。
とても驚いた。私は、精神論的な発信したことはおそらくないし、カウンセラーでもないただの普通の一般人なので、このような質問が来るなんて想定していなかった。
友達の友達に嫉妬かあ...と自分の記憶を巡る。たしかにあったな。歳を重ねて、今はもうすっかり無くなってしまった感情だけど、だからと言ってそれは若気の至りですねと決めつけることはできない。
想像をする。
大好きな友達が、もし結婚したら?子どもが産まれたら?その時は、あなたとの時間は確実に減る。でもそれは友達が間違いなく自分の幸せのために選んだ選択なのだ。そんな時に手放しで相手(友達)の幸せを喜べないような関係ならば、思い通りにしたいだけのよくない感情だと私は思う。......とはいえ思ってしまうのが人間だ。寂しいと感じているのに、歳を重ねて、何度も経験してしまうと、仕方のないことだと蓋をする癖がついてしまったんだなと私が気付かされた。私なんかより、投稿主の方が生々しくて痛々しくて、ずっと眩しい。
すごく掻い摘んで、大切なことほどシェアし合える仲の方が、より仲は深まるのではないか。とそのようなことを返した。もしも、離れざるを得ないその時がやってきたら、どうか喜びの感情が芽生えますようにと祈る。関係が変わってもお互いの大切なものを育んでいってほしい。
偉そうになんでこんなことを私が返してるんだ...と冷静になると恥ずかしい。冒頭で、わたしのSNSの投稿は、発信なんだと添えたけど、どちらかといえば人と対話するような感覚で続けていきたいと思ってる。(だからたまに出てくるポエムっぽい発言も許してください。)