二人暮らしのdiy。キッチン収納を作る。#2
約一年程前、旧居で行ったdiy記録の第二弾とでもいいましょうか。間が空きすぎて今後もシリーズ化できる自信はない。
前もって断っておくと、この記事はdiyのやり方(作り方)をまとめたりはせず、diyが完了するまでの過程で感じたあれこれを綴っている。
新居を契約した時からすでに、ここはdiyしなきゃだな...と覚悟をしていた場所が、キッチン下の収納だ。
すっきりとしたオープン収納で、良いところをいうと、引き出しがなくて物を取り出しやすいことや、圧迫感がないことくらいだろうか。
入居してすぐのとりあえず荷解きをした状態で過ごしていると、これらの恩恵はかなり感じるところである。
ただし、私にはどうしようもなくこの恩恵を超える悩みがあった。
ものが多いことに加え、見せる収納が下手なのだ...
いや、多分、キッチン下にラックを置いてたり、トレイで分けてたりしているだけできてる方なのかもしれない。
一個一個の対応は間違っていないと思うのだけど....俯瞰してキッチンを眺めると、どうしてもごちゃごちゃとした生活感が漂ってくるのが悩みだった。
ふと、キッチン下に向き合いながら大学時代を思い出していた。
私は美大を出ているので何かと物作りをすることが多く、生徒の部屋も教室ではなくアトリエだった。友達の一人に机上は綺麗で、足元が異常に汚い女の子がいた。
彼女は人を悪く言わないし、物事への不満や愚痴もあまり言わない、みんなから愛される子だった。そんな子が、今でいうところのフキハラ(不機嫌ハラスメント)のような態度になる場面が度々見受けられるようになった。特別被害を受けたとか、彼女が苦手になったとか、そういうことは一切ないのだけれど、不機嫌そうな姿を見た時、私は「彼女に触れた」と思ったのをとてもよく覚えている。
人を傷つけまいと、自分の中で完結したいのに、なかなかコントロールできず溢れてしまっている姿が、不意に散らかった机の下と重なった。
意図的に綺麗なところだけを見せているのではなくて、上手く処理がでない不器用な優しさがあのチグハグな彼女の足元を作っていたのではないかと、ぼんやり思ったりする。本当のところはすっかり疎遠になってしまった今となってはわからない。
我が家の散らかった部分を見つめる。
キッチン下だけ、異常にぐちゃぐちゃしていて、シンクやコンロ周りは結構綺麗。
はたしてこれは先に述べた見せまいとする不器用な優しさなのか。色々言ってるけど、ガサツなだけ...?
収納は得意じゃないのに、一個ずつ向き合って、時に俯瞰してバランスを考えて、なかなか完璧までの道のりは遠い。そして現代人には向き合わねばならいことが多すぎる。
理想の自分とのギャップが終始目に入る日々は知らず知らずのうちに私を疲れさせた。
旧友のデスク下のぐちゃぐちゃは彼女自身の個性で可愛く見えたのに、自分に置き換えると許せない完璧主義なところがちょっと嫌。
それで私は今回のdiyで、思いっきり自分を労り甘えることにした。しっかりと目隠しできて、とにかくスッキリした見た目に特化したワゴンを作ることに決めた。
彼と二人で設計図を詰めていく。
内側のシンクやIHの凸などの障害物に当たらないように手探りで調整していく。
設計図を握りしめて、近くのホームセンターへ向かう。彼のバイクの後部座席に乗って、走り出す。彼のためにガレージハウスに引っ越したのだ。引っ越さなければこんなに大変な思いをしてワゴンを作る必要はもちろん無かったのだけれども....向かう場所がホームセンターであれ、「さあ行こう」と言って2人でいろんな場所に行けるのもまた、引っ越したからできる体験だ。私が手に入れたかった日常だ。全てがこの瞬間のためのように感じた。
9月の三連休、1日目に設計、2日目に材料調達、3日目に組み立てとまるっとかかってしまったが、その甲斐もあって立派な目隠し天板付きのワゴンを作ることができた。引き出しハンドルはまだ取り付けれていないし、見た目は取り出しにくそうだし、これでいいの?などいろいろ欠点があるかと思うが私たちはとても気に入っている。
とにかく私は、見せたくない部分を隠せるようになって、とても気持ちが楽になった。まだワゴンの中はご想像の通りぐちゃぐちゃだけど。
なんというか、そこに確かにあるけど、私の中では、ないのだ。見えなくなっただけで心が軽やかになったのを感じている。
(彼はモノの場所がわからなくなってしまってリハビリのような日々を送っている)
二つ前の投稿で、今の街があまり好きになれないと記述したけれど、せめて自分たちが選んだこの部屋は愛してあげたいと思っている。
長く住めるだろうか...と不安になることもある。そんな自分へ諦めろ!大人しく長く住め!という追い込みだったことも一部否定できない。
キッチン下のワゴン。
完璧主義の現れというよりも、覚悟が決まった証のようにも思えて、私はすごく好きだ。