お屠蘇はイェーガーマイスターと味が似ている
お屠蘇なるもの自体を飲んだことはほんの一回しかない。
市名の割には田舎な地域に住んでいた頃、友人の家の丁寧な丁寧なお正月にお呼ばれしてそこで出てきた苦いような、うす甘い飲み物だったと思う。
その家は大きなお重に正月料理がぎっしり並ぶだけで、鶏の唐揚げといったような子供にとってのごちそうもなし、というかなりカタめで礼節を重んじるような家庭だった。
お屠蘇もウチでは回し飲んで一家の安泰を……みたいな事を友人のお爺さんが教えてくれたのを聞いて、一枚噛んだ人の家の子である自分も友人一家の一員なったような、そんないい気分のした瞬間だった。
食事の席で気の利いた事のひとつも言えないような小学生の時の事だったが、それ以来正月行事を自分の家族親戚以外と過ごしたことはない。
よく言う友人と夜中初詣に神社に向かうなんて事もマンガで観た憧れのシーンのまま大きくなってしまった。
そんなだから今年の正月はすこし輝いて見えたような気がしてならなかった。
年明け2分前にグループ電話が掛かってきてダラダラ喋り、
途中会話の噛み合わなさに見切りを付けられて退出者をだしながらも完走した後にみた日の出は
マンションの間から漏れた解像度ジャギジャギなものでも初めての体験だったのは間違いなかった。
電話を切ってからちょうどあった日本酒を一杯飲んでから寝たけどべらぼうに甘かった。
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