カナダ西海岸からみたパンデミック

カナダに滞在中、新型コロナウイルスの影響で帰国したRさんの体験談をインタビュー形式でまとめました。スキ、シェアをどうぞよろしくお願いします。

– まず最初に、おかえりなさい!最近はどんなことをして過ごしてる?

料理をしたり、留学先で出会った子と電話したり、散歩したりしてる。

– 帰国して1ヶ月くらい経つけど、どんな心境の変化があった?

最初は全部マイナスだった。なんで帰らなきゃいけなかったんだろう、嫌だって。でも最近は、今回の状況から学んだこともあるし出来なかったことだけではなくて出来たこともあったから、そっちにも目が向けられるようになったかな。

なるほど。それでは、留学していた場所について教えてください。

カナダの西海岸の、バンクーバー島というところ。バンクーバーがあるブリティッシュコロンビア州にある、縦長の形をした島。この島の下の方にブリティッシュコロンビア州の州議事堂(州政治の中心)があって、その近くには大きい大学とかがあるから、すごく栄えてて。島全体でみたら、田舎だけど人は多い、みたいな感じだったかな。

島の名前、初めて聞いた。滞在の目的はなんだった?

前期は語学留学、後期は学部留学で、日本で通ってる大学の交換留学制度を使ったの。

– 滞在予定期間は?

2019年8月19日に日本から出発して、2020年4月27日にはカナダを出発するって予定だった。2020年の4月21日にカナダの大学で期末試験がある予定だったから、そこから一週間以内に帰国するっていう交換留学のルールがあって。

– 実際の滞在期間は?

2020年の3月29日にカナダを出たから、予定より一ヶ月くらい早く出国したっていうことになる。

– つまり学部留学の途中だったってことになるんだね。学部の授業はどれくらい現地で受けられたの?

1月の2週目から学部授業が始まって、3月17日が最後に大学に行った日だから、計算すると10週分くらい。でも2月に一週間休み期間があったから、大体9週分かな。ただ、月〜木で授業があったんだけど火曜日で終わっちゃったから、8週分で終わったものもある。

– 授業によってばらつきがあるんだね。Rの滞在してた場所で、新型コロナウイルスで状況が変化し始めたなって感じたのはいつだった?

2019年の年末に日本に一時帰国して、2週間くらい居たんだけど、その時くらいからかな、少しずつ新型コロナウイルスの話を聞くようになって。でもまだそこまで大きな話題じゃなかったし、カナダに戻ったんだよね。戻ってからホストファミリー達と「新しいウイルスだって」って話をしたり、日本は大丈夫だった?って聞かれたりもした。でも、新型コロナウイルスのことは知ってるけど、それだけって感じだった。その時はね。

1月後半になって、カナダでも新型コロナウイルスの感染ケースが出たって聞いた記憶がある。でも、州で数人とかだったし、カナダのひとつの州といってもすごく大きいから、怖かったけどあくまでまだ他人事だったかな。

2月に入って、先にアメリカの方がやばいって話を聞き始めてて。

– そうだったんだ。

今でも多分そう。アメリカの方が状況は大変だと思う。            

アメリカで少しづつ感染者が増えてるって話を聞くようになる前から、ヨーロッパの状況も大変って耳にするようになってた。でも、2月の2、3週目にはニューヨークとトロントに行ってたよ

– ニューヨークに!?

そう、行けてたの。行く前に少し風邪引いてて、治ったものの咳が出ることがあったから、一応日本から送ってもらってたマスクを持っていった方がいいのかな、とも思ったりもしたんだけど。その時くらいかな、ニューヨークでアジア人差別がコロナより深刻って聞いてて。

ニューヨークに行く前、ホストファミリーに「もし行ってほしくなかったらキャンセルするよ」って相談したこともあったんだけど、「手洗いうがいをしっかりしてくれれば大丈夫、気にしないで楽しんでおいで」って送り出してくれたくらい。この時点ではやっぱりまだ、他人事だったんだよね

– すごくびっくりしてる。2月の2週目ってまだそんな感じだったんだ。

そう。ニューヨークではタイムズ・スクエアや自由の女神とかの有名どころは全部行ったし、ブロードウェイも行った。知ってた通りすごい人で、歩くのも大変だった。夜も人通りがすごくて、治安の心配をしてたけど平気だった。これがニューヨークなんだ!って感動したくらい。マスクなしで地下鉄乗ったりも普通にしてたし、差別も特に受けなかったよ。

2月のニューヨーク

2月19日のタイムズ・スクエアの様子。人通りの多さが確認できる。

カナダに戻ってからは少し不安だったけど、ニューヨークで手洗いうがいは気をつけてたし、特に健康に問題があったり、症状が出たりとかも無くて。

2月22日くらいにカナダに戻って、大学が再開したんだけど、その時期からだんだんカナダ・アメリカの状況が危なくなってきて。感染者の数が増えてるから、政府も警戒し始めてた。

– この時からだったんだね。

3月はじめくらいから、高等教育までの学校、小学校とかが閉まり始めて、でもまだ私の通ってた大学は開いてたの。3月中旬くらいまでどうなるのかなって思いながら通ってたんだけど、ホストマザーがずっと「大学もうすぐ閉まると思う」って話してて。大学の中でもきっと話は出てたと思うけど、その時はまだ決定はしてなかったから連絡が無くて。

そのあと、教授、カナダの大学の留学の担当者、日本で通ってる大学とかから新型コロナウイルスの影響で学校が閉まるっていうメールを何件か受け取って。留学の担当者から帰国が早まったり、困り事があったら相談してねっていうメールがあったから会いに行ったのね。で、その時にオンライン授業にこれからなると思うって言われたの。2,3日以内にその旨が連絡行くからって。その時に「あ、もうそんなすぐなんだ」って思った。

3月16日が月曜日で、大学に授業を受けに行ったんだけど、そこで「今日が最後です。あとはオンラインで課題提出になります」っていきなり言われた。オンライン授業に合わせて授業スケジュールも変更になったから、採点の割合とかもいきなり変更になっちゃって。困っちゃうよね。

次の日の3月17日もまだ授業があったから大学に行ったんだけど、その授業でも「今日が最後だ」って言われた。

水曜日、3月18日の授業に関してはもう前から対面での授業は行わないって連絡が来てて、でもその授業は元々オンラインで一部受講してたから、そんなに支障はなく移行できたかな。

最初に授業の形式が変わるって聞いてから、1週間で全部の授業がオンラインになった。

– あっという間だね。

うん。本当のこと言うと、私は出来る限り長く現地に居たくて、それこそ6月とかになって、自費で足りない分を補わなきゃいけないとしても、出来るだけカナダで英語に浸ってたかった。でも日本で通ってた大学の担当者の人に、期間が延長することはなくて、早めに切り上げることになるって言われたの。もちろん正しい判断だと思うよ。あと現地の留学担当者と日本の担当者の間でやり取りもあったから、私の思いとはまた別のところで、帰国は決定になってたんだよね。もうこれ以上カナダにいなくても、オンライン授業で対応できるって判断されちゃった。ただ、この時、3月17日か18日の時点では帰国日までは決定してなかった。

– 「日本からいつ帰国になるかわからないから荷物だけまとめておいてって連絡がきた」って私に教えてくれたの、大体これくらいの時だったんだね。

多分そう、それくらいの時期だった。オンライン授業になったから、早く帰国しなきゃいけないんだって思ってた時期に送ったんだと思う。

日本の外務省が出してる感染症危険情報のレベルをもとにして日本の大学からは段階的に帰国指示が送られてきてた。レベル2になると帰国なんだけど、確か最初に中国、次にイタリア…みたいな順番だったはず。で、その送られてくる指示をみながら、イタリアの子帰国なのか…って考えてた。そのあとヨーロッパにいる学生に指示が出て、次にアメリカの東海岸に指示が出てたと思う。東海岸にある大学名が送られてきて、この大学の人たちが帰国なのか、って。

– ニューヨークも東海岸側だもんね。

そう。カナダも東海岸にある大学は名前が送られてきてた。

– 最初は国ごとだったわけじゃないんだ?

そう、地域ごとだった。もちろん国で指定されてたところもあったんだけど。東海岸の大学が指示を出されて次の日くらいに、西海岸にある大学も指示が出て。最初から国全体じゃなくて、危険度が上がってる地域ごとに1日ずつ名前が出てた。

– 毎日状況が変わっていく感じだったんだ。

うん。結局3月21日にカナダにいる学生は全員帰国するようにって連絡がきて、3月29日には飛行機に乗ってた。

これくらいの時期はカナダでも飛行機の減便の動きが進んでて、カナダから外には出れるけど、っていう状況だった。私が飛行機に乗った3月29日から大体2日後くらいには、バンクーバー島から出る飛行機がもう無くて。ギリギリだったんだよね。フェリーとかで出ることもできるけど、国内線も減便になっていった。

3月29日に取った便も、島から国内線でバンクーバーに移動して、そこから国際線で成田に向かう予定だったんだけど、国内線で私が乗ろうとしてた便が直前に欠航が決まって、予定してた便の一本前に乗ることになった。一日一便しか飛ばないって決まったから。

日本の大学からはもしかしたらってことがあるかもって連絡が来てた。例えば島から出る国内線が全部キャンセルになって、フェリーでバンクーバーに移動して…っていう可能性もあった。そうなった場合は陸地の移動手段を自分で確保して、国際線に乗れる最寄りの空港まで移動しなさい、みたいな。そういう連絡が出発の5日前くらいに送られて。

– 刻々と状況が変わってたんだね。しかも日本の大学側も、全部をサポートするのは無理っていう状況になってたんだ。

そう。だから結構焦ったよね。

– 3月29日にバンクーバー島からバンクーバーに移動して、何か違いは感じた?

バンクーバーでは空港には行ったけどそこから外へは出てないから何とも言えないな。ただ、空港も人が全然いなくて、免税店とかお土産屋さんは開店してるところもあったけど、飲食店の中で開店してる店は2店舗だけだった。

新型コロナウイルスの影響で機内食が変わったから、乗る前に機内用の飲食物を買ったりとかね。

– 機内食が出なかったってこと?

出たんだけど、機内で調理が出来ないから、あまり触らなくていい冷たいものしか出せないって言われたの。温かいスープとかじゃなくて、サンドイッチとクッキー、みたいな。普段は飲み物もコーヒーとか色々選べれると思うんだけど、水しか出せないって言われたの。水のボトルを一本渡される。

– それで長時間フライトってすごく辛そう。

きつかったよ。ジュースとかはいるだろうと思って持ち込んでたけど、それでもね。

– 機内の様子はどうだった?

混んでたよ。多分満席だったんじゃないかな。こんな時期だから逆に空いてるのかなって思ってたんだけど、違ったね。みんなマスクはしてたけど。バンクーバー空港からじゃないと日本に帰国できない人もいたから、違う地域からバンクーバーに来て、日本行きの飛行機に乗ってる人も多かったんだと思う。

– 成田空港に着いてからは?

帰国者の一部、特定の国から帰ってきた人に検疫があったんだけど、そのための行列を成田から最寄りの空港までの乗り継ぎの間に見たよ。みんな止まってて、なんだろうって。他の国からきた人の検疫だったみたい。私はバンクーバーからだったからその列とは別に誘導されて、熱を測るために並ばなくて済んだ。もし私があと1週間遅くカナダを出発してたら、そこに並ぶことになったと思う。帰国者全員が検疫を受けるルールに変わったから。そのあとまたルールが変わって、空港で帰国者全員がPCR検査を受けることになった。

– 空港での対応も段階的に変わっていったんだね。

あと、国際便と比べて、国内便はすかすかだったなあ。えっ、少な!みたいな。

私が乗ったのはANAで、機内の作りが一列6席で左右3席になってたんだけど、3人掛けのうち1席が使われて、その席の前後2列空けて次の人が乗ってるっていう光景がザーッと広がってた。乗る人が少ないからって理由もあったんだろうけど、私にとっては異常だったな。

– そのあと、2週間自宅隔離を終えて、今に至るっていう。

うん。私はしなきゃいけないわけではなかったんだけど、自分でやることに決めて、ちゃんとやったよ。

– カナダでの話に戻ります。現地での新型コロナウイルスの影響について教えてください。

今の日本と同じで、3月の初め頃から現地の学生のアルバイトにも影響が出てた。お店が休業になるからシフトを削られたり、そもそも入れてもらえない。学費や家賃が払えないっていう不安を抱えてる子もたくさん見た。政府が出すっていう補償があっても、足りないと思うって。

あと、3月の初めから公園は行けないようになってたね。遊具にテープがグルグル巻きに貼られて、触れないようにされてた。でも日本だとまだそういう光景は一部だよね。そう考えると、日本の対応はカナダと比べて2ヶ月くらい遅れてるって感じる。私のいた田舎の小さい町でも3月の初めにはもうやってたのに。     

公園は閉鎖されてたけど、触らないところ、自然の中はオッケーだった。海とかがいっぱいあったから。例えばピクニックで使うような備え付けのテーブルは使用禁止だけど、海に行くまでの道は開いてて、車で海のすぐそばまで行けたりね。人と接触してしまうところはなるべく使わないように制限されてたけど、全く外に出れない訳ではなかった。

– いわゆるロックダウン、都市封鎖とは違ったんだね。お店はどの程度開いてたの?

薬局、スーパー系は開いてた。確かカフェは最初ドライブスルーとか持ち帰りのみで席が使えないようになって、だんだん閉まっていったんじゃないかな。いわゆる飲食店ではマクドナルドとかファストフード系は開いてたけど、カフェは閉まってたと思う。

– 現地の友達とは直接お別れはできた? 

できなかった子もいたと思う。私は車で迎えにきてくれてお別れできたけど、やっぱり車に乗るのも、「いいのかな」ってためらいがあったし、乗った時は寒くても窓を全開にして、車内でなるべく密集しないようにして。車を降りてからもちゃんとお互い6フィート(約1.8メートル)離れて歩いたり。3月の初めから、友達同士でもソーシャルディスタンスを保ってた。

– マスク事情はどうだった?マスクをする事に関して何か規定があったのか、それとも暗黙の了解で付けなきゃいけない空気みたいなものはあった?

ほとんどの人がしてなかった。まず、マスクが手に入らない。バンクーバーとかと違って、そもそも私がいたところでマスクを売ってるのを見たことがない。ニューヨークのニュース映像でマスクじゃなくて布を口元に巻いている人を観たけど、それもマスクが売ってないからだと思う。医療系のマスクがあるだけで、そもそも売ってないし買えない、みたいな。

帰る直前に、現地で一緒にいた中国人の子に、Rはマスクしないのって言われて、「マスクをして変なふうに見られたくないな」って答えたら、その子が「私も確かに怖いけど、死ぬよりはましだな」って話してて、その子は勇気出してマスクしてる、っていうやり取りもあったな。

– マスクをつけるのにも抵抗があったんだ。

抵抗はあるよ。みんなしてないんだもん。ニューヨークへ行った時にマスクをしなかったのもそれが理由。もしマスクをして、差別されたらって。

マスクだけじゃなくて、消毒用のジェルも途中で無くなっちゃった。最初はホストファミリーがジェルを用意してて、家に帰ってきたらそれで手を消毒して、ドアノブとかもちゃんと除菌してたんだけど、そのジェルが残り少なくなってたから「新しいのあるの?」って聞いたら、「もう買えない。」って。ハンドジェル自体は向こうでも売ってたけど、途中で買えなくなってた。これは日本でも一緒だよね。

– ニューヨークとかのニュース映像で、ほとんどの人がマスクなり何かしら口元を覆ってるのを観たんだけど、やっぱりそういう光景をみると、違和感を感じる?

日本人が海にいる訳でもないのに、全員サングラス着け始めるくらいの違和感!

日本で道歩いてて、みんなサングラス着けてたら、なんで着けてるの?って思うでしょ?多分そういうこと。異常だなって。

日本だと顔を隠したいって理由でマスクをしたり、予防のためにマスクをするって当たり前のことだと思うけど、マスク文化ゼロの場所でほとんどの人がマスクし始める訳だから。大きい違いだよね。

– みんながサングラス…きっと違和感を感じるね。

あとスーパーでの話なんだけど、缶に入った食べ物とか保存期間が長いものがやっぱり売り切れてたね。棚が空になってた。トイレットペーパーの棚も何も残ってなかった。パスタとかも!長く保つからね。

バンクーバー島 スーパー

3月16日のスーパーの様子。棚が空っぽになっている。

– Rが現地で滞在してた時にスーパーで入店制限が行われたことはあった?

お店に入る時はないけど、レジに並ぶ時は6フィートずつ印があって、みんなそこに並んで立つような感じだった。でも、買うものを選んでる時は6フィートより近い距離にいることもあったし、それに関しては何も言われなかったからそこまでは厳しくなかったかな。見かけ上というか。

– 今の日本の状況がそんな感じかも。

そうそう!今の日本みたい。

現地で銀行に行った時は入り口で要件を聞かれて、対面での業務が必要って判断されて中に入れたんだけど、要件によってはドライブスルーの方へ行ってくださいって言われてたかもしれないね。(※カナダの銀行ではドライブスルーの受付窓口がある場合があります。)

– 銀行も!

日本ではATMは今でも普通に触れるよね。人と人との接触は避けなきゃって意識はあるけど、同じものを触る事にはあまり敏感じゃない気がする。

– 帰国する前に日本の状況をみていて、思ったことや感じたことは?

まず、なんでみんな旅行してるの?なんで遊んでるの?っていう疑問が一番かな。そこから、政府があんまり取り締まってないからなんだ…って思ったり、日本は医療制度がしっかりしてるから、そんなにのんびりしてるのかな…って考えたり。

一番最初はやっぱり、なんで?っていう疑問。なんでお店も開いてるの?とか。

– なるほど。3月初め頃だとまだ国内旅行なら…みたいな雰囲気があったかも。

そう。それより前に私は4月11日にバンクーバーで受ける予定だった語学試験の中止が決まってたし、バンクーバーに行くっていう状況でもなくなってたし。だからなんで日本ではそんなに普通なの?って。ギャップを感じてた

旅行に行く人を責めたいとかではなくて、現地にいる自分が色々なことができなくなっていく中で、日本の状況、観光客を呼ぼうとしている場所とかへ疑問を感じてた。そこで新型コロナウイルスの感染者が出たり、広がったらどうするの?って。

– 心残りはある?

いつか行けるだろうと思って、旅行の予定を先延ばしにしたことかな。前期にアメリカ旅行に行きたかったんだけど、英語がまだ不安だからとか一緒に行く子がまだ見つからないとか、なんだかんだ理由をつけてて、後期にニューヨークは行けたけど本当はカリフォルニアにも行きたかったし、でも行けなくて。いつか行けるだろうと思って先延ばしにしてたらこんな状況になっちゃったから、やろうって思ったときにやるしかないなって身をもって実感した。留学も途中で切り上げになっちゃったし、やれるときに全部やっておかなきゃいけないなって。新型コロナウイルスにはあまり関係ないけど、今回のことで学んだね。

帰ってきて1ヶ月経って思ったのは、嫌なこともあったけど、普通だったことに感謝すべきだったなってこと。そういう風に、色々考えるようになった。

– インタビューは以上です。ありがとうございました。

以下Rさんからのコメントです。

「今回このプロジェクトを通して、私が新型コロナウイルスによるパンデミックの中で、カナダで見たことを共有できて嬉しく思います。田舎の小さな町で留学生活を送っていたにも関わらず、新型コロナウイルスの影響で生活が大きく変化したことを考え、もっと人口が多くて、もっとウイルスの蔓延がひどい地域ならどんな状況だったかと想像すると今でも少し怖くなります。少しでも早くこの大変な状況が収まり、以前のような自由な世界が取り戻されることを祈っています。」


note内マガジン「わたしたちの留学と新型コロナウイルス」では新型コロナウイルスの影響により、留学やワーキングホリデーを切り上げて帰国せざるを得なかった方や現在も滞在先で奮闘されている方の体験談を募集しております。募集用のフォームをご用意しておりますので、ぜひご活用ください。

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