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訃報が届くたびに思うこと。心掛けとデザインと。
人間いつなんどき、どんなことに見舞われるかわからないからさ。「ではまた明日」と別れた人にも二度とは会えないかもしれぬ。だから今を大切にせにゃならん。そう思うわけです。しかし「今を大切に生きよう」と思ったとして、ではどうするのか。
あなたはどう?わたしはこう!
いつか必ず別れゆく、定めの中で何ができるか。
それを考えた時に私が必ずすること。真っ先にすること。言葉を尽くし、手を尽くし、あらゆる手段を使って試みること。
それは「伝える」ということ。
言葉にできるのなら言葉にするし、渡せるものがあるなら渡すし、動けることがあるなら動く。シンプルなことです。私が生きる上での大きなテーマ。
いつからそう考えるようになったのか覚えていないけれど、気付けばこの感覚が自身のコアに位置するようになっていました。これはデザインにおいても色濃く、切っても切り離せない関係になっています。……。違う。そういう考え方だからこそ、デザイナーという職業がしっくり来たのだと思います。
デザインについて、私のスタンス。
デザイナーを目指した頃には何の疑いもなく「デザインの分野でちょっとした有名人になる」ようなイメージを持っていました。根拠はナイ。しかしずっと続く違和感。なんだか釈然としない。ある時、自分が欲するものをよくよく考え気がついた。
自分の名前を世に知らしめたいわけじゃない。
デザインを専門で学ぶ機会がなかったから選択肢すらわからず、「学ぶ→デザイン事務所→経験を積む→独立・自分の名前で仕事をする」だと思い込んでいた。ところが自分が望むスタイルを探るうち、インハウスデザイナー(社内デザイナー)というポジションがあることを知り、独立することが絶対ではないことに気付いて今に至ります。
手掛けたいデザイン
日常、どこかの誰かの励ましになったり、癒しになったり、勇気になったり、そういうことを主軸に。貪欲に求めるわけではなく、記憶に残ろうという目論みもなく、誰かの人生の中、束の間のサポートができたらいいなと。
瞬間、瞬間、すべてはご縁ということで。
あらゆることの基盤になる価値観
正直、細かい部分はどうでもいいのですよ。デザインというアイテムを使って、困っている誰かや迷っている誰かの背中を押すような。それだって、手助け・お手伝いが主な目的だから、デザイナーを知って欲しいとか覚えていて欲しいという欲もない。刹那的でいい。刹那的がいい。この価値観があらゆることの基盤になっています。
道具、手段、つかうのは人間。
デザインや言葉は、具現化したり伝えるための道具・手段でしかない。つかうのは人間だから、少しでも質を高められるように、信用・信頼を生むように、人間としての魅力や力を身につけてゆきたい。
そんな思いと言動がいくらか積み重なった結果、最近は予想していたのとは違う動き・影響も出てきたりして。
いまのこと、これからのこと。
友人の一人であったり、主宰であったり、自分のすぐそばにいる人へ伝えようと発信したことがその先にいる多くの方々に伝わるという機会が増えてきた。noteしかり、Twitterしかり、職場しかり、演劇しかり。伝えようと思ったその先へ広がるというのは本当に嬉しい。
そうして逆に励まされる。感謝。
もちろん、自分が「伝えたいこと」と、相手に「伝わること」は違うし、相手からこちらを見た時にも同じことが言えるし。別々の人間である以上、意図した通りに伝えるということはほぼ不可能であるけれど、それでも。
ときに舞い上がってヘラヘラしながら、それでも傲ることなく、謙虚に謙虚に。これからも伝え続けようと思うのでした。おしまい。
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