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産後の親子喧嘩

以前、里帰り出産をしない選択という記事を書いたことがあるけれど、わたしは実母と馬が合わない。40も過ぎた人間が、こんなテーマをこの年になって書くのも子どもじみてるけれど出産して、親になってようやく自分の考えを変えてみようって気づけたから、今日はそんなまとめを書こうと思う。

苦手だった親子関係

母のことは感謝していないわけでは全く無いのだけれど、母は妙なこだわりで怒りっぽいところがあって苦手だった。

母の口調はいつも、あれしないとダメ、これしないとダメと子どもの頃から口うるさく言われてきたし、

わたしがなにを頑張ってもすぐに「それは、こうした方がいいわねえ」と言われてしまうし、なんだか常に切ない思いを味わってきた。

母は、絶対に自分に自信があって信じてきたものにまっすぐで揺るがない。



わたしが苦手だなあと思っていたデザインの服も「好きだと思って」と言って送ってくるし、なんらかのパワーの発揮する数珠や何かに効く石や、すごい水なんかを送ってくる生き物だ。


このコロナの間にも世間様には申し訳ないけどマスクを大量に買ったりトイレットペーパーを大量に買いに行ったり奔走する一人だった。もちろん我が家にも届くわけなのだけど。

いつだってなんだか情熱的にわたしに母なりの愛を送ってくるのだけどこんな母の娘なのに、わたしはすごく冷めた部分があって、ありがたいけどどうか送らないでくださいと断ってしまう。



本当にマスクが必要な人のために買い占めないで欲しいと、再三ニュースでもやっているのを見たし、必要な家の人たちが買えるようにして欲しいと再三お願いをした。



マスクの洗い方やらの説明をして、うちも実家でもこういう方法を取りましょうと提案すれば、ワイドハイターを買い占め始める勢いになりそうなのでうちには5、6本用意があるからと嘘をついて断った。

ここまででお気づきの方もいると思うけれど、
わたしは教科書人間なのだ。



教科書は応用がきかず、40年かけても母の凝り固まった価値観を溶かすことなんてできなかった。



変えようとすればするほど子供になんか言われることは自分が馬鹿にされていることだと言い始めてきかないのだった。



ついにはいつもあんたはわたしを馬鹿にして!わたしの育て方のなにがまちがってたっていうのよ、こんなに頑張ってきたのにとヒステリックに捲し立てられわたしが面倒になって最終的には逃げるパターンとなり終わるのが常だった。



こんな感じでわたしと母の間には、これまで喧嘩が絶えなかった。



母は、なにが人のことはあれがダメだととやかく言うけど、自分はいいという人だ。

わたしが思春期を超えたころ、母のこんな性格が未熟に見えて嫌だったし、恥ずかしかった。

なんならその物言いや、価値観のズレがずっと嫌だった。



母は、たびたび再婚を繰り返してわたしを女手ひとつで育てあげたと自負があって、
コンジョウ論でわたしに訴えててくる。コンジョウがあればなんでもできるんだよ、と。

めっちゃうるさい。
正直ありがたいことであるのに、こんな語りと、温暖化現象をたまにならいいが、毎日終始語り続けられるとありがたみが薄れてくる。

こんな母と娘なので、というか、わたしと考え方が似ていないので、産後の生活を手伝ってもらうのはどうなるだろうと懸念していた。

さすがに母とは、何度も何度も何度もいいあらそいがあったりしたので、母の方も子供ができるまでわたしにプレッシャーを与えないフリをしていた。


子供ができたら、口ではあんたは嫌がるだろうしわたしはそんなにやりませんよと距離を測った。母も意識はしていたみたいだ。

でも結局もう荷車でも乗せてやってくるんじゃ無いかと言わんばかりの勢いで滋養のある食材を大量に持ってきてくれた。

なにかしなきゃ、なんとかしなきゃ、この子たちを守らなきゃ。

そんな思いが母を突き動かしていた。  

初孫は本当に愛おしかったようで、何度も何度もこねくり回してよろこんでいた。

母は、産後のわたしを気遣っていろいろ家事に奮闘していたけれどある時、我が家の配置やら照明の暗さやらの設定にイラッときてしまったのか、キレ始めてしまった。

もっとわたしに気を使いなさいよ!
この家は使いづらいんだよ!!



びっくりした。
いままで何にも気にしなくていいからあんたはなにもしないでいいと連呼していた母のいきなりの激怒に産後睡眠不足のわたしも何故か涙が止まらなくなってしまった。

手伝いにきたはずの母の突然のキレ方に、これには夫も驚いてしまい、とにかくホテルに宿泊してもらい、数日して母は帰ることになった。

母を認める日?

せっかくの初孫を前に帰るのは母にとって本当は、どれだけ切なかったことだろう。

結局母は、自分でもキレてしまったことを反省しながらしばらく何日か近所のホテルから出てきては、孫を見にきたりして、別れがたい様子で帰っていった。

それから数回何とか会う機会があったけれど、コロナを迎えたころ、息子がぷくぷくでかわいさが増しているいまは、やむ終えず会えず仕舞いになっているけれど、会いたい気持ちが溢れているのは言うまでもない。

たまにLINEのテレビ電話でやりとりをすると、息子にチューしたい母のどアップの口が寄ってきてギョッとなる。

いろいろあったけれど、わたしもやっぱり母を憎めない。

それに母親である以上、いつか自分も息子に嫌われる日も来るのかなあと思うとなんだか切ない。

母の存在をいまは疎ましくは思わないけれど、いちいち気にしていた自分の頭の硬さや、ゆるせることのできない自分の想像力の無さというか、人を愛する力の無さにある時急に腹が立ってきた。

冷たくて、目の前に起きたことばかりにとらわれて許せない自分の器の小ささ。

クソつまんねえやつだな、自分は。

あれこれ考えてみることにした。
40年同じ方法で母と向き合って嫌になる自分を変える方法はアイデアしかない。

だから、くだらない戦法だけど

母が虎猫だと思うことにしてみた。

猫だから、ネズミとか虫とか捕まえて飼い主に持ってきちゃう。あれだ!
かわいいもんじゃないか!数珠だ、水だ、変な服だ。虎猫が持ってきちゃうんだ。

目の前の事象にこだわりすぎて、個性を認められなかった自分に気づいた。
母のアイデンティティ、誰かのアイデンティティ。自分以外の価値観も認めてあげないと息が詰まる。

母が猫だと思ったら急におかしくなって笑えてきた。 

猫「マスクデス。使ってください。ドサッ」

想像したら妙に気持ちが上がってきた。そしたら必要な人がいたらわたしがマスクを配ればいい。

なんかこう、自分の頭の中のアイデアで幸せは作れるのだったらこれまでの時間はもったいなかったなと思えるようになった。

いいんだ。わたしなりの解釈で愛せばいい。ひとのやり方でダメなら、自分のなかでは自分なりに愛せばいい。

いつかちゃんと愛に変わる。

親になってわかる。親とは無完全なもの

出産して半年。恥ずかしいけれど、まだわたしには親になったって言う実感が無い。

こんなかわいい子の親になっていいの?っていう感覚だ。毎日ただかわいくて、うれしくて抱っこしておっぱいやミルクをあげて、離乳食が嫌いになりませんようにとか考えたり、息子の暇つぶしのおもちゃを作ってる。

それでも親という大きなものになれてる実感は無い。30代から40代になっただけという感覚となんら変わりない。

それは、親の責任を放棄しているとかでは無くてわたしに子供がいるだけでわたし自身なにも変わり無いってことなんだ。
たぶんわたしの親も親の名前がついているだけで何にも変わりない。
昔、わたしが母に未熟に見えた気持ち悪さを感じたことがあったが、きっとそういうことなんだろう。わたしの寛大さが無いというか頭が硬かったんだ。

一生一緒にいたいし、守ってあげたいし、泣いている時は駆けつけて抱きしめてやりたい。
きっと母もわたしが細かいところで求めてた形とはちょっと違うけどおんなじことわたしに思ってたんだと思う。

わたしは親の存在そのものに寄っ掛かりすぎてたのかもしれないな。
不完全とわたしが決めつけた形も愛してあげないと。母の扱いの難しさを愛せたら、わたしもようやく母と仲良くなれるのかな。

これから母とうまくつきあえるかな。

親の立場になって、こんなことをふっとようやく気づけた気がした。

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