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「英語0点からカイロドクターへ:夢を追い続けた挑戦の軌跡」③



「焦り」


まさか、自分が120点満点中18点しか取れないとは思ってもいなかったので、この先の予定を大きく変えてしまいました。

この点数をパーマー大学に送ったところ、「この点数では難しい。」とのメールが届きました。(そりゃそうだ…)

そして、パーマー大学にダイレクトにはいれるわけではなく、入学に必要な科目を短期大学で履修しなければいけません。その短期大学には、英語が第2言語の人たち向けの英語クラス(ESL)があるのですが、そのクラスすら入れることができないので日本で少し勉強してくれと言われました。

「これはやばい。」

「英語を本気で学ばないといけない」

やっと焦り出し色々調べた結果、フィリピンに語学留学することになりました。

当時、マニラにあった語学学校に1年弱お世話になりました。

学校施設内は日本語一切禁止で、皆そのルールを守り四苦八苦しながらお互いに意思疎通をしていました。約1年間フィリピンに留学をし英語を朝から夜遅くまで勉強をしたおかげで、渡米ができる点数を取ることができました。個人的な感想ですが、英語はやはり現地で苦しみ悩みながら生きた英語を学ぶのが一番早く身につくと思います。私も、ここでは書き表せないくらい苦しみましたし、言葉が伝わらないもどかしさにずっと悩んでいました。

「感覚の違い」


フィリピン留学を終え、やっと「アメリカに渡米できる」となっても問題は山積みでした。最終学歴の成績を英語に変換してパーマー大学に送らないといけなかったり、住む場所、荷物、車はどうするのか、ビザの取得は?授業の準備、学校はいつから行けるのか。

分からないことだらけで、考えたらきりがない程でした。
パーマー大学に在籍している日本人の方と何度も話し合い、外国人留学生アドバイザーとメールでやりとりをさせて貰いながら準備をしました。

日本人とアメリカ人の感覚の違いを感じはじめたのはこの頃からです。

メールを送っても一向に返信がきません。

1週間…

2週間…

一向に連絡が来ることがなく、シビレを切らして再度メール…
このようなやりとりが本当に多かったのを思い出します。
時間や物事に対する感覚の違いというのは国が違えば全く異なります。

アメリカに留学を考えている人がいるならば、早め早めの行動をするべきです。


後々、取り返しのつかないことになりかねません。
私はフィリピン生活でも、なかなかの強烈な「感覚の違い」を経験してたのですが、やはり当時は違和感を感じていました。

はっきり言えるのは、こんなに時間に正確で厳しいのは日本くらいだとおもいます。もし、外国の人たちも日本人と同じ感覚だろうと思われている方は、その固定観念が絶対に邪魔をしますので気をつけてください。
ビザも無事に発行され、I-20という入学証明書?みたいなものもゲットできました。(アメリカ大使館に行く場合は、予約を早めに行うことをお勧めします!すぐに予約がいっぱいになる可能性がありますので、気をつけてください。)

わちゃわちゃでしたが、無事に渡米準備を終え、日本を発つことができました。


「相手に伝える大切さ」


渡米をしたものの、パーマー大学に入学する為に必要な単位と英語のテスト(TOEFL)の条件を満たしていませんでしたので、近くにある別の学校に通い条件を満たす必要がありました。そこで、Scott Community College (スコット・コミュニティ・カレッジ)という学校に約1年半ほど通っていました。

化学をはじめとした生化学、生物学、生理学、数学、解剖学など。もちろん英語のクラスも大量に履修する必要がありました。その中でも最初に履修した英語のクラスは本当にBasicで、中学生の時に戻ったと勘違いしてしまいそうだったのを覚えています。これでは時間がいくらあっても足りないと危機感を感じ、先生にもっと上のクラスで勉強したいとお願いしたところ最初はダメと言われました。断られた次の日から一週間、毎日お願いしたところ先生がしびれを切らしたのか「テストを受けさせてあげる」と言ってくれました。
そのテストは上のクラスが受けているものと同じもので、平均点以上をとれば上のクラスに移してあげると言ってくださいました!!

結果、みごと平均点以上を取れて上のクラスに移ることができました!
(テストが決まってから、本番まで物凄い勢いで勉強したのはここだけの話ですが…)

ここからまた新たなスタートを切ることができました。

一般科目は授業に付いていくのに必死で、毎日単語帳と電子辞書を持っていたのを覚えています。当たり前ですが、授業も英語、テキストも英語、会話も英語というのは慣れていなかったので、当時は身体への負担が大きく、毎日ヘトヘトになっていました。フィリピンで勉強はしていたものの、会話のスピードや訛り、授業スピードなどが全く違いました。

そして、英語以外のクラスは一般生徒と一緒ですから、授業スピードがとても速いんです!

当初、会話の8割は理解していませんでした笑

「再始動」

TOEFLもこの時期から再度挑戦を始めました。
TOEFLはReading, Listening, Speaking, Writingの4つで構成されています。

もちろん毎回違う問題ですので、様々なパターンに対応できなければいけません。

私の場合、全てのパターンに対応できるわけもないので、単語と例文をひたすら覚えていきました。そして、その単語を友達に使ってみて実際に通じるのかほぼ毎日試していました。なので、当時のクラスメイトは「あいつまた変な英語を覚えてきたよ」と思っていたと思います。

こんな感じで、英語を少しずつ覚えていきました!

TOEFLですが、すぐにはパーマー大学入学に必須な点数は取れませんでした。

いろんな勉強法を試しましたが、どれも合わず…

色々考えて試してみて、自分なりの勉強方法を見つけたのがこの時期です。


人それぞれ性格も違えば、集中力だって違います。

テレビで放送されたから…

とか

頭良い人がこうやって勉強しているから…

とか…

まぁ~無駄でした笑(私の場合は…)


自分に合った勉強法を早い段階で目つけるのが一番だと思います。




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