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『BLはフィクションである』


あくまでも、「BLはフィクション」である。そう、そんなことは小さい頃から知っていた。中学生の時の友達に借りた同人誌とか、就活で行き詰まった時にハマったBLアニメとか、あの「美しい彼」を観た衝撃だってあくまでもフィクションとして楽しんできた。そう私にとって小さい頃から観てきた恋愛ドラマと同様にこんな世界があったらいいなと思う反面、こんな人なんていないけどねという追記が必ず付く、BLってそういうものだ。

最近はLGBTQという言葉が普通になり、ちまたに溢れる多様性とBLという世界観が重なり多種多様なBLドラマを作ってくれるようになった。それに関してはほんとうにこの世界線に生まれ出たことに感謝である。若手俳優の登竜門としてのBLドラマの流れができている。そんな世界線に生きている。あぁありがとう。

ところで、普通の、いや普通とか普通じゃないというのは違うのかもしれないが、世間の大多数の人が異性のことが好きなのである。これはあくまでも生物学的な話として。これを読んでるのは女性が9.5割だと思うが、私を含めた女子はこのBLドラマを観てイケメンがイケメンを好いているこの状況にドキドキし、攻めのかっこよさにキュンキュンし受けのかわいさに身悶え、たまに自分を受けに投影したりする。それが生物学的にみて普通のことだ。
そう普通のことである。

そこで演じている彼らはどうだろう。演じるのがお仕事であるといえばそうだが、6話分、8話分、10話分、12話分自分の性的嗜好を曲げて、演技をして、それ以外のとこでも絡んでくれてファンサービスをし、仲良く居続けてくれる。なんとまぁ、すごい。普通の男女のドラマで1クールやってこんなに仲が良くなることが有るだろうか。本当に数少ないことだと感じる。

もしかしたら無理をさせてるのかもしれない。そんなことは無い、無ければいいとは思いつつも、頭の片隅にはそういう可能性もチラつく。

だから今回「25時赤坂で」をドラマ化した時に、インティマシーコーディネーターと、LGBTQ+インクルーシブディレクターに入ってもらったということが大きな一歩だったんだと特に思う。
こんなにもBLドラマが消費される時代に、俳優さんや鑑賞する人を守るためにも必要なことだったと後から観れば思えるんだろう。

だからこそ、普通に仲良くいてくれればそれは幸せの極みなのである。全てのCPを演じてくれている彼らに深謝。

そう、今『BLドラマはフィクションである』なんて言えない時代がやってきた。私たち消費者は発言する言葉に責任をもって、このBL戦国時代を生きていかなければならない。

2024.6.29 ころ


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