MyGO!!!!!鑑賞感想文
読書感想文に準えて、アニメの鑑賞感想文、見て思った事、考えた事を書きたいと思います。
自分について考える良い機会になったと思います。
ほぼほぼ私の中身100%なので、特別まとまりがない記事になります。
早速本題に入ろうと思います。
私の推しは千早愛音ちゃんです。
「何がそんなに刺さったのか」というのを掘り下げていきたいと思います。
いやまあ、実はもう何で刺さったのかは分かってます。一番共感できるからですね。
第一話、初手から暗いですよね。「なんかやらかしてるわ」っていうのが分かります。
正直言うと、まあよくある話、ではあるんですよね。思春期のやらかし。
それを劇的な手法で解決してくれるヒーローがいるかどうか、みたいなところがリアルとフィクションの違いだと思います。
そしてこちらはリアル寄り。
まあつまりは、救ってくれない訳ですね。
で、不幸な事に、「じゃあ別の道に行けばいいや」という判断をしてしまう訳です。
逃げですね。劇中でも言われてましたね。
ちょっと自分の話になりますが、怖くて逃げる事がよくあります。或いは、前に進もうとせずにその場に留まってしまう、という選択をしてしまいます。
変化の恐れだったり、諦めだったり、それこそ「まあ上手くいかなければ他の道でいいや」と考えていたり、そういう気持ちを持っていました。
ここで私と重なりました。
「ああ〜分かる〜」と思いながら見ていくうちに、いや、愛音ちゃんと性格は全然違うなぁ、と思っていました。
私ならこんなに人との距離を詰められない。『たとえ嫌われても死にはしない、大丈夫』と最初に意識しないと普通に話せない。なんなら普通の振る舞いもよく分からない。
まあ、「普通もっと性格歪むだろ」と思わなくもないですが、そこはフィクションなので無視します。育ち方が違いますわね。多分。
(多分計画的じゃなくて突然)「留学する!」って言っても、「やっぱり日本に帰る!」って言っても許される家族・経済環境ですからね。まあ、親からは結構愛されてるんじゃないでしょうか。私と違いますね。そんだけ違えばまあ、性格ぐらい変わりますでしょう。
リアルだと「人間関係リセット癖」の方が愛音ちゃんに近いでしょうか。
しかし、そこは幸いですよね。「誰かと関わる事は苦手じゃない」っていう点(というか、ずけずけと他人のスペースに上がり込める顔の厚さ)は、まだ「他者との触れ合いの過程で救われる可能性がある」って事なので。
自分の場合ですが、「誰かに救ってほしい」と思う割に「誰かに心を開く事が出来ない」という状態でした。
他人はシンプルに怖いですからね。否定されたらどうしよう、という、どうしようもない恐怖があります。今もまだ。
「助けてほしいけど誰にも上手く頼れない」という状態だったので、私は一人で生きるのが上手くなりました。私は一人でどこでも行けます。代償はコミュ力です。
でもまあ、「他人から好かれる努力」よりも「自分を好きになる努力」の方が、私にとっては簡単な事だったのでそうしました。
そうやってどうにかこうにか、ギリギリで精神を保ちながら私は生きています。
私がこのアニメを見ながらひとつ思うのは、学生のうちにもっとやらかしとくべきだったな〜、という事です。
殴り合いの喧嘩とか、大人になってからやると普通にお縄になりかねないですからね。
いや別に喧嘩したいという訳ではないのですが、大人になると、視野が広がってしまいます。今回はこれを「良い事」として扱いません。
視野が広くなると、いろんな可能性が見える訳ですが、そうなると、「一つの事への執着」が薄れます。
「こっちがダメでもあっちに行けば別にいいや」という振る舞い(とその楽さ)を覚えてしまうと、「それでもここで生きる」という意識を持てなくなります。
ちょうど、一生バンドをやる事に躊躇する愛音ちゃんのように。
可能性を知れば知るほど、「一つに賭ける事への恐怖」が付いてきます。私はちょっと競馬をやりますけど、『単勝にン十万突っ込んだ』と聞いたら「こいつマジ???」と考えます、間違いなく。
『リスクヘッジ』と『オールオアナッシング』は決して両立出来ないので。
安定、私は好きな言葉です。反面、大きな波が無い、というのを退屈に感じる瞬間もあります。
「これしかない」というのは、ともすれば、強いエネルギーになります。エネルギーは勢いを産んで、熱を産んで、がむしゃらに前に進もうとする力になります。
そんな向こう見ずさが「若さ」なんじゃないかな、と私のような若くない者はぼんやり思う訳です。
と同時に、その熱が羨ましくもなります。私の周りにはほぼほぼいないですからね。
「もし私がアニメのこのシーンと同じ状況だったら、どんな事を思うのかな」とか、考えてみた事はあります。
その度に、「私が同じ状況になったら、まあこのアニメみたいにはならないんだろうな」という結論に至りますが、それでも考えてしまうんですよね。
多分、本質的には、みんな「無いものねだり」なんだろうな、と思います。
どれぐらい欠けてるのか、何が欠けてるのか、ぐらいの違いで、結局誰しも、一人では埋まらない箇所を埋めたいんじゃないですかね。
アニメでは、燈ちゃんに愛音ちゃんが声をかけた事でバンド結成の動きが始まります。
バンドメンバーそれぞれ、結成したい理由はバラバラです。
前のバンドを復活させる足掛かりにしたい、自分の大切な人と一緒にいたい、自分が目立ちたい、自分の居場所を失いたくない、そういう子たちで集まって一つのバンドになる訳です。
まあ、正直そのままでは上手くいかないでしょう。
そらそう。
抱えてるもの全部を腹割って話すってのは難しい話です。私は今まで恐らく、そんな事をした記憶はないですから。
自分は常に何かを隠して生きているんですよね。大なり小なり。今でも他人に弱みを見せたら死ぬと思ってます。『明かす』事が全てではないにせよ、全て隠す人はあまり信用を得る事が難しいように思えます。
表面的な付き合いにしかならない、という感じです。
明かさないから馴染めない、馴染めないから明かさない、というループをしているうちに、他の人同士で仲良くなっていて居場所がない、みたいな事は今までもよくありました。
先に、「他者との触れ合いの過程で救われる可能性がある」と書きましたが、これは私の人生で得た教訓です。
私の場合は「私しか私を救うものはない」と思っていたので、反面教師ですが。
誰かから答えやヒントを教えてもらえるなら、それが一番早いですから。
1人で延々と考えてた時間が無駄な時間だった、とは思わないですが、車輪の再発明になってましたからね。とは言え「考えたから納得出来た」という面もありましたから、やはり必要だったのでしょうね。
私が他者との関わりを持った時に感じるのは、世界の広がり方の違いです。
自分とは違う考え方、見方に触れると、「そんなものもあったのか」という驚きを感じます。なんとなく、そういう時に「生きてる」と感じます。
これによって得られる影響は良くも悪くもなり得ますが、確実に変化が起きる事です。
私は大して変わり映えのない、一人の時間が多い人生を送ってきました。
MyGO!!!!!の5人はこれから誰と出会い、どのように変わっていくかを楽しみにして、今回は筆を置きたいと思います。