ヒロシをめぐる人々❶
ヒロシは父ですが、
タカシは叔父です。母チエコの弟です。
チエコやその母トメさんは、「タガス」と呼んでましたが、わたしと妹は「タカシオジちゃん」と割ときれいな発音で呼んでいました。
そういえば、一度だけ、ヒロシの母ヤスバアさんがヒロシの名前を呼んだのを覚えています。
「ヒロス」でした。
どうにも「い」の発音がめんどくさいのです。
ちゃんと聞こえるにはしっかりと、くちを広げないといけない。口をがっつり広げるのが億劫だから、きみこは「つむこ」になるし、チエコも「つーこ」に聞こえました。
名前とか、発音の話ではなく、叔父・タカシのはなし。
タカシは、その母トメさんのいる実家に、土曜日の夜帰ってきて、日曜日の昼ごろまで寝ていて、起きてご飯を食べると、何故か姉のチエコの家に来ます。姪っ子であるわたしや妹と遊んで、姉の家のご飯をつまみ食いしてまた、日曜夜には会社の寮に戻ります。
タカシが勤めていた会社は海産物を加工してる工場で、ちくわや鮭フレークやイカの塩辛を作っていました。
トメさんはもちろん、チエコもわたしも、タカシオジちゃんが帰ってくるのを毎週待っていました。
5歳くらいの頃の事です。
わたしと妹がバドミントンの羽を屋根にあげてしまったのをとってくれとねだったら、トメさんの家の梯子を抱えて歩いてきたこともありました。
トメさんが作っている畑を手伝ったり、山菜をとりに山へ行くこともあれば、車があるのでトメさんとチエコを買い物に連れて行ったりもしました。
タカシオジちゃんが結婚しても、大体同じようで
週末は実家に来たふりして、姉の家にふらっと行って姪っ子と遊んでいた、とそのお嫁さんは後に話していました。
タカシに子供が生まれても、タカシファミリーはしょっちゅうやってきて、実家ではなく、姉の家でほとんどの時間過ごしていくのでした。
不思議な事にそれは結構長く続きました。
チエコ宅には出稼ぎで旦那がいなくてタカシが行きやすい、と他の兄・姉は思っていたらしいのですが、ヒロシが怪我をして帰ってきた後もタカシファミリーは頻繁にやってきて、チエコの作ったナポリタンを食べたり、わたしと妹は従姉妹と遊んだり宿題やってあげたりが続きました。
いつだったか、学校から帰るとタカシの会社のトラックが家の前に停まっていました。
タカシがうちの電話で話している。
携帯とかない時代です。
加工品のクレームのお詫びに行くところで、場所をほうぼうに聞いて回っていました。偶然ヒロシの実家の近くだったので、本家にきいたりしながらチエコが連れていったのでした。
あの日は作業着で、ちゃんと働いていて、いつものタカシじゃなく感じました。