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【受講生ビフォーアフターVol.0】コアエッセンス 統括マネージャー 井上紗佑里
「人生の学校」講座卒業生をご紹介✨
誰も教えてくれなかった本質が学べる「人生の学校」は、2016年に開講し、2024年現在、東京・大阪・札幌・沖縄、さらにZOOMで繋がる形で18期連続で講座を開講しています。これまでご紹介9割のご縁のもと累計700名近い卒業生が日本国内はもちろん、世界中に広がっています。
受講する前と後では、大きく人生が変わった!
そう言ってくださる卒業生の皆さんをご紹介していきます。
一番最初にご紹介する卒業生は、井上紗佑里さん✨
実は紗佑里さんも卒業生!
札幌の5つ星ホテルでの眞佑里さんと出会い、大きく変わった生き方
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井上紗佑里さん
眞佑里さんとは33年以上のご縁
「人生の学校」主宰 山田眞佑里の右腕として、眞佑里さんが個人事業主として活動し始めた草創期から、会社設立、講座の開講、コミュニティ運営と多岐に渡って活躍してきた井上紗佑里さん。
そんな紗佑里さんもまた、第2期で講座を受講し、人生を大きく変えた卒業生のお一人です。
今や【人生の学校】に欠かせない存在ですが
この講座の受講で、人生の質、生き方がどのように変わったのかをご紹介します。
眞佑里さん人生のターニングポイントには、なぜかいつもそばに居た!《目撃者の役割》がある紗佑里さん。
ずっとそばで見てきた紗佑里さんにしか、語れないエピソードもご紹介します。
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【眞佑里さんとの出会い】
札幌の5つ星ホテルでの不思議なご縁
眞佑里さんと紗佑里さんが出会ったのは、札幌の5つ星ホテルでのこと。
お二人とも20代で、紗佑里さんは結婚したばかりの頃でした。
眞佑里さんは宿泊総支配人秘書として働き、
紗佑里さんは館内装飾やブライダルを担当する日比谷花壇で、共に働いていました。
当時『フォーチュンテラー山田』と呼ばれていた眞佑里さんは、数百人いる従業員の誰もが知るほど有名な存在で
「相談に乗ってほしい」と、いつも知らない人から声をかけられる毎日でした。
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その頃、手相を見て自分の感じていることを確かめていた眞佑里さん。
社員食堂に現れると、周りには自然と人が集まり、手相を見てもらおう順番を待つほどの人気ぶりでした。
<人生の山が動くタイミング>を見極める洞察力は当時から冴えわたり、1年の間にホテル内で8組のカップルを誕生させたこともあるそうです。
眞佑里さんの周囲に集まる人々を、遠巻きに見ていた紗佑里さんも「いつか私も見てもらいたいな」 と思っていました。
【運命の瞬間】
眞佑里さんとの出会いと「心の真ん中」を揺さぶる言葉
ある日、昼休みが終わる頃。
トイレに入ると、鏡の前でメイクを直している眞佑里さんを発見!
こんなに至近距離で、眞佑里さんを見るのは初めての紗佑里さんは、とても緊張したそうです。
「私もいつか機会があったら、見て欲しいのですが…」
勇気を出して伝えました。
いきなり
「手を見せてくれる?」と眞佑里さん。
「え? 今ですか?」・・・
と、びっくり・・・
お昼休みが終わるタイミングだったこともあり、眞佑里さんは紗佑里さんに矢継ぎ早に、まるでこれまでの人生を見ていたかのように次々と言葉をかけていきました。
「あなた、本当の自分は、全然違う人ね。
いつも人の顔色を気にして、
親のため、兄弟のため、友だちのためって遠慮ばかりしているけど
フリフリのレースみたいな生き方は、あなたには似合ってないわよ。
今、ココ(心)で感じていることあるでしょ?
それをしなさい!ココよ!ここ!!」
とハートの真ん中を、ドンドンドン!と叩かれたそうです。
そしてこう言われたといいます。
「この先の人生、今が分かれ道。
今、ココ(心)で感じていることをしたら
30歳の頃から、今のあなたには想像もつかないような人生が待っている。
もし今のままなら、
あなたの『お母さんと似た人生』になるわよ。」
その一言は、紗佑里さんの人生観を大きく揺さぶるものでした。
お母さんみたいな人生?
自分でも意識したことはなかったけど、
確かに言われてみると、そうなりたくない!と、心のどこかで思っていることに気が付きました。
平凡な毎日の繰り返し。
いつも人のために一生懸命働いて
自分のことは後回し。
我慢ばかりの人生・・・
母は、自分の考えを決して言わずに、遠慮ばかりしているけど、本当は深い悲しみや憤りがある。
「お母さんと似た人生」・・・
紗佑里さんは、眞佑里さんが言っていることの深い意味がわかっていました。
「心の内と、外に表しているものが違う・・・」
ずっとそのことに
紗佑里さん自身がもがき苦しんでいました。
でも、そのことに気が付きながらも
それをどうしたらいいか、わかりませんでした。
「本音を言ったら嫌われる」
「どんなに相手のことを大切に思っていても
人はいつか離れていく」
そんな恐れがありました。
自分の生き方を変え始めるきっかけが、
このトイレでの眞佑里さんとの出会いでした。
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【変化の始まり】
「心で感じたことに従って生きる」初めての選択
それまでの紗佑里さんは
「どうあることが正しいか」を大切にして生きてきました。
世間体や常識、礼節や教育で求められる価値観に沿って行動し、承認されることや、結果を出すことが必要だと考えていました。
親や先生の期待に応えることが当たり前。
勉強も仕事もいつも一生懸命。
与えられた目の前のことに、いつも手を抜かずに取り組んできました。
5つ星ホテルのお花の仕事の他に・・・
・大手総合商社勤務
・ネイルサロン
・測量設計事務所
・チーズ専門店
・Web制作会社
・ライオンズクラブ
・保育園
・大手家具量販店
などなど・・・・
何か新しいことを、知りたい、学びたい、成長したい欲が出てくると、それにチャレンジすることが楽しかったと言います。
どこの職場でも、みんなに必要とされながら、「もう学べることが無くなった」と思うと飽きて辞めてしまったそうです。
当時の紗佑里さんを一言で表すと
「勉強も運動も仕事もソツなくこなし、
ルールを無視する人には厳しい学級委員」のような・・・
とにかく「完璧」を目指して頑張る人でした。
紗佑里さん曰く、「柔らかさのない嫌な感じの人」だったと思うとのこと。
「もっと頑張らなきゃ」
「この程度で、出来るとは言わない」
まるで余白がない、いつも自分にも人にも厳しい張り詰めた毎日だったと言います。
お母さんから言われた
「人に後ろ指をさされること、恥ずかしいことはしてはいけない」
「ひと様に迷惑をかけてはいけない」
いつもこの言葉が紗佑里さんを縛っていました。
しかし、眞佑里さんの言葉に背中を押されてから、
「心で感じたことに正直に行動する」ことを選んでみることにしました。
その当時の一歩は、
「自分の人生なんだから、
自分で選んだことをする。」
「人からどう思われてもいい!」
そう思えたことが、大きなきっかけになった
といいます。
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紗佑里さんがホテルを離れ、眞佑里さんも仕事の場を東京に移してからも、二人のご縁は繋がっていました。
転職してはその仕事に学びがなくなると辞めて・・・
と、転職を繰り返す紗佑里さんに、当時の眞佑里さんが伝えたことがあります。
「あなたは何を極めても、最後は飽きる。
向き合うのは、モノ・コトじゃなくて、人よ。」
その言葉が、紗佑里さんを漠然とした夢に導いていきました。
「いつか眞佑里さんと、一緒に仕事をして、全国、世界を飛び回ってみたい。」
そんな想いが、紗佑里さんを次のステージへと押し上げていきました。
いつも眞佑里さんの人生のターニングポイントには、
紗佑里さんが関わっていた、というお話は、別記事にまとめました。
NYでの衝撃的な出来事のあと(どのような出来事があったのかは、上の記事からご覧くださいね)
セドナのスペイン料理のレストランでの眞佑里さんの「暗澹たる表情」を、生涯忘れられないと紗佑里さんは言います。
これから行く道が、どれだけの孤独と茨の道であるのか。
その道の一歩を踏み出す前夜の震えるような、泣き出すような、心細い眞佑里さんの顔だったと言います。
NYから戻り、見た夢が、決意に変えたもの。
紗佑里さんはNYから日本に戻ってすぐに、ある夢を見ました。
その夢は、混沌とした世界で(人々が食べるものがなく、飢えた状態で)人々は眞佑里さんに助けを求めて、拝むように眞佑里さんに手を合わせていました。
その中心で天に向かって、一心に祈っている眞佑里さんの姿。
天から食べ物が降ってくると、我先にと食べ物に飛びつく人たちに、眞佑里さんが踏み付けにされ、倒れてしまいます。
その姿を見て、紗佑里さんが駆け寄って助けるといった夢。
「あんなにも眞佑里さんにすがってお願いしていたのに、願いが叶えられると、感謝すらなくなるどころか、踏みつけにするなんて。」
眞佑里さんの名前を必死に呼び続け、泣きじゃくって、胸が燃えるように熱くなって目が覚めました。
リビングの窓で東の空に向かって、まだNYにいる眞佑里さんの無事を祈っていると、空が割れるように雲が動き、雲がキリストの顔、マリア様の顔など、次々と人の顔を形作って見せたあと、光が地球を包んでいくビジョンが見えたそうです。
このときから紗佑里さんは
「これまでは、眞佑里さんから学びたい、教えてほしいという気持ちだった。だけどNYでの出来事、眞佑里さんの決意の表情や、この夢を見て、「眞佑里さんを何があっても私が守る!という強い決意に変わった」
と言います。
ここから紗佑里さん自身も、自分の使命への搭乗口<ミッションズゲート>を通過し、自身の人生が変わり始めました。
PearlyRoseの立ち上げから、自分も受講して気づいたこと
眞佑里さんのすべてが落ち着いた2010年。
紗佑里さん、木村さんも一緒に導かれるように、アメリカのアリゾナ州にあるセドナへ。
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セドナから帰国してすぐの2010年12月に、ヒーリングサロン「Pearly Rose」を立ち上げました。
その立ち上げから運営に関わり、ずっと眞佑里さんの右腕として、活躍されている紗佑里さんがいます。
しかし当時の紗佑里さんは、自分の言動に自信が持てず、メールひとつ返すにも眞佑里さんに「これでいいですか?」と確認していたと言います。
2016年に講座が始まった0期は、スタッフとして関わっていました。
どんどん変わっていく受講生さんを見て
「自分がスタッフをしていいのか?」どんどん焦りが湧いてきたそうです。
古くから知っているお客様だった受講生たちが、半年であまりに変わっている姿を見て、紗佑里さんがしたことは・・・
まずは旦那さんの泰一さんにクラスを勧め、1期を受することに。
泰一さんが誰よりもグループLINEで投稿し、紗佑里さんの前では見せない心の内を語っている姿を見て、
「喋らない人だったのではなく、自分が話させてあげていなかった」
ことに気がついたそうです。
自分と対話し、感情や思考にながされず、しっかりと変わっていく受講生の姿を見て、自分も避けては通れない、そう自覚した紗佑里さんも、2期で受講を決意。
小さい頃、発症していた自家中毒や、すぐに熱が出たり、喘息になったりする身体(思考)の癖、心の奥に眠っていた正直な想いにも気がつき、自分を偽らない生き方を、一つずつ取り戻すことができました。
何が一番適切なのか、周りの目や評価を中心に置いていた紗佑里さんから、自分がどう在りたいかを自分で選ぶ生き方へとシフトしていきました。
自分自身も受講しながら、講座生のサポートから事務局の運営、その間ツアーやイベントの開催の手続きも全て一人で引き受けていた紗佑里さん。
その間、メアリー・モーニングスターさんの来日イベントや大阪サロンのオープンなど大きなイベントや出来事がたくさんありました。
メールの返信や事務手続き等で、美容室でもPCを手放せず、飛行機に乗るギリギリまでPCを動かしていた紗佑里さんは、「お客様の搭乗で最後です」と地上係員に毎回言われていたとか。
どんどん事業が大きくなっていき
あるとき「もう私には役不足です!」と眞佑里さんの前で泣いたことがあるそうです。
すると眞佑里さんは
「あ、そうなの。いつ辞めても大丈夫だから。」
とおっしゃったそうです。
「無理をしてまで続けることはない。
辞めることで、紗佑里さんが本当に幸せになるのなら、いつでも応援するよ」と。
これは眞佑里さんの変わらないスタンスなのですが、
眞佑里さんの真意は「スタッフが一番幸せになる道を選んでほしい」というもの。
ここで喜びと共に働くことができないのなら、いつでも離れて自分が幸せになる道に進めばいい。
深く関わっていればいるほど、離れた時のダメージが大きいことは誰よりも承知していても、眞佑里さんはその信頼を貫く姿に揺らぎはありません。
眞佑里さんの愛の深さが、眞佑里さんの在り方に繋がっています。
そして紗佑里さん自身も、その愛の深さに守られてきたことを、本当の意味で知ったのは、次にスタッフとして入ってきた私(裕葉)の存在が大きかったそうです。
教える立場になったことでさらに進化
新しいスタッフが入ってきて、普段の言葉や挨拶、LINEやメールでの返信の仕方、講座の前の準備やさまざまな日々の運営の中で、エネルギーをホールドするとはどういうことなのか。
その全てに、どんな想いと意図を持って選んでいるのかを、伝える側になったとき、初めて見えた景色があると言います。
・ただ仕事をこなす、時間で終わらせる、という効率や評価に重きを置いたり、相手の機嫌を見て、マスクを使ったり、自己犠牲をしてはいないか?
・自分の感情と思考を浄化しているだろうか?
・自分の内側と、言葉、行動は一緒になっているのだろうか?
・違和感のあること、納得のできないことをそのままにせず、相手が受け取りやすい言葉で、手渡すことをしているだろうか?
・「やれない」理由ではなく、「やる」ためにはどうしたらいいかを考えているだろうか?
・自分はここに、何をもたらしたいのだろうか?
・境界線を持ち、何事にも明確な理由を持っているだろうか?
etc…
眞佑里さんと働く中で、紗佑里さんの中にも根付いてきたたくさんのことを、言葉に出して伝えることで、眞佑里さんが何を意図して、そう言ってくれていたのか、ようやく深くわかるようになったと言います。
新たな人生の軸と、未来に向けたビジョン
紗佑里さんは今、コアエッセンスで主催しているすべてのことの統括として、また講座やコアエッセンスの卒業生が集まるコミュニティのリーダーや、新しくコアエッセンスを知って出会う方、一人ひとりの心に寄り添ったきめ細やかなサポートを行っています。
紗佑里さんが目指す未来とは?と聞いたところ
今は一言で
「地球の波動を上げることに貢献する!」
と言います。
それってどういうことなのか?というと、
今の地球は、人間の意識の次元も、次の地球の周波数のステージシフトにあわせて上昇していくタイミング。
今まで隠されてきた事実や科学技術、情報が開示され、経済や世の中の仕組みが大きく変わるとき。
その次元上昇に貢献する人を増やしたい。
そんな思いで、紗佑里さんはコミュニティを支えていると言います。
紗佑里さんにとっての【人生の学校】とは?
ここは思考で知識を学んだり、ただスキルを習得するのではなく、
「自分に正直に向き合うこと」
「本質を見抜く洞察力をつける」
「人との境界線を学ぶ場」
であるといいます。
自分に向き合っているつもりでも、真っ直ぐに自分が見えないことがあるのは、鏡役となる人の純度の高さによる、と言います。
この人生の学校では、純度の高い鏡役となる仲間の中で、真っ直ぐに自分の本音と向き合っていく、エネルギーの高い場をご用意しています。
そして、どんな人にとっても人間関係で大切な「境界線」の学びがここにあると言います。
自分ひとりでは成長していくことはできず、人と深くかかわる「関係性」の中で成長していきます。
どれだけ知識を増やしたり、資格を取得したり、わかったつもりになっても、「やり方」を得ただけでは「在り方」を作っていくことはできません。
人と関わる中で、相手の時間や空間、タイミングを大切にし、どこがお互いに心地よく安心して、信頼と感謝の循環を生み出せるかの共通認識が「境界線」です。
この仕事をするようになって、眞佑里さんに繰り返し教えられたことは、「境界線」だったと言います。
眞佑里さんと過ごした33年以上の時間で知り得たこと、出来ないところから自分の経験を通して身に着けたこと、たくさんの受講生、卒業生が教えてくれたことを、この学びを必要としている人たちに伝えていきたいとおっしゃいます。
紗佑里さんのエピソードが、これからの受講生にとっても大きな気づきと進歩のきっかけになりますことを願っています。