学校という場所が育む「感度/センス」
こんにちは
夢の木Lab. 若林かおりです。
「52ヘルツのクジラたち(町田そのこ)」
を読みました。
以下、引用
52ヘルツのクジラとは―他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラ。
たくさんの仲間がいるはずなのに何も届かない、何も届けられない。そのため、世界で一番孤独だと言われている。
自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会い、新たな魂の物語が生まれる―
物語自体は、ミステリーな部分もアリ、ドキドキ。
そして、人の温かさもあり、涙。
1日で読み終わってしまったくらいこの世界に引き込まれました。
物語の中には、虐待の回想シーンなんかもあって、
本当に、こんな人いるの?!
と、怒りと信じられない気持ちもありました。
でも、もらうべきものをもらい損ねた
大人になる機会を失った、
孤独ゆえ、外に攻撃せざるを得ない 弱さを持った人たちでもある。
こういう人たちもまた、激しい攻撃性、残酷性によって聞こえづらいけれど、
人には聞こえない声で助けを求めている人ではあるんだろうな、と思うのです。
虐待なんかのニュースは、本当に心が怒り、憎しみでいっぱいになってしまうけれど、
したことはだけを見るのではなく、
「どんな背景があったのか」
と、少しでも、理解の姿勢を持ちたいと心掛けています。
責めたって、なくならないのだから。
そこに至るまでの、社会的背景、その人なりの理由がそこにはあったはずだから。
したこと(行動)を許せと言っているのではありませんよ。
許せなくとも理解をしようと試みる。
というお話。
しかしながら、ありがたいな、と思うのは、
多くの人は、
人は平等であり、人を傷つける事(心も体も)はダメなこと、
そして、傷つけられることもダメである
やっていいこと、ダメなこと
私の自由と権利は守られるべきものだし、
相手の自由と権利もまた守られなければならない
そういった感覚は、持ち合わせてきました。
でも……これって、一体どこで学んできたのでしょう?
いろいろあるとは思いますが、一つ言えることは、
一人では学べない
ということ。
誰か他人と関わる中で学ぶ。
その一つが学校。
人と人の関わりの中で。
社会など歴史、他文化を知るの授業の中で。
そうそう、歴史なんかは、「なんで学ぶ必要があるの?!」ってよく言われますが、奴隷制度、戦争など、人を人として扱わない残酷であった時代を知ることで、権利や自由についての感度が育まれていると思うのです。
社会という教科は「記憶」じゃないんだな~~
大きな社会に出る前の練習…ともいえる、小さな社会、学校は、
そういう、自由の感度、他者への尊重を、教えられるのではなく、センスとして身に付ける場所。
でも、今、その学校の中でも、その感度・センスを育む場になっているのか?
だれにとっても。
振り返ってみると、それが逆方向になっていることもある。
変えたほうがいいこと、進化した方がいいことってまだまだあるな、と思います。
さて、そんな「学校」についてのおとなの探究ゼミが、明日、いよいよ終了。
互いに学び合う時間は本当に貴重でした!
そして、最終日の明日は、急きょ、講座をオープンにすることにしました!!
私たちが調べたり対話する中で、
知っておくと、これからの学校について考えるうえで役に立つこと
を皆さんにシェアします!
2日に行われたシェア会の動画をyoutubeでも公開予定!
只今編集中につき……少々お待ちくださいね^^
そして、子どもたちの夏の挑戦に、こちらがオススメ!
https://ssl.form-mailer.jp/fms/8dfc0252673153
ぜひぜひ親子で、お子さんと一緒に参加してくださいね!