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学校の宿題、いる? いらない?

こんにちは
夢の木Lab.若林かおりです。

今年は短い夏休み。

終業式の日、午後、息子(小4)のお友達が我が家に集まって、
夏休みの宿題をやっていました。

さっさと終わらせてめいっぱい遊ぶんですって^^

そんな彼らの姿に、宿題の持つ大変さというイメージをは逆に「夏休み」のワクワクを感じました。

しかしながら、宿題というのは教育を語られるうえで「本当に必要なの?」と言われるものの一つ。

今回は、その宿題についての新聞記事を読んで。

その新聞記事のタイトルは…
「学校の宿題 主体性育む在り方は」というタイトル

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宿題…私個人的には「あってよいのではないか」と思っています。
ただし…今のやり方ではないやり方に変えたのなら。

宿題が「必要」と思う理由

なぜ宿題があってよいと思うのか、というと、
宿題は、「できるようになる」までに必要なステップだから。

学びには段階があります。

1.知る
2.身に付ける(繰り返し訓練)
3.できるようになる

例えば自転車

自転車の乗り方という本を読んだとします。
この時点で、自転車の乗り方は知っているということになります。
が、
自転車が乗れるようになった、とは言えません。


乗れるようになるには、実際に自転車に乗ってみるということをしなければなりません。
きっとはじめは転ぶと思うのです。


でも、何度も繰り返すうちに「感覚」をつかみ、乗ることができるようになります。

と、いうわけで
「知る」=「できる」ではないのです。

学習も同じことが言えます。

「授業を受ける」というのは、「知る」
そこで「できる」とは違います。

稀に、そこで覚えてしまう、できてしまう人がいるらしいのですが、
多くの人は「訓練」の段階が必要でしょう。


だからこそ、「宿題」が必要だと思うのです。


知ったことを「できる」にするために。
「知った」だけで「できたつもり」になるのを防ぐために

宿題が問題となる理由は、宿題の「出し方」「やり方」


さて、新聞記事に戻ります。

この記事には2つの意見が掲載されていました。以下まとめてみました。

(1)

・教育先進国と言われるフィンランドでは、学習習慣をつけるという明確な目的の元、毎日出る
・成績や進学のために宿題をするという意識はない
・宿題以外に重視されているのは、自分自身を正当に評価する力の育成
・授業の中で「今何ができていて何が足りないのか、何を努力すべきか」を考える自己評価の時間を大事にし、学ぶ続ける姿勢を育む

(津田塾大学芸学部国際関係学科准教授 渡辺あやさん)

(2)

・学校の宿題の意味合いは通塾の有無で異なる
・日本には学力や学習習慣に対する宿題の謳歌を厳密に明らかにできるデータがない
・全ての子どもが意味ある成功体験を積み重ねることができるように学力などによって宿題の内容を変えることが理想
・しかし、その実現には、人値人値に難易度と分量を調整した宿題を出すとなると、教員への負担が大きくなる
・ICTの活用などをして「宿題の個別最適化」が可能ではないか

(教育社会学者 松岡亮二さん)


この2つの記事を読んで、
この2つの記事が示している課題や目指す未来のために、なにができるかという一つの答えは既に書いてあるように思いました。

それは、「宿題の個別最適化」を「子ども自身がやる」ということ。

これからの宿題が目指すのは……

特に渡辺さんがおっしゃる
ィンランド教育が大事にしている

将来にわたって大事な力は、自分のなりたい未来に対して、今の自分を正当に評価できる力。
これって本当に大事な力。

中学1年の娘の様子を見ていても、彼女が今必要な力はこれだな、と思うのです。
定期テストの反省をふまえて、彼女は今自分で計画を立てて実行しています。
その計画表を見ると、偏りに気づきます。

得意な教科ばっかりww

苦手なのはついつい後回しなのですね。

得意な教科を伸ばすのは大事。
好きなんだもんね。

でもね、目指すものに対して「今足りていない」ということに取り組むのもとても大事。
足りないままであれば、描いた道に進むことや、欲しい未来は手に入らないのだから。

マラソンでも、
もし、マラソンの目的がタイムアップだとしたら、気持ちよく走っていてはダメなんです。

「苦しい~」と感じるスピードで走るなど、負荷をかける必要があるのです。

これからの宿題のポイント

さて、これまでの惰性的な宿題をどう変えていくか?
というお話。

ポイントは2つ

・その子に合った内容であること
・子どもが主体的に取り組めるものであること

だとしたならば、宿題も子どもに任せちゃったらどうでしょう?

子ども自身が、自分の足りないところ、もしくはもっと伸ばしたいところを考えて、自分で決めて取り組んだらどうでしょう?

そうすると、松岡さんが課題としてあげられた「教員は忙しくてそれどころじゃない!」が解決します。

だって、教員が与える必要がないのだから。

教師が、すべてを決めてあげる必要なない。

それで子ども達大丈夫なの?!
という心配もあるでしょう。

もちろん、その力をつけるのに少し時間がいるでしょうし、
それが苦手な子には、別のサポートが必要。

でも、それは全員ではない。
ゆえに、本当にサポートが必要な子に必要なサポートができるんじゃないかな。

そして、先生のサポート不要で、ぐんぐんのびのび思う存分伸びたい子は伸びてヨシ。

私がコロナ休校で感じたことは、
子どもたちって、自分の時間を自分で考えて使う力がちゃんとあるし、そうあることでイキイキする。

遊びと学びのバランスも上手にとってる。

私たち大人が、子どもの力をもっと信頼して、「やってみよう」と任せてみる勇気が必要じゃないかな。


…でも、嬉しいことに、

塾の子たちに聞いたら、もうすでに「うちの学校の宿題は自主学習ノートだよ!」という子もいました^^
ステキ♡


「宿題なんていらない! 無駄!」
なんて議論を聞きますが、

その議論の前に、「宿題の目的」の共通認識を、先生と親と、そして子ども自身で持った方がいいかもしれませんね。

宿題がいるか、いらないか、は方法レベルの話ですから。

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