「強い思いは本当に現実となるのか?」という疑問を心意気の観点から紐解く:みずほ銀行に勤めている◯年前の私へ(大手町支店編10)
最初に入った支店で不思議に思ったことの一つが、時々偉そうな態度の人がやってきて、支店長室に入って行ったことです。
当時銀行全体で2万人以上の社員がいて、トップは頭取。けれども、支店にいる時、一番力を持っているのは支店長です。このため、感覚としては、社員50人ぐらいの中小企業に勤めている感じで、支店長の指示は絶対でした。
けれども、その支店長よりも偉そうな態度の人が時折来店していたのです。
銀行の役員が来店する時は「今日はA常務の来店があるから」という事前に連絡があります。このため、新入社員であっても、「今日は偉い人が来られているのだ」ということが分かります。
しかしながら、名前もよく知らないし、本部の役員には見えなさそうな人が急にやって来て、支店のトップである支店長も丁寧に対応していることがありました。
しばらくして、分かったのは、彼らは銀行のO B。関連会社に出向していて、入行年次で言えば支店長の先輩に当たる方々が、出向先の商品やサービスの販売で協力してもらうために、来店していたのです。
私はその席に同席した訳ではありません。このため、そのO Bの方が支店長や副支店長とどのような会話を交わしていたのかを直接は聞いていません。
けれども、来店した旨を受付の人に告げる際の横柄な態度を見て
「あぁはなりないたくないなぁ」
と感じました。
銀行は入行年次と資格がモノをいう世界。
そういう意味では、銀行のO Bで関連会社に出向している人は、資格という点では支店長と直接比較できる対象ではありません。しかしながら、やはり先輩・後輩の上下関係はあります。
また、支店長も場合によっては、近い将来、そのO Bの勤め先である関連会社で働く可能性だってありうる訳です。
このため、もしかすると、内心では「先輩だからといって偉そうに」と思っていたかもしれませんが、そういう態度は少なくとも表面的には出せなかったのではと推察しています。
いずれにせよ、なんだか訳の分からないおっちゃんが突然やってきて、偉そうな態度で振る舞うことにはすごく違和感を覚えました。
昨今はなかなか難しいようですが、私が新入社員だった頃は、銀行は一定の年齢に達して、役員になれなかった人に対して、出向先として関連会社を手配していました。つまり、銀行本体から外れ、給料も下がるけれど、働く職場を確保してくれたのです。
けれども、そこは銀行ではないものの、入行年次や資格がモノをいう世界。支店では支店長として我が世の春を謳歌した人も、関連会社ではまた先輩に気を遣わざるを得ないという訳です。
その構造が垣間見えた時、私は「関連会社なんかで絶対働きたくない」と強く思いました。
この点、関連会社で働きたくなかったら、選択肢としては
・銀行の中で出世して偉くなる
・自分で第二の職場を見つける
ことが考えられます。
先輩の中には、取引先に気に入られて、自分の担当先の社長になった人もおられます。また、最近知ったのですが、ある後輩は某大手企業上場の社長の娘婿になり、役員になっていました。
そして、私は「関連会社なんかで絶対働きたくない」と最初に思った時は、「銀行の中で出世して偉くなる」ことを目指していました。
結果的には、その当時は思っても見なかった形で銀行を辞め、転職することで「自分で第二の職場を見つける」ことになります。
「強く思ったことは必ず実現する」と言われますが、私の場合、「関連会社なんかで絶対働きたいない」と思いは現実のものとなり、「あぁはなりたくないなぁ」と感じた人にはならずに済みました。
最近はその人を突き動かす原動力である「心意気」を言語化することで、売上アップや人材育成につなげる仕事に力を入れています。
「あぁはなりなりたくないなぁ」と感じた時は、自分の感情が大きく動いた証拠。心意気は感情と紐づいているので、いま振り返ってみると、入社1年目から将来銀行を辞めるという布石はあったのだということが分かります。
「嫌だ」という感情が生まれることは自分の原動力にマイナスに作用すること。その嫌悪感が大きいという時は、自分の心意気に沿うなら、それを引き起こす事態を避ける行動につながることを意味します。
自分の心意気を言語化して自覚すると、過去の出来事がいろんな形でつながってくるのがとても面白いです。