障害物を見ていても、ぶつからない自転車
子供の頃、自転車に乗っていてとても不思議だった
目の前の電柱とか、止まってる車とか見つけると
ぶつからないようにと注意するのに、なぜだか吸い寄せられていく。
今なら分かる、そっちを向いて走っているからだ
視線の方が、進行方向になるのは当たり前。
でも子供の自分には分からなかった、すごい不思議だったし
見ない方がいいのかなぁとか真剣に思ってた(おかしいよね、見ろよ)
危険を感じた時、その対象を見るのは大切なことだ
対象物の情報を多面的に捉え、自分との関係を複合的に認識すること。
子供の私は、障害物への危険意識はあっても
大きさ、離隔距離、スピードなど状況を正確に捉える事ができなかった。
今、私が危険だと感じているウイルスに対しそれをどう捉えているか。
ウイルスは日々、分析、解析され治療薬やワクチン、対処策も更新される
民間療法やら、感染状況やら怪しいのも含め情報はいくらでも溢れている
だからといって、ぼーと、ずーと見てるのは危険だ
気づかぬ間に吸い寄せられる、いや自らどんどん近づいてしまう、
もしかしたら突っ込んでいくこともあるだろう、、
対象を認識し自分との安全な関係を確かめながら、囚われない
今、自分がどこを見ているか、それが進行方向になる。
危険を認識すると、私の世界にはその危険が存在する。
安全を認識すると、私の世界にはその安全が存在する。
意識が創造すると言われるけど、ただあるものはあるということだろう。
常に、ハンドルは自分が握っている。
だから簡単だ、目の前の危険を認めながら、私は行きたい所に行ける。