心の償還
私が発した言葉が、あなたを傷つけてしまった。私の言葉に含まれていた悪意、憎しみ、妬みの感情が刃のように心に突き刺さり、あなたの心の奥底にしこりとして残ってしまった。感情に任せてあなたを傷つけるような言葉を浴びせたあと、すぐに謝れば許してくれたかもしれない。でも傷つけても謝ればそれでいいと同じ事を繰り返していれば、心のしこりがほぐれるどころか、不信感が募るだけでしょう。謝罪によって、もう二度とあなたを傷つけたりしないと、どれだけ真剣に自分自身に誓えるのか? 自分の感情をコントロールできない未熟な自分が、できるだけあなたを傷つけないようにするために、どういう心構えを持とうと真剣に思っているのか?そこのところがあなたに伝わるよう、心の内を吐露したい。
「相手が自分にやってくれることにはあまり期待しないで、相手の期待することを可能な限りこちらからする。つまり自分が相手からもらうより、多くを相手に与えること。しかも与えたからと言って、相手に見返りを求めない。」これが自然にできるぐらい愛に満ちた人間にできるだけ近づきたいと痛切に思っています。もしこの思いをあの時少しでも自覚できていたら、あなたを傷つけることはなかったろうと今にして思います。人生全て期待通りに行くわけなんかないって、ある程度あなたはわかっているから、少しぐらいの期待外れは許してもらえただろう。でも許せないと思われるほど、傷つけていたとは恥ずかしながらその時はわからなかった。心の繋がりを持ちたい、お互いがお互いを受け入れ合えたらいいとあなたが期待していたのに、その想いに答える努力をするどころか、あなたの大事にしていたものを否定し、貶すという、愛のひとかけらもない言葉の攻撃を自分でも気づかないうちにしかけてしまった。自分の想いを優先しようと焦るあまり、あなたの幸せを踏みつけていることに気づかなかったとは、なんと鈍感で浅はかだったか。
どうしてあなたの想いを受け止めることができないほど、心が狭くなってしまっていたのか?今はわかることがどうしてあの時わからなかったのか?私のどの言葉があなたを傷つけたのか、あなたの話を、聞き手の独りよがりな解釈で理解するのではなく、あなたのフィルターを通してきちんと受け止めていたのか、あなたと同じ目線で会話ができていたのかなどをお互いに確認することで、あなたとの誤解をなくし、お互いの不安を和らげる、そういったことを実行していく余裕がどうして自分にはなかったのか?自分とは違う意見や思いでも、それには共感はできなくても、一度はあなたを受け入れるという最低限の許容からしか関係は深まらないということがどうしてわからなかったのか?
頭ではわかっていても、感情がついていかなかった。ちっぽけなプライドが邪魔をした。譲れないプライド、それを土台に人生を築いて来たと思い込んでいた。だから、その土台が揺らぐとその上の全てのものが失われるかもしれないという不安で、周りが見えなくなった。一端正しいと信じ込んだら、たとえ説得力のある理屈で周りに反対されても、意地を張り通すしか、固くなった頭には他に選択肢がなかったことはわかってほしい。ちょうど作今の、感染予防に効果があると一度信じ込まされたら、何の科学的な裏付けもないのに、本来の生き生きした自分を隠すマスクを外せない風潮に逆らえなかったように。でも今はわかる、人の数だけ「正しさ」があることが。そしてそれぞれが信じる「正しさ」を公平に尊重しないといけないことも。プライドに拘るのも意味のないことも。拘れば拘るほど、ちっぽけな人間になってしまうことも。
「自分を大事にしようとするあまり、自分の方しか見てこなかったから、逆に大事なものを見失ってしまった。」この頑固な頭がしでかし、そのせいで周りの関係に蟠りが残ってしまったのも、自分のやっていることをもっと見てほしいというわがままによるもの。あなたのご指摘のお陰で、自分への執着から離れた位置から、自分を見つめ直す機会をもてたことに感謝しています。いずれ近い将来、お迎えが来るとき、赦しを得た者だけが浮かべることのできる笑顔であの世に旅立てれば、これ以上の幸せはありません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?