見出し画像

ほうれん草の味

児童ディーサービス施設からの帰りに、近所の塀から出ていたつぼみに惹かれて、写真を撮ろうと思ってスマホを出したら、オフになっていた。電源をオンにして、起動している間に近くの駐輪場から自転車を出して、つぼみのところに移動している途中、通り越す庭を覗いたら、庭に座っていたおばあさんと目が合って、いきなり「ほうれん草、食べない?」と声をかけられた。

最初は聞き取れなくて、自転車を止めて、「何ですか」と聞いたら、「ほうれん草、要らない?」と繰り返して言ってくれた。初めて会う人から物をもらうのはどうかなと思ってためらっていたが、なぜか「もしよければ、少しいただきたいです」と言った。すると、にらをより分けていたおばあさんは立って、倉庫のようなところに入った。そこから中型の白いビニール袋を取り出して、ほうれん草が詰め込まれたバギー車に向かった。ほうれん草と水菜が大量入れられたビニール袋を門を越して私に渡すときに、「あなたの実家はどこ?」と聞いた。はっきりと聞き取れなかったのか、実家は言いづらいと感じたのか、「近くの大学で勉強しています」と答えた。「そうしたら、みんなに分けて食べるの?」と聞いたら、「そうですね。いまバイト先の仲間に渡そうかなと思っています」と答えたら、「やわらかくて美味しいから大事にしてね」と言われた。「はい、ありがとうございます。スーバーに行かなくてよかったあ」と言ったら、「ちなみにお花の写真をとってもいいですか」と聞いたら、「いいよ、大したもんじゃないけど」とおばあさんが言った。自転車を止めて、写真を撮りに行ったら、電源が切れていたのがわかった。自転車のところに戻って、リュークを前かごから出し背中に抱えて、ほうれん草と水菜の入ったビニール袋を前かごに入れて、まだ庭にいるおばあちゃんに改めて「ありがとうございました」と言ってから自転車にのって帰った。

このように、もともと撮りたい写真が撮れなかったが、代わりに自家産のほうれん草と水菜をいっぱいもらった。不思議なことだった。

家に戻って、早速お昼の支度を始めた。もらったほうれん草を使っておばあちゃんとお母さんの手料理のほうれん草スープを作った。ほうれん草の根っこについていた土の状態から見れば、土から抜き出したばかりのようだった。できあがったものはおばあさんのおっしゃった通りやわらかかった。味はおばあちゃんとお母さんが作ったのと比べられないものだったが、新鮮な食材ならではの味がしていた。

ほうれん草のやわらかい歯ごたえを感じながら、昔おばあちゃんとお母さんが作ってくれたのを思い浮かべたり、児童ディーサービス施設の繊細でやさしい子どもたちのことを思い浮かべたり、夜に塀にのぼって他人の庭にある花の写真を撮っていたことを思い浮かべたりしていた。

ほうれん草をくれたおばあさんとは初対面だったと思っていたが、これを書いてるうちに、子どもたちと外出先から施設に戻る時にあのおばあさんのうちを通り越して、庭で作業していたおばあさんと一瞬だけ目が合ったのを思い出した。そこでおかしい人ではないのをわかってもらったから親切にしてくれたかもなと思うと、心のあたりが温かくなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?