海外ノマドが考える思考を少し変えてちょっと幸せになる方法「一歩先を考えられれば世界が広がる①」
【はじめに】
海外ノマド…最近SNSで色んな方の投稿を拝見する。SNSも進化して、動画もあるし、写真もある。動画も数秒のものから1時間以上のものもある。読み物も数行のものもあれば、ブログのように長文もあり、今ではオンラインで本も読める。
私も色んなSNSを見ているし、試しているが、自分には書くことしかできないなと改めて感じている。
動画制作も、綺麗な写真撮影も、全て技術だ。AIが出て来て、AIができる仕事も多いと言われるけれど、本当にAIだけでなんでもできる時代が来るのだろうか、なんて思うことがある。AIにどこまで人の感情を表すことができるんだろう…。
便利な世界の中で…
SNSのお陰で色んな情報が簡単に手に入る時代になった。けれど、そのお陰でもしかしたら人は考えることを怠けているのではないかと感じている。私は大学で博士論文を書いたが、これは
仮説を立てて、自分で今までのの調査や科学的証拠などを調べて、そして自らも調査をして、そこでその仮説を立証する。
というようなことを学ぶ機会だった。
これは、
自分の考えを他の情報を調べながら事実かどうか、調べる
ということだと思う。
情報社会において、今は受身の情報が多い。自分で調べることも多いが、やはりネットで簡単に調べて、その一歩先まで調べていないような気がする。
一歩先、というのは、誰かが呟いたことを、そのまま信用してしまうのではなくて、それ以上考える、調べるということだ。
そうではなくて、その呟きは
誰が、どうして、呟いているのか、その情報源はどこからなのか…
ということが大事だと言うことだ。だから、誰のどんな情報もネット上で検索できてしまったりする。
更に言うならば、何か得た情報に対して、「なぜそうなんだろう?」という疑問を持つということはとても大事なことだ。
誰でも何でもインターネット上で言える、書ける、呟ける時代。表現の自由ではあるが、その自由には「正確な情報だけを流す」という規則にはなっていない時もある。嘘はいけないが、それでも、本当ではないことや片方側だけの主観的意見も多い。
だからこそ、ネットの情報をそのまま受け入れてしまう前に、一度
考えてみる
ということはとても大事なことだと思う。インターネット、SNSのお陰で世の中は便利になったが、決して生きやすい世の中ではないようにも感じる。よくオトナが「昔は良かった」なんて言うが、どの時代も新時代は便利になっていくが決してそれが必ずしも生きやすい世の中、幸せな世の中であるかは別の話なのかもしれない。
そんな時代、一歩先を行く考え方を身に着けて、今よりほんの少しだけ、幸せに、豊かに、平和に、気が楽に…過ごせる(かもしれない)方法を、書こうと思う。
①自分の幸せは自分の思考が作る
1-1「もう」なのか「まだ」なのか
私は環境がら、留学とか海外移住とか、語学学習などのトピックのSNSを見ることが多い。そんな中で偶に目にするのが年齢の話だ。
20代、30代、40代、50代…いつ何をするのか。
「もう30代だけど留学したい。」
「もう40代だけど、海外に行きたい。」
「まだ高校生だけど、海外留学がしたい…。」
いろんな呟きを見ることがある。では、海外に行くのは何歳が適齢なのだろうか?留学するのは何歳が適齢なのだろうか?語学の勉強をするには何歳から始めるべきなのだろうか?何歳だともう遅いのだろうか?
海外ということだけ、ではないのだが、何をするにも「したい」と思った時が適齢期だと思う。ただ、ワーキングホリデーだけは年齢制限があるので、こればかりは20代(国によっては30代も入るが)という制限があるものもある。
けれど、「語学を学びたい」と思ったら、年齢制限はない。語学学校も最低年齢制限があるが、上限はない。定年を過ぎてから語学留学する人もいる。
「大学で学びたい」と言う場合も、年齢制限はない。
それこそ、「海外移住」はセカンドキャリア、リタイア後の海外移住なども方もいるし、大卒でも仕事を見つけて海外移住することも可能だ。
30歳でも、20代と比べたら「もう30歳」だし、40歳にしたら「まだ30歳」なのだ。
「年齢は数字」
なんて言う人もいるが、年齢は数字だけではない。その人が生きてきた年月だ。20歳なら20年の経験があって、30歳なら30年の経験がある。40歳なら40年の経験があって、それが何かしらで役に立つことがあるだろう。
若ければ良いわけでもないし、年齢をただただ重ねていれば良いわけでもない。ただし、何歳になっても「今」が自分にとって一番若いのだ。
「まだ」なのか「もう」なのか、それこそ自分の考え方次第なのだ。
そして、それは誰かと比べることでもない。
年齢がある程度上でないとできない、と思っていることなら
「もう」で考えれば良いし、若い方が良いと思うようなことなら
「まだxx歳」と考えて、何歳からでも好きなことを始めれば良いと思う。
これこそが、まず簡単に考えるポジテイブに考える方法だ。ポジテイブでいるということは簡単そうで、難しい時もある。年齢で自分を色んな事から束縛したり、規制をかけたりしてしまうのかもしれない。
でも、その年齢という枠を超えれば、「今」できることは増えると思う。
下記はそのもう1つの例だ。英語だけれど
「そのグラスは半分しか入っていませんか、それとも半分も入っていますか?」
という考え方による。
これは
「そのグラスは半分しか入っていませんか、それとも半分も入っていますか?」Is the glass half empty or half full?)は、水が半分入ったコップを見た際に「水が半分しか入っていない」と考えるか、「水が半分も入っている」と考えるかという話。
これは、物事の二面性を見た上で、特定の状況に対して「悲観的」(半分空っぽ)に捉えるか、「楽観的」(半分いっぱい)に捉えるかということを示した慣用表現だ。
【参考資料】
同じことなのに、こうして「考え方」「見方」を変えるだけで、自分の人生が少し幸せになれると思うのだ。
幸せか幸せじゃないか…。それも自分の考え方1つで、ほんの少し、変えることができるのだ。
1-2「~のせい」なのか「~のおかげ」なのか
同じようなことだけれど、生活の中で、イライラすることはたくさんある。誰かのせいで、イライラいすることも、上手くいかないこともある。
最近では「親ガチャ」なんて言葉もあるが、生まれた家族によって人生がある程度決まってしまうこともある。
生まれた時にある程度の人生が決まってしまう。
それは事実だと思う。家族の貧困問題は日本にもあり、その貧困問題はその人の人生を大きく変えてしまう。裕福な家庭で、金銭的に問題のない家庭に生まれた方が、色々なチャンスがあるかもしれない。
英語なので、これの解説はこちらに
けれど、そこで諦めてしまうのか、諦めないのか…それは自分次第だ。裕福でない家族でも、もしかしたら「子供の好きなことを何でも自由にさせてくれる家庭」かもしれないし、金銭的に裕福でも「親が厳しくて、自由に生きられない」環境かもしれない。
もちろん、それも自分が、自分の環境をどう見るか、によって変わると思う。
例え金銭的に貧しくても、「お母さんのお陰で」できたことや学んだこともあるかもしれない。
もしくはそんな「家庭環境のせいで」できないことがたくさんあったかもしれない。
進学なども、家庭環境が関係しているだろう。留学なんかでも
「親が反対して…」という方もいるし
家庭環境的に、もしくはどこで生まれたか、(都心か田舎か)などでも将来の進学にも関係する。だから「家庭環境のせいで…」「生まれた場所のせいで…」やりかったことができない、と思うこともあるだろう。
進学や留学は金銭的に負担も大きい。今は奨学金もあるが、その返済で若者が苦労している話も聞く。
先ほどの年齢の話ではないが、もし金銭的問題で、若い時に進学や留学ができない環境のこともあるだろう。けれど、大人になって、仕事をして、お金を貯めて、そこから留学や進学をすることだって可能だ。
何かのせいで、今できなかったとしても、その悔しさがその後に良い結果として残ることもある。だから、最終的にはその若い時の環境のお陰で、その後に人生に良い方向で影響されることもある。
これは…私の例だが、私は自己紹介でも言っているように、海外ノマドライフを送っている。そう言うだけで、「運が良い環境に生まれた」と思われる。私は私が「運が良かった」と思っているし、自分の「家庭環境のお陰で」12歳から海外に単身で行くことができた。
あまり自分のプライベートを書かないようにしているが、私の家庭環境は実はそんなに良くないかもしれない…。
私の元父親は、仕事で借金を多く抱えて、私が小学校1年生の時に元親は離婚した。離婚して、元父親が家を出て行き、その後、小学校の間ずっと家には借金取りがやってくるような家庭環境だった。
元父親のせいで、お金には本当に苦労させられた。けれど、元母方の祖父母や現両親が私の養育費を見てくれたお陰で、私は無事に小学校に通うことができた。
そして、私が中学校に進学する時に、私の通っていたエスカレーター式の学校の中学、高校がフランスに分校を開校し、丁度その頃、私の面倒を見てくれていた今の父親がN.Y転勤が決まり、私は中学進学とともに「フランスの分校に行きたい」と家族に依頼すると、借金取りの来るこの東京の環境から逃してあげようと思ってもらえたことと、現父親がN.Y転勤によって,給料も上がり、私はフランス、現母親が祖父母の面倒を見る為、日本に滞在するという決断にいたった。
さて…ここまで書いても分かっていただけただろうか。私には生みの両親と、その後に別の両親がいる。小学校の頃は生みの両親が私の両親で、現両親というのは実際は私の祖父母だったが、大人になってから養子に入った。そういう意味では少し複雑な家庭環境だったかもしれない。
だから、私は家族のせいで、家に借金取理が来たり、ヤクザが来たり…色々大変な環境でもいたけれど、逆の家族のおかげで無事に小学校も卒業できたし、その後単身フランスに行くこともできた。その環境のどこが欠けても私は今の人生を送ることは出来なったと思う。
だから、元の家族のお陰で、家庭環境が複雑であったから、次の家族が私のフランス行きを賛成したくれたとも思う。
実は私の元の家族は、私がある程度大人になるまで私の家族で、父親は私からも大人になってからも色々金銭的に問題があり、私もその後も父親は借金が多く、父親の家賃を支払ったり、心臓の手術費用を出したり…。そのせいで大学進学後すぐには大学院に進学することはできなかった。
だから、その後仕事をして、お金を貯めて、それからイギリスやフランスの大学院に進学した。自分でお金を貯めて、進学し、それはそれで大変だった。ずっと貧乏学生をしていた。けれど、自分が貯めて再度留学、し、進学したので、何があっても辞められない、絶対に諦めないと決めて、無事修士課程、博士号取得した。
フランスの博士号取得も、進学した時に「50%は途中で断念する。」と言われた。私の周りでも諦めた学生はたくさんいた。それでも私が諦めないで頑張れてこれたのは、自分が一生懸命頑張って、お金を貯めて、大変な思いをして進級したので、そう簡単には諦めなかった。
苦労して得たチャンスは簡単には諦めない。そういう頑張りは、自分の家庭環境のお陰だと思う。フランスでも仕事をしながら、生活費を貯めながら、論文を書いていた。中には奨学金をもらって、ゆとりを持って留学している留学生もたくさんいた。もちろん、そういう環境も少し羨ましいと思うこともある。けれど、自分が苦労した分、それは他のところでちゃんと役に立っていると思うし、それが今の語学力向上にも影響していると思う。
何をするにも、どんな環境でも、それは誰かのせいじゃない。誰かのせいにしてしまえば、その環境から自分が逃げることになってしまう。仕方のないこともたくさんあるが、何かのせいにしないで、そんな環境のお陰で頑張れるようにすれば、それを自分で変えようと努力をすれば、時間はかかるかもしれないけれど、いつかはやりたいことができると思う。
1-3「引き寄せの法則」は実は何も引き寄せないかもしれないが…
思考に関して、もう1つ。
「引き寄せの法則」というのを聞いたことがあるあろうか…。
これは
引き寄せの法則とは、「なりたい理想の自分」や「望ましい理想の未来」を意識的に作り出す方法で、「思考が現実となる」という考え方。
やり方を簡単に言うと、望ましい結果が手に入ることを信じたり、夢や目標が叶ったことをイメージすることで、望ましい結果が現実となる。
では本当に思考が現実になるのだろうか?なににせよ、思考を変えれば今が変わる、ということの1つの例がこの「引き寄せの法則」だと思う。
ただし、
引き寄せの法則(Law of attraction)は、19世紀アメリカ合衆国で始まったポジティブな思考が良い経験を、ネガティブな思考が悪い経験を、人生にもたらすという信念。科学という視点から見れば疑似科学である。とも言われている。
詳しいやり方などはサイトにも色々書いてある。
ただ、これは言い換えるとNLPのことだと思う。
NLPとは、Neuro Linguistic Programming(神経言語プログラミング)の略称で、最新の心理学の一種だ。先ほどの考え方を変えれば人生も変わると言っているが、これはこのNLP、「引き寄せの法則」にも関係していると思う。
「プログラミングが、一定の思考パターン、行動パターンをつくり
手にする結果に影響を与えるということだ。つまり、私達の思考や行動は、現在にいたるまでの様々な体験を通して、神経、言語、非言語によってプログラミングされている。という考えだ。そして、一度、自分の生き方のパターン(プログラミング)ができあがると、条件反射のように、同じパターンを無意識にくり返す。」
だから、自分のやりたいことを唱え、それがもう叶っているように行動していくと、それが手に入る、というようなことなのだが、実際にそうなるかどうか…ということではなくて、そう思い込んで行動すれば自分の願いに近づくということだと思う。
もちろん、思っただけではダメだ。
「引き寄せの法則」なんて叶わないと言う人もいるし、「叶った」と言う人もいるだろう。ただ、自分を、周りを、環境を信じることで、自分の行動も変わり、周りもそれによって変わるというのは事実だと思う。
潜在意識も、そういう一種だと思う。「できる」と思えばできるし、「できない」と思えばできないことはたくさんある。この「引き寄せの法則」だって、スピリチュアル的な要素もあるし、先ほども述べたように科学的根拠がないとも言われているが、仕事だって仕事の面接で
「できる」と思えばその気持ちは自分の自信につながり、それが相手に伝わることもある。逆に「できない」と思ってしまえば、面接でも自身がなく、そういう雰囲気が相手に伝わることもあるだろう。
もちろん「できる」と思ってなにもしなければもちろんできるようにならないけれど、「できる」と信じて努力したり、それに基づいた行動を起こさないといけないんだと思う。
人というのは意外と簡単なもので、他者を服装や髪型である程度決めてしまうこともある。なりたい自分ややりたいことを現実化するために、それに関連するような立ち振る舞いや髪型、服装など、をすれば周りもそう自分を見てくれたり、受け入れてくれたりするんだと思う。それがこの「引き寄せの法則」であって、本当に思考が現実化する、という単純なことではないんだと思う。
ただ、自分の思考を少し変えることができれば、自分の世界も少し変えることができる。思考が現実化する…たまたまでも自分が思っていたことが現実に起これば、その時にそれを「偶然」と思うか、「引き寄せた」と思うか、それも自分次第だと思う。
それだって、自分が「引き寄せた」と思えば、それだけで少し幸せになれないだろうか。
1-4 自分の人生は考え方次第
考え方、と言うのは、人生において色々考える、ということではなく、簡単なことで良いので、考え方や、簡単な口癖などを変えるだけでも、人生が少しいい方向に向かう…かもしれないということだ。
私だって決してポジテイブ思考な人ではない。周りには
「考えすぎ」と言われるし「繊細」と言われる。それでも、人生の中で偶に「絶対これがやりたい」と思うことがある。そしてそういう時だけは、何も考えず、いや、そのことだけを考えて、それが現実化するようにそのことに集中して、それが現実になるまで、そうなるように行動するようにしていた。
そんなときが人生に何度かあって、その時だけは自分でもびっくりするくらい自分のしたいことが現実化することがある。けれどこれは自分がどうしてもしたいことが明確にあり、それを現実化するためにまっすぐに進んでいたからじゃないかと思う。
信じるか信じないかは自分次第だが、信じ切ればそれが現実になるんじゃないかと思うのだ。