海外ノマドの私が「今を生きる」意味-いつまで今の生活を続けられるか分からない社会的余命宣告される
ベトナムはカフェが多い
有名な湖、Tay Hoのカフェに行くとノマドさん多くて、今時カフェも多い
こういうおしゃれカフェに来ると
結構なお値段だけど
フォーの方が安かったり
不思議な国
ベトナムは面白い
発展中だけど
その過程がとんでもない
東京よりもおしゃれなカフェがあったり
昔ながらのカフェがあったり
道端で色んな👀のが売られ
この国の暮らしも
分からないことばかりで
来る前のイメージとはかけ離れた国だった
よく
「どうしてベトナムに?」
と聞かれるが
本当にたまたま来た国
好きか嫌いかそれすら分からない。
兎に角、ベトナムに来てからは
辛いことも多くて
死にそうになったり
兎に角忙しくて
仕事が全然終わらない
そんな日々だ
努力は必ず報われない
先日も自分のを含め面接を5つこなし
学生を見ながら
「どうしてもう少しだけ頑張らないんだろう」
と思ったりする
先生と言う仕事を通して、たくさん学ぶことができた
「努力は必ず報われる」
と思うのは子供の時に言われたことで、でも実際はそんな簡単ではなく、オトナになるとそれは絶対でないことを知る
結局は運や縁や(コネや)生まれて来た環境など、世の中は不公平だって知ってしまうのだ。
でも
本当に良いオトナに出会えば、その努力を認めてもらえて未来に繋がることがある。
私はそんなオトナでありたい。
努力をしている子にはちゃんとチャンスを与えたい
ちゃんとしたオトナでありたい
そう思うのだ
自分の身だってどうなるかわからないけど
それは周りのオトナの事情で迷惑被って誰も助けてくれない運の(縁の)ないいつもの私の宿命であって
それを学生を巻き込んではいけない
私は努力している学生には何とかしてあげたいと思うのだ。
自分が努力だけでここまで来て、たくさん挫折して、他の人たちよりも色んなことをするのにたくさん時間がかかって、それでもこうして表向き
自由で、好きなことをして生きているって思われている。
それは
「明日何があっても後悔しない」
そんな生き方をしているからなのだ
「明日死んでも後悔しないように」
これはある日左目を失明した私がその時眼科に
「いつか右目も同じことになる」
って言われて生きているからかもしれない。
やっぱり失明は怖い。
左目だって、ある日突然予想できず起こったことで、あの日からずっと悪夢を見ている。
あの頃1年くらいは立ち直れなくて、読み書きもまともにできなくなって、英語もフランス語もできたけど
「読み書きできない」
と言うと
「英語やフランス語は読み書きできない」と思われて
片目失明は障害者にも認定されなくて、仕事も辞めたけど、辞める前に整理で会社に行ったので、「会社に行ける」とみなされて保健すら出なくて、その後白杖ついて暫く生活して日々もあって
「いつか右目も見えなくなる」
って恐怖と一緒に生きている。
今はただ見ただけでは他人は気が付かないし、お陰様で普通に生活している。
私の目は「社会的失明」とも言われていて、全く見えないわけじゃない。字が歪むので見えないが、色は見えている。
でもそれ以来遠近感とかないし、球技とかもしていないし、平衡感覚ないし、階段降りるのとかは怖いのでずっと手すりを使って降りている。
色々生きて行くのは不便だけど、それでもこうして海外暮らしをしている
実は数年、毎月眼科に定期検査に行かなければならない時期もあって、大変だった。
今も本当はそうなんだろうけど、年に1回くらいなんとなく行っている
お陰様で、今も右目は生きているが、右目も同じことになったら…もう普通の生活はできないよなって思う。
だから私は今を生きる
明日何があっても後悔しないように。
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