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海外ノマド #かなえたい夢 をかなえた夢にしたその後…

海外ノマド #かなえたい夢  、をかなえた夢にした。それは日本語教師として、自分の力で、自分の社会的地位を築き、独り立ちしてきちんと稼ぎたいと思っていた。

海外ノマド生活、と言っても私は学業は仕事のせいで色々な場所を転々としてきた。こんなにフラフラ生きていれば、自由を手にする代わりに安定や社会的地位を築くことはなかなか難しい。

そんな海外ノマド生活をしているわ私が手にしたかなえた夢について書いていこうと思う


日本語講師として社会的地位を確立したかった

私の今の仕事は日本語講師だ。
今から結構前、私が日本語教師養成講座を受講した時には日本語教師の9割ほどがパートタイムの仕事で、なかなかフルタイムの安定した仕事に就くことが難しかった。その学校で最後の日に私が言った言葉は

「将来、日本語講師の社会的地位の向上を目指します。」

なんて言っていた。私は日本語教師を目指しつつ、目標は高く持っていた。しかしながら、資格は取ったものの、その後海外の大学で修士課程、博士課程へと進み、実際に日本語教師としてフルタイム、正職員として働くようになったのはそれからかなり長い時間経った後だった。

実際、日本語教師の資格を取った時にはその後、海外の大学で応用言語学、言語学習系の修士課程の勉強をすることを決めている時だった。そういうこともあり、将来的にはちゃんと社会的地位も確立し、フルタイムで仕事ができる日本語講師を目指し、将来的に日本語講師がもっと認められた職業になるように、と思っていた。

自由を得るために失うものは安定した生活や職業かもしれない

私は、小さい頃から海外を転々としている。数年に1回海外移住国を移動しているので、海外ノマド生活者、と言っている。確かに、自分の人生を少し語ると
「本物のノマドですね。」なんて言われることが多い。
ただ、私の場合はどこの国に行きたい、ということではなくて、それ以前にやりたいことがあり、そのやりたいことができる国へと移動して行った、というのが今までの経緯だ。

だが、周囲の人からは1人で自由に生きていると思われることが多い。確かに、1人で自由に生きているのかも、しれない。

ただし、自由を手にするということは、安定や社会的地位の確立からは程遠いところにいることになると思う。自由とはそんなものだ。自由で、安定した仕事をし、そして守らなければならない家族もいる、ということはなかなか難しいのではないだろうか。

また、自由に生きるということは、正社員で企業の規則に従って生きていかなければなければ、自由とは逆な生活になるようにも思う。企業で働いていても、意外と自由に生活できる人もいるかもしれない。
海外で自由に生きると、安定がないだけではなく、様々な恒例行事からも縁遠い日々を送ることになる気がする。
また、酷い時には冠婚葬祭からも遠くなってしまう。

成人式とか、お正月とかクリスマスとかそういう行事をしなかったり、1人で過ごしたり、飛行場で過ごしたり、なんてこともあるし、普通に結婚して、出産して家庭を築くという生活からも縁遠くなってしまうような気がする。自由に海外をフラフラしている(ように思われる)が、そんな風に生きていると他者を巻き込むような生活ができなくなるので、結婚や出産、そして家族を構成して、今のように自由には生きていけないと思う。

海外移住で家族を連れて行くこともできるが、そうなると背負うものも責任も重くなってしまう。私はそこまで責任が持てないので、とりあえず自分の行動にだけは自分の責任とし、誰のせいでもなく、誰にも迷惑かけなないように、ある意味1人という選択をした。それに、自分のやりたいことをするために、他の人の人生までも背負うことはできないし、そこまで責任が持てない。

そこまで世捨て人になって生きていく覚悟がある人もいると思うが、海外ノマドをする際に、やはりそんな覚悟も必要になるのではないか、と思ったりする。

海外で自由に暮らす、ということは色んな意味で社会的な安定も、家族という名の安心した組織に属するという意味での安定からも少し縁遠い生活になってしまうことも多いかもしれない。だから海外ノマド生活を送る私からすると、実はあまり他者には進めない生活かもしれない。もちろんノウハウを伝授することはできるが、色々なところで書かれている「海外移住の仕方」とは別の視点で色々なことを語ってしまう気がする。

自由な生活は実はとても忙しい

自由、と言えば自由だが、私の場合は海外移住は自由になりたいからしてきたわけではなく、逆にやりたいことをするために海外移住をしたので、実は自由なんてなかったかもしれない。

今振り返ると、大学院に通っていた頃はずっと勉強していていて、頭が休まる暇もなく、合間に生活の為に仕事をしていた。その間長期の旅行とか、遊びに行くこととかもなく、ある意味1年中忙しかった気がする。

そして、大学院が終わって、仕事を始めたら、寝る時間以外はずっと仕事をしていて、こんなにも忙しい日々を送ることになるなんて、と思ったくらいだった。自分の人生でちょっと休めたのはコロナ禍のころだったかもしれない。あの頃は確かに外出できない分、ちょっと休めた時間もあったが、丁度論文を書いていたところだったので、家で集中して論文を書くことができた。

コロナ禍、仕事が決まり、丁度まだ海外移動ができたある瞬間に私はまた国を移動した。コロナ禍のオンラインでの仕事のころは確かに時間があったようにも思うが、違う意味で精神的にも体力的にも本当に辛い数か月を過ごした。だから、忙しいというか、精神的にボロボロになり、海外移住は海外という異国の地でなにかあった時にはかなり大変な状況で暮らさなければならないこともあり、それ以来本当に海外移住なんて誰にも勧められないと思った。

コロナが落ち着き、普通に仕事が始まると、寝る時間以外はずっと仕事をしていた。どこまでを仕事と呼ぶのか本当に分からないのだが、とりあえず自分の時間なんてかなったし、自由時間なんてなかった。何かしら仕事をしていた。
とは言え、ひどい時には寝る時間がないくらい、仕事をしていた。就労時間として9時~5時、ということがあっても、日本語講師はずっと教えているわけではない。1時間の授業に対して、1時間は準備、1時間は採点や宿題など他の仕事があるので、大抵は30時間も40時間も週に教えることは少ないのだが、私は1時間30分のクラスが1日6コマあったので8時間ほどずっと教え続けていた。だから実際30~40時間ほど教室で教え続け、その後夜に準備や採点、PPT作成などをこなし、夜は夜で課外活動などもしていた。

とにかく忙しかった。だから日本に比べたら残業なども少ない、なんて言う人もいるが私にとって、人生で一番忙しいくらいの日々を送っていた。仕事なんて自分で増やそうと思えばいくらでも増やすことができる。残業代などもなかったので、自分への待遇が良くなったということはあまりなかったが、それでも仕事で移住した時に私は仕事のためにそこにいるという意識が高く、兎に角仕事ばかりしていた。

そんな気がする。日本式に言えば馬車馬のように働いていた、気がする。

叶えたかった夢は、ある程度安定し、社会的地位のある職に就くこと

海外ノマドからは一番ほど遠い、縁遠いことかもしれないが、私の最終目標は安定して、きちんとした社会的地位を持つ職に就くことだった。それが日本語講師でも叶うのか…。私の目標、夢、それは大学の語学センターもしくは日本語学科の正式な講師になることだった。
私にとっては日本語を教える場所は大学で、と言うのが希望だった。

もちろん、それが目的、目標、夢で大学院で勉強していたわけではないが、大学院で勉強が終わると、逆にもうそこしか仕事先がなくなってしまう。私は通常よりも遅く大学院に入学し、仕事をしながら、又家の事情もあって、かなり時間をかけて大学院を終えた。

どんな大変なことがあっても、諦める、辞めるという選択だけはしないように、他の人たちよりも長い時間をかけたが、中途退学とかではなく、ちゃんと修士号も博士号も取得した。けれど、学生が長く、職種としては経験が浅きなってしまうため、最初は修士号だけでも良いというようなところにも応募し、国や条件をあまり選ばず

●大学でのポスト
●日本語(外国語センター)、もしくは日本学科講師
と言う枠で仕事を探した。

そして寝る時間しかなくなるくらい3年間仕事をして、そしてまたやっと新たな道へと進むことができた。

ある意味の安定した生活というのは海外ノマドとは縁遠いかもしれない、けれど、やっと昔行っていた、かなえたい夢に一歩近づけた。

かなえた夢の先は

今私は海外の大学で日本語講師として職に就くことができた。大学講師であればある程度の社会的地位もあり、また、待遇や環境もかなり優遇されているかもしれない。大学にも色々なランクがあるが、かなり優秀な大学でのポストなので、学生も優秀だし、真面目だし、大学設備もかなり整っている。

「日本語講師の地位の向上を目標に」

と思ってから、それからかなり時間もかかってしまった。びっくりするくらい、時間を費やした。
それでも諦めず、自分の叶えたい夢に向かって歩き続けること夢を叶えた自分が思うことは

何があっても諦めないで続けていけば、いつか絶対その努力は報われ夢は叶う

ということだ。私の友人も周囲からしたらとても成功しているように見える人がいるが、彼もいつも1つの夢を持ってその夢に向かって歩き出しその夢が叶うまで、10年…15年…1つの夢が叶って又次の目標や夢を持ち、その1つ1つを10年以上思い続け、努力をし、ちゃんとそれを叶えている。

最低でも10年は努力が必要で、その努力は寝ないで頑張るくらい、願うだけではなく、ちゃんと努力をして諦めないで続けること、それが本当に大事なんだと感じた。

もちろん「日本語講師の地位の向上」なんて一般的な大きな夢や目標を1人で叶えることはできなかった。けれどこうして今年から日本語教師の資格が国家試験になったことにより、日本語教師の社会的地位向上につながると信じている。

そして、私は自分の目標として、その夢をなんとか叶えることができた、と言えるだろう。けれど今その第一歩に立っただけなので、実際はここから何ができるか、というのがもちろん今後の課題だ。

#かなえたい夢


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