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(43)対面・昭和14年②/あきれたぼういず活動記

前回のあらすじ)
第2次あきれたぼういずは、第1次あきれた時代の模倣から抜け出せるかどうか。
ミルク・ブラザースは、同じステージに立つザツオン・ブラザースとどう差別化を図るか。
それぞれの課題を模索していた。

※あきれたぼういずの基礎情報は(1)を!

【最初の上京】

あきれたぼういずは7月20日から上京。
その名を看板に据えた新興キネマ映画「あきれた百萬圓」の撮影のためだ。

都新聞・1939年8月31日

その間、舞台公演は休みだが、撮影の合間を縫って浅草電気館と新宿第一劇場へ顔を出し、映画の宣伝も兼ねて挨拶をしている。
引き抜き騒動以来、久しぶりの東京のステージではあるが、文字通り「挨拶」だけの駆け足出演だったようだ。
その挨拶、都新聞にいわく。

「よう、おでんやのおっさん、すし屋のおじさん、ミーチャンハーチャン、懐しの健ちゃん」と、のっけに叫んで、客席を指し「会いたかったでしょう、待ったでしょう、僕も会いたかった、だが今はゆっくり話も出来ないわけのある身体だ、いづれ、ほとぼりのさめた頃九月、九月にはきっと来る、待ってくれ、皆さんも、身体を大事になァ……」
と思い入れよろしく「毛生え薬を飲んで心臓に毛が生えた」と自ら語る如く、酒啞々々としたものだ

演芸一皿料理「呆れた見物腐るぼーいず・駈足式の御挨拶」/都新聞・1939年7月26日

人を喰った挨拶をまくし立てているのは、誰かと思えば新規加入の山茶花究なのだから、ますます人を喰っている。
この上京の際、久々の江戸前の寿司を喜んで食べ過ぎたのか、四人揃って腹を壊し、8月1日から出演するはずだった京都松竹座公演を5日ほど休んでいる。

【五ヶ月ぶりの対面】

ところで都新聞によれば、四人の上京を知った川田は、当然浅草花月劇場の自分のところへ会いに来るだろうと、待っていたらしいのだ。
しかしあきれたぼういずのほうは、撮影と二つの劇場のハシゴ出演で息つく間もないハードスケジュール、このときはろくに浅草の空気も吸えないまま、京都へ引き上げてしまった。

 新興のアキレタ・ボーイズの連中は先月浅草の電気館のアトラクションの間に挨拶だけで十日間やって来たが花月劇場とは目と鼻の間だから当然彼等は古巣の方の、殊に嘗ての盟主の所へは顔出しに来るものと川田は予期し、そうしたらこれを贈ろうと花輪まで用意していたが、彼等は一人も顔を見せず、川田に憤懣だけを置土産にして京都に帰って仕舞ったのであった

都新聞・1939年8月26日

そして翌8月、こんどは川田義雄とミルクブラザースが東宝映画「のんき横丁」撮影のために京都へやって来た。

都新聞・1939年9月17日

川田はさっそく、あきれたぼういずが出演中の京都松竹劇場へ出かけて行き、そこでようやく、引き抜き騒動以来の四人の対面を果たしたのだった。

 そこで川田は胸に蔵っていた限りの言いたい事を言えば、彼等もまた自分達の立場を繕った事は勿論で、相当激しい場面を展開したが、結局昔は昔今は今、お互に舞台に生きるヴォードビリアンとして、新興側アキレタも、今まで東京で演って来た旧アキレタの作品の蒸返しばかりでなく、堂々独自の舞台を作って相見えようという事を誓い合って別れたのである

都新聞・1939年8月26日

その後、都新聞紙上の座談会などでは川田と坊屋が揃って登場。
「引き抜き騒動」のことも気さくに話しており、わだかまりのなくなったことがわかる。

(※補足)
別の再会エピソードとして、益田の著書『キートンの浅草ばなし』に書かれた

 三年後ぐらいだったと思うが、京都花月劇場に出演のため上洛したヨッちゃんを、祇園に席を設けて接待し、私たちはなにもかもを水に流し旧交をあたためることができた。

という話もある。
 ミルク・ブラザースが京都花月劇場に出演し、第2次あきれたぼういずも京都で公演中だった時期として確実なものでは1941(昭和16)年4月1〜10日がある。

【新興演芸部、東京進出第一回】

7月に挨拶していた通り、あきれたぼういずは9月下旬に再び上京。
国際劇場で新興演芸部の東京初進出公演を果たした。
前回の上京では浅草の空気を吸うヒマもないほどだった四人、このときは他の出演者陣よりも一日早く上京するや、懐かしの浅草を満喫している。

久々の浅草、ハトヤの珈琲を懐かしがる四人。/都新聞・1939年9月22日

新興演芸部の専属芸人が総出演し、3時間半以上にわたったというこの旗上げ公演について瀬川昌久は「わが国の芸能史上、これだけ数多くのだし物を並べた興行はちょっとほかに例がないと思われる」と述べている。(『ジャズで踊って』)

都新聞・1939年9月22日

あきれたぼういずのショウは「百万円狂騒曲(ミリオンダラー・ラプソディ)」で、同じく瀬川の著書から引用すると

 このなかで、あきれたぼういずは四回にわたってだし物を見せる。傑作は、芝利英のマルクス、坊屋三郎の啞ハルポ、山茶花究のシコ、益田喜頓の馬に扮する「音楽の末路」というコメディであった。ほかに、「科学者の未知」と「あきれた百万円」というスケッチを演じてみせる。

瀬川昌久『ジャズで踊って』

四人がマルクスブラザーズ(と馬)に扮した「音楽の末路」の写真が、舞台評とともに都新聞に掲載されている。

都新聞・1939年9月26日

構成は沖野かもめ
課題となっていたショウ作者の不足も、沖野かもめ竹田新太郎淀橋太郎といった作家達が構成を手がけるようになっていき、徐々に解消していったようだ。


◆1939(昭和14)年まとめ

【舞台】

以上、分裂から1939年末までの両者の舞台公演をまとめてみると次のようになる。

あきれたぼういず
・活動開始:4月29日から
・京都松竹・角座/浪花座・神戸松竹を巡演
・9月に国際劇場(浅草)、10月に南座(京都)進出(いずれも新興演芸部全体で参加)

ミルクブラザース
・活動開始:5月31日から
・浅草花月劇場をホームグラウンドにして公演
・江東劇場、日劇、名古屋劇場に進出(吉本ショウ全体)
・有楽座2回、東京宝塚劇場出演(ミルク単独)

どちらもまずは、ホームグラウンドで地盤を固めていっている印象だ。

有楽座広告/都新聞・1939年12月19日

【レコード】

同様に、この期間発売したレコードは以下の通り。

あきれたぼういず
・あきれた石松
・ダイナ競走曲
・あきれた紙芝居

川田義雄
・ハナに恨みは
・浪曲ダイナ/左膳と石松
・浪曲セントルイスブルース

あきれたぼういずは、ビクターから離れ、奈良に本社のあるテイチクと契約。
9月新譜で坊屋三郎作の「あきれた石松」を発売。
テーマソングは「チョイとご無沙汰、あきれたぼういず…」となっており、レコードでも復活だ。

一方、川田はビクターに残り、先述のように早くからソロでのレコードを出している。ミルクブラザースとしてのレコードは、まだ出していない。

テイチク広告/京都日日新聞・1939年9月14日

【映画】

同期間でそれぞれが出演した映画は以下の通り。

あきれたぼういず
・あきれた百万円
・弥次喜多大陸道中

川田義雄/ミルクブラザース
・エンタツアチャコの新婚お化け屋敷
・のんき横丁
・東京ブルース
・エンタツ・アチャコ・虎造の初笑ひ国定忠治
・君を呼ぶ歌

「あきれた百萬圓」は、タイトルに「あきれた」を冠し、広告でもあきれたぼういずの出演を前面に押し出してはいるが、ストーリーを見ると主役というわけではない。
主人公の住む長屋の住民として、たびたび登場してはネタを披露するようだ。
続く「大陸道中」も同様に、クライマックスの宴会シーンでネタを披露。

川田はまず東宝「エンタツアチャコの新婚お化け屋敷」へ出演。
東宝が吉本と提携して、吉本芸人達の出演作がどしどし作られている。
そしてミルクブラザースを連れて「のんき横丁」へ出演。
さらに、「東京ブルース」で初主演を果たしている。
映画での活躍ぶりは川田の圧勝だろう。

「東京ブルース」より。右は高勢実乗/都新聞・1939年10月4日

【ラジオ】

また、川田はラジオ放送にもかなりの頻度で登場している。ラジオ欄は筆者の見落としも多そうなので、正確な登場回数は自信がないが、見つけられただけでもこれだけある。

・8月23日(海外放送)ミルク
・8月31日「文化演芸:硝子」川田、岡村
・11月5日「地球の上に朝が来る」ミルク
・12月5日「ドレミファ物語」ミルク
・12月17日「清水港」(有楽座中継)川田

「文化演芸:硝子」はガラスの歴史を物語仕立てで学ぶという内容で、原作・多胡隆、脚色と演出・伊馬鵜平、東京コドモ会や東宝映画のメンバーと共に川田と岡村が参加という珍しい顔ぶれである。
川田達は、子ども達が見学に来たガラス展で、ガラスの歴史や利用法に関する漫才をやっているようだ。

12月に中継放送された有楽座公演「清水港」は柳家金語楼主演、川田のほかに講釈師の神田ろ山、浪曲師の広沢虎造、そして「アノネのオッサン」こと高勢実乗などが出演している。

都新聞ラジオ欄・1939年12月5日

あきれたぼういずは11月25日に「富士に唄ふ」を放送。
確認できたのはこの1回のみである。

これは新興演芸部の作家、竹田新太郎の構成。
音楽は同じく新興演芸部で、あきれたのレコードにも関わっている高木益美である。
江戸を出た仲良し四人が東海道を、大阪を目指して旅する道中を描くという設定で、各地のネタが織り込まれている。
伏見から舟に乗るシーンではレコード「あきれた石松」でもお馴染みの“三十石舟”をやっているが、レコードでは坊屋がやっていた「青森の石松」役を芝利英がやっている。


【参考文献】
『キートンの浅草ばなし』益田喜頓/読売新聞社/1996
『ジャズで踊って』瀬川昌久/サイマル出版会/1983
『松竹百年史』東京松竹/1996
『近代歌舞伎年表 京都篇』国立劇場近代歌舞伎年表編纂室/1995
『近代歌舞伎年表 大阪篇』国立劇場近代歌舞伎年表編纂室/1994
「都新聞」/都新聞社
「京都日日新聞」/京都日日新聞社
「神戸新聞」/神戸新聞社


(次回12/3)活路を見出す昭和15年

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