(62)川田の渡米②/あきれたぼういず活動記
(前回のあらすじ)
1950(昭和21年)5月、川田晴久と美空ひばりの渡米公演が実現。ハワイで熱烈な歓迎を受けた。6月20日にホノルルを発ち、アメリカ本土サンフランシスコに到着した。
※あきれたぼういずの基礎情報は(1)を!
【辛いアメリカ巡業】
アメリカ本土では、サクラメント、ポートランド、スポークン、シアトル、サンノゼ、ロスアンゼルス、モントレー、サンフランシスコなど、西海岸の都市を廻っている。
大歓迎を受けたハワイとはうって変わって、興行は辛いものだったようだ。
ハワイに比べて日系人も少なく、会場は仏教会の集会所などで長時間の車移動や粗末な宿は苦痛を極めた。
『川田晴久と美空ひばりアメリカ公演』に掲載されている、当時の川田の日記を読むだけでも、その過酷さがよくわかる。
川田の娘、和恵さんも本書の中で
と語る。
川田は幼いひばりをかばいながら、自身の身体を気遣いながら旅を続けていく。
この巡業中、サクラメントでの公演を録音した音源が2012年に発見され、翌年『ひばり&川田 in アメリカ 1950』としてCD化されている。
生の公演の熱気が活き活きと伝わってくる。
これを聴くと、川田のギター伴奏で歌うひばりの歌声も素晴らしく、川田の漫談も客との距離感をうまく取りつつ爆笑を呼ぶプロの技量が感じられ素晴らしい。
客の湧きかたもものすごく、過酷な巡業の中でも素晴らしい公演で人々を魅了していたことがわかる。
養老院を慰問して涙を流して喜んでもらったこともあったそうだ。
サンフランシスコとロサンゼルスではテレビ出演も果たしており、東京新聞にも写真入りで報じられている。
辛い西海岸巡業だったが、その後ロサンゼルスでは川田の念願であったアメリカの喜劇王ボブ・ホープとの対面を果たしている。
『川田晴久と美空ひばりアメリカ公演』に掲載された数多くの写真の中でも一際嬉しそうな川田の笑顔が印象的だ。
日記にも大きく「Bob Hope!! Lucky day!!」と記されている。
美空ひばりはアメリカの天才子役マーガレット・オブライエンと会い、日本人形や振袖をプレゼント。
他にも様々な役者、監督に会ったり、撮影所やショウを見学して、ようやく「アメリカ迄来た甲斐が此で有った」といえる学びのある日々を送ることができた。
7月20日、長く目まぐるしい渡米公演の旅を終えた川田とひばり親子はアメリカを発ち、24日、羽田空港へ帰り着いた。
【帰国公演】
帰国すると早速、二人はオープンカーで銀座通りを通って浅草まで凱旋。
都内各地の松竹系劇場で帰国挨拶を行った。
そして8月1日からは国際劇場で「アメリカ珍道中」と題し、アメリカ土産の公演を行なっている。
渡米には同行できなかったダイナ・ブラザースも共演。
12日からは映画「東京キッド」の撮影も開始したが、撮影中に体調が悪化し、ロケを中断して治療。
長く過酷な渡米の疲れが出たのだろうか。
映画は9月9日から無事に公開され、川田が監督したハワイロケの映像も挿入されている。
10月9日にはラジオ寄席で「十八分のアメリカ一周」を放送。
その直後にはボブ・ホープが国連軍慰問のため来日し、10月18日にはアーニーパイル劇場(東京宝塚劇場がGHQに接収され改称)で公演。
進駐軍の将兵たちが行列を作って押しかけた。
このとき日本側からのゲストとして、灰田勝彦とともに川田が出演。
川田はボブ・ホープと「ボタンとリボン」を合唱して会場の人気をさらったと報じられている。
【参考文献】
『川田晴久と美空ひばりアメリカ公演』橋本治・岡村和恵/中央公論新社/2003
『ひばり&川田inアメリカ1950』日本コロムビア/2013(CD)
東京新聞/東京新聞社
(次回4/14)あきれたぼういずの渡米
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