
「地方創生」ってなんだっけ? #廃校再生日記
地方創生という言葉が使われるようになって久しい。2014年9月3日(第2次安倍改造内閣のとき)に発表されたらしいので、ちょうど10年以上が経っていることになる。
地域で活動する多くの人が感じていることかもしれないけれど「地方創生」という言葉にはどこか胡散臭さがついてまわる。都市から地方に対しての発言も多く、上から目線が漂っているのもあるだろう。

この1年ほどを千葉の南房総をメインで過ごしていて、より一層「地方創生とは何か」ということをぼんやりとずっと考えている。地方創生という言葉を否定するものではなく、単純にその目指す風景が個人的にわからなくなっている、ということだ。
南房総市は、高齢化率48%ほどで、日本トップレベルの少子高齢化が進んでいる。しかしこの南房総の岩井エリアはとても豊かな場所だ。おだやかで美しい岩井海岸があり、かつては「民宿のまち・岩井」として、海水浴客や、臨海学園の子どもたちなどで賑わっていた。それらの文化も徐々に衰退し、高齢化も相まって、引いてみれば地域は衰退しているよう見える。でも、ここで暮らす人々に悲壮感は特になく、各々が楽しそうに庭仕事や犬の散歩をしながら過ごしている。
ここに一枚の興味深い絵がある。古いものなので解像度がなくて申し訳ないのだがぜひ大きくしてみてほしい。これは岩井海岸から5分ほど北にいった「安房勝山」付近の1953年の姿だ。

「水族館」「観覧車」「展望台」「エレベーター」「プール」などがあり、相当な賑わいを見せる場所だったのだと思う。しかしこれらは今は一つも残っておらず、一部は廃墟のようになっている。70年も前にこれほど栄えていたということはにわかに信じられない。むしろ、これが現在の「未来の開発プラン」だと言われた方が腑に落ちる。
この絵を見たときになんだか不思議な気持ちになってしまった。例えば「これをもう一度やることは地域の再生になるのだろうか」という疑問も浮かぶ。
かたや、「田舎の若い子たちは結局スタバとか来てほしいんだよ」という話も聞く。そりゃそうだ。自分も若い頃は、近所にスタバができて喜んで車を走らせていったものだ。コンビニだってありがたいし、インフラはもちろん必要だ。
例えば、岩井はとても豊かな場所なので、外資資本のホテルでも来たら十分に流行るだろう。そしてそれを機に街が生まれ変わるかもしれない。しかしそれもそれで違うのではないだろうかと考えてしまうのだ。

で、何が言いたいのかと言えば、グローバル資本主義の末端にローカルがあるべきではない。どこまでいってもその土地(ローカル)発でなければならない。どれだけささやかでも、どれだけ不格好だとしても(それは不格好だからこそ意味があるのだ)。
つまりトップダウンの地方創生は存在しない。地方創生とは、ローカル発のとても小さなボトムアップの積み重ねでしか成り立たない。それが「お上」がいう「地方創生」という言葉の違和感の理由だろう。「上から」の地方創生は存在しないのだ。もちろん政治的なシステムとして、資金などがきちんと届くことは大切だと思っているのでどんどんやってもらいたい。しかし「大きく緻密な設計図(グランドプラン)」を描いても地方創生は実現しない。それはこの10年でよくわかったことではないか。
その地域で暮らす誰かひとりの思いや情熱を種火にし、小さな火をくべることからしか、それは生まれない。地方創生なんておごそかな名前ではなく、地域を大切に思う人が一人でも増えて、ひとつずつ行動して結果として変わっていく、その積み重ねでしかないのだ。近道も裏道もなくて地道にやるしかない。南房総の岩井でそのひとつの事例にれるよう頑張っていきます。