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「ブランドビヘイビア」- 行動する広告へ。

「ブランドビヘイビア」という言葉を掲げて仕事をすることにした。これから先、あらゆる企業や組織に対し、(基本的には)この「ブランドビヘイビア」を提案し、実現していくことを仕事にしたいと考えている。この文章はその宣言のようなものだ。

ずっと今の広告のあり方に疑問を抱いてきた。効いているかもよくわからない広告を何千万、何億とかけて作っている現場をみてきた(実際その多くはそれほどの意味を感じなかった)。6~7兆円あると言われる広告費をもっと社会に役立つことに使えないものか。広告を「コスト」ではなく「生産」として捉えられないものか。「2000万円じゃいいCMなんてつくれないよ」と言ったある大御所クリエイターのことは今も忘れていない。

この10~20年ほどの間、社会の変化の割には、広告は変化してきてなかったように思う。他の業界に「イノベーションが必要です」と声高に叫んできた割に自身の業界は変革してはこなかった。同時に一部の人たちは「次の広告の形」を提案してきたことも事実だ。

先日、曽原さんの記事に感銘を受けた。曽原さんは、博報堂、TBWA、J. Walter Thompson Japan などの名だたる企業でCDを務めてきた人だ(僕が博報堂に入社したときにはすでにスターだったのでが恐れ多く話せなかった)。

ぜひこの記事を一度読んでみてほしい。コロナパンデミックの中で起きたBlack Lives Matter (BLMデモ) から、広告のあるべき未来に言及している示唆に富んだ記事だと思う。

「行動」を伴わない口だけのブランドは批判を浴び、「行動」を伴うブランドは支持されるという構図があります。この際の批判とは、社外からの批判のみならず社内の社員からの批判もあることがポイントです。そしてここでいう「行動」とは、「アフリカン・アメリカンの雇用を増やすこと」だったり「支援金を寄付すること」だったりします。
従来では、こういった社会問題に対する態度や行動が問われるのは、政府や公共機関のみだったのですが、今回のように、より会社やブランドにも求められるようになったのは、新たな動きだと感じました。
バーガーキングのグローバルCMOであるFernando MachadoがTwitterで投稿した内容が、それに関して以下のように端的にまとめています。

「親愛なるクリエイティブコミュニティの皆さんへ。どうかこれ以上、アフリカン・アメリカンコミュニティをサポートしていることを言うだけの、話題づくりのためのアイデアを送ってこないでください。その代わりに、あなたの会社でもっとアフリカン・アメリカンの人々の雇用を進めてください。そして私たちの会社のダイバーシティプログラムを推進するために手を貸してください。広告ではなく、行動を。」

「広告ではなく、行動を。」

この言葉自体は、僕が広告界に入った10年前から言われていた。僕の上司(恩師)である佐藤夏生さんは昔から「ブランドアクト」という言葉を掲げていた。(先日公開された夏生さんの記事もとても面白いのでぜひ読んでて見て欲しい。)

兼ねてから言われ続けきた「広告よりも行動」という言葉の持つ意味合いが大きくなってきた。その要因は、「SDGsといった社会的活動への意識の高まり」と「SNSというインフラの確立」の2つにあると考えている。

SDGsの浸透に関しては、それが建前というよりも、「このままじゃ世界がヤバい」と多くの人が感覚的に気づき始めたことにある。夏になると襲ってくる豪雨、台風、歩けないほどの猛暑。コロナだって環境問題の一つだ。政府は機能しない(もしくは足りない)、であれば企業が公共性をもって取り組んでいくしかない、という内外からの動きがある。

同時にSNSというインフラが確立してきた結果、特にKOL(Key Opinion Leader)と呼ばれるような方々が、社会的責任を果たそうと行動しているし、そういった人たちにこそ多くのファンがつく構造が生まれてきている。日本の芸能界事情もSNSによって大きく変わってきているし、その人らの社会的発言は増えていくだろうと想像する。

その結果、企業や組織、ブランドにも、社会的責任が強く求められている。なぜなら、影響力ある企業には、少なからずKOL(平たく言えばインフルエンサー)としての側面があるからだ。「あなたたちは未来に対してどう考えているのですか?何をしてくれるのですか?」と。これを「世知辛い世の中になったなぁ」と思うかもしれないが、社会は前に進んでしまったし、もう後に戻ることはおそらなくない。

エマワトソンは、なぜケリングの取締役になったのか。

先日、エマワトソンがグッチなどを運営するグローバルカンパニー「ケリング」の取締役に就任したというニュースが流れてきた。僕はこれが広告界の変化を象徴する大きな出来事だったと捉えている。

エマワトソンはタレントであり、かつ、フェミニズムや環境に対して活動をするアクティビストとしての側面が強く注目されてきた人だ。30才でケリングという巨大企業の役員になるということは並大抵のことではない。

どういう経営判断が成されたのかは(当たり前だが)僕は全く知らない。ただ、この人事そのものが(いい意味で)広告的であり、これからの広告の形を提案している。

従来の広告の考えであれば、エマワトソンをブランドの広告塔として起用し、バッグを持たせてグラフィックや映像を制作したのではないか。そして3年くらいで契約を終えて、また別のタレントを起用する。それが広告だった。

エマワトソンを取締役に就任するという人事は、そんな短期的な意思決定ではないだろう。でなければ、責任を伴う「役員」ではなく、「顧問」とか「アドバイザー」とかにしておけばよかったからだ。これは、本気で企業の舵をきる行為であり、その意志表明でもある。

次の世代や未来に向けて、長期的に取り組んでいく決意。もはや、これを「広告的」だということも失礼な気がするが、こういった行動こそが、これからの我々広告に携わる人間が考えるべきことではないだろうか。

ブランドビヘイビア=行動する広告

「広告よりも行動を。」とういうよりも、「広告的行動」であり、僕はそれを「ブランドビヘイビア」と名付けることにした。ビヘイビア、ちょっと難しく馴染みない言葉だが、辞書で調べれば「ふるまい。行動。また、態度、言動。行儀。」というような言葉が並ぶ。

言葉や思想だけではなく、
突発的な一回きりの行動ではなく、
意志に基づいた行動、態度、言動の積み重ねが、
ブランドをブランドにしていく。

ビジョンだけでじゃ足りない。言葉だけじゃ足りない。単発のそれらしい活動じゃ足りない。明確で明快な意志や思想を軸にした、継続的な行動、態度、言動の一致。その積み重ねがブランドをブランドにしていく。それを体現するのがブランドビヘイビアという概念だと考えている。(「アクト」よりも態度や姿勢というニュアンスが含まれているところが適している)

どうかこれ以上、話題づくりのためのアイデアを送ってこないでください。

バーガーキングのCMOの言葉がとても鋭く切り裂いてくる。僕も含め、そういう仕事をしてしまいがちだ。広告の仕事は、もはやメッセージではなくなっていくのだろう。広告という枠組みを超えて、より意味のある行動を提案すること、意味のない行動を抑止すること、それがクリエイティブディレクターの仕事になるのだろう。

もちろん0-1の話じゃない。メッセージはなくならないし、従来の広告のあり方も残していくべきだ。「宣言」だって大切な一つの行動でもある。そのメッセージが言葉一つで、社会を変革していくことだってある。フィアレスガールという少女の銅像が、社会を変革していったように。

しかしながら今の日本においては、「実態」を変えていくこと、「ブランドビヘイビア」を作っていくことが何よりも大切なのだと強く訴えていきたいと思う。

例えば、採用のための広告をつくるよりも、働き方改善に投資をしましょう。「環境に配慮してます」という広告をつくるよりも、一つでも多く環境に投資しましょう。フェミニズムの広告を打つ前に、自社の制度を見直しましょう。それを誰かが見つけてくれ、広がって、きっと意味のある広告になっていく。それがこれからの社会構造だ。

だからと言って、「広告クリエイティブ」の能力が無駄になる、という話はまったくない。むしろ、その新しい領域にこそ、アイデア、デザイン、コピーライティング、映像や音楽、あらゆるクリエイションが求められているように思う。以前も欠いた通り、この国にはCDや未来志向のクリエイションが全くもって足りていない。

最後に、批判もあるだろうと思いつつ、あえて強く書きたいと思う。

私たちの仕事は、ただ「明日、商品を売れるようにする」ためにあるのではない。もっと未来を見越した仕事であるべきだ。これは、社会を一歩でも前に進める可能性を秘めた仕事だ。短期的な売ることだけを至上命題にするとしたら、この仕事にいったいどれだけの価値があるのだろう。もちろん、企業は商品を売らなければ生き残れない。しかし、それをゴールに設定するのはあまりに視座が低いのではないか。

この社会も、世界も、まだまだ発展途上だ。解決すべき問題は山ほどある。だからこそ、この仕事の価値がある。よりよい未来を一つでも創造すること、それが広告という仕事であると、信じてこれかれもこの仕事に打ち込んでいこうと思います。


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