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40歳、東京から降りていく。

今日、40歳になった。

当たり前かもしれないけれど、子どものころにイメージしていた40歳にはほど遠く、とても未熟で子どもじみていて、毎日なにかしら後悔をし、不安やトラブルを抱えながら今日も生きている。

1984年に北海道で生まれ千葉県で育った。2009年に博報堂に入社し、6年間つとめ独立、ベンチャー企業でマザーズの鐘を鳴らしたりもした。つまり、社会で「上を目指すこと」に憧れていた時期が僕にもあった。

2021年からはDEという会社を中心に活動している。仲間に恵まれて最高の環境で仕事をさせてもらっている。

そしてさらに、この一年で大きく生き方が変わった。

拠点を千葉の南房総に移し、渋谷区の臨海学園の再生事業(SHIP)を行なっている。お金がないので、できる限りDIYをしたりしながら、みんなで少しずつ動かしている。草を刈り、柵を立て、ヤギとともに過ごす。渋谷に帰るのは、週に1日といった感じだ。渋谷オフィスにあまりにもいないので、社員からも忘れ去られていないかと時折心配にもなる。2,3年前の自分にはきっと想像もつかなかった日々であることは間違いない。

言ってしまえば、僕は東京から降りたのだ。
多くの人がそうであるように、資本主義ヒエラルキーで上をめざす競争にも疲れ、東京での刺激ももう刺激ではなくなっていた。広告業界の賞にも参加することはない。高層マンションもいらないし、ハイブランドのスーツも着ることはない(買い物いくこともほとんどない)。それなりにおいしいものは好きだが、千葉の回転寿司のやまとは十分においしい。

この前、ある海外ドラマを見てたらこんなセリフがあった。
「あらゆる都市はZ世代のためにあるのだ」(うろ覚え)
その通りだと思う。刺激の溢れる都市の生活は、血気盛んな若者にとって必要なものだ。自分も20代を東京で過ごして得たものは多く、大きかった。

でもそれも限界がある。刺激の多い暮らしはどこかで疲れる。

都市は成長を求め、つねに資本の効率を求める。効率を求めると、大量生産になり、似たようなものが増えていく。個人の思いや個性などは蔑ろにされ、組織の成長が優先される。都市にいると多くの人の夢や希望が、社会の成長の養分になっているような感覚に陥ることがある。

ヒエラルキー(山)を登り続け、頂上を目指せば、みんな同じところにたどり着く。しかし「くだり」はそうではない。降った先はそれぞれの地平が広がっている。だから文化はローカルに宿るのだ。のぼりは一箇所に集約するが、くだりには無限の広がりがある。くだりは多様であり、固有で自由な道に分かれている。

もちろん、これらは資本主義の全てを否定することではない。今すぐ都市を離れ、田舎暮らしをすればいい、という話でもない。僕だって車を使い、コンビニでごはんを買い、Macを使って仕事をしている。

行き過ぎた「資本至上主義」は人を蔑ろにするということと、資本主義社会(メインシステム)だけではない、サブシステムが必要なのだと思う。サブシステムくらいあってもいいではないか。ローカルは、そのサブシステムとしての可能性を秘めていると考えている。

シンプルに地域(田舎)にはまだゆとりがある。都市では焚き火ができる場所を探すことも困難だ。場所や空間があり、家も安く買える。それほど稼げないかもしれないけど、生きるのには十分な仕事。一次産業による美味しく安価な食材。おもしろい人の出会いが多いことに驚いている。

東京を象徴とする資本主義で生きることももちろん楽しいし、意味はある。でも多くの人は、どこかでその流れから脱却し、降りていくことで、より豊かな人生が過ごせるのではないかという希望を抱いている。資本主義の中心地は若者に任せ、多様な外部を作っていくほうが社会のためにもなる気さえする。

正直、これらは中年のユートピア思想のようなもので、そんなものは存在しないのかもしれない。まずは自分の人生を通して、くだることを楽しんでいきたい。まだまだ模索し、悩んでもいる。かなり実験的ではあるけれど。「くだった」その先に広がる、より多様で、より固有で、より自由な風景に期待をしながら。海を眺め、焚き火をし、二匹の山羊と暮らしながら。


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