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『著作権法の”公衆”はややこしい!?』

『著作権法の”公衆”はややこしい!?』
 
著作権法において「公衆」という概念は、著作者人格権や著作権(著作財産権)の効力にかかわる非常に重要なものです。例えば、著作者人格権の1つである「公表権」は、未公表著作物を「公衆」に提供又は提示する際に問題となる権利ですし(18条1項)、同じく「氏名表示権」は、著作物の原作品の他に、その複製物の「公衆」への提供又は提示の際に問題となる権利です(19条1項)。一方、著作権(支分権)について見てみると、いくつかの支分権では「公に」利用する場合に限り権利が及ぶものと規定されていますが、この「公に」というのは、「公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として」(22条)という意味であり、ここでも「公衆」の概念が登場してきます。
ちなみに、「公に」利用する場合を射程範囲にする著作権(支分権)は、次のとおりです:
〇 上演権・演奏権(22条)
〇 上映権(22条の2)
〇 公の伝達権(23条2項)
〇 口述権(24条)
〇 展示権(25条)
もっとも、上記以外の著作権(支分権)、すなわち、公衆送信権(23条1項、2条1項7号の2)、頒布権(26条、2条1項19号)、譲渡権(26条の2・1項)、貸与権(26条の3)においても「公衆」との関係性が決定的な意味を持っています。
こうして見てくると、直接的に「公衆」と係わらない権利は、著作者人格権では「同一性保持権」(20条1項)、著作権(支分権)については「複製権」(21条、2条1項15号)と「翻案権」(27条)だけということになります。
 
それでは、「公衆」とは何でしょうか(誰でしょうか)。著作権法では、「この法律にいう『公衆』には、特定かつ多数の者を含むものとする」という規定(2条5項)があります。この規定は、例えば、CDレンタル店の経営者が「会員(特定多数の者)だけに貸し出しているので、不特定の者に向けたものではない。したがって、貸与権は侵害していない」といった抗弁を封じるためのものです。「公衆」を「特定多数の者」に限定する趣旨ではありません。
「公衆」とは、「不特定の者(不特定の1人又は多数)」又は「特定多数の者」を意味します(何人以上なら「多数」かについては、著作物の種類やその利用態様によって一概にはいえません。)。「不特定」でも「特定多数」でもない「特定少数の者」(「特定の1人」も当然にここに含まれます。)は、著作権法上の「公衆」に該当しません。利用行為の対象がたとえ「1人」であっても、「誰でも相手にする」「誰にでも提供する」といったような態様で利用行為が行われる場合には、結局「不特定の者」を相手にすることになりますので、その「1人」に対する利用行為は、「公衆」に対してなされたものと解されます。例えば、1人しか入れないような大きさの「個室」を用意して、その中で市販のビデオやDVDを「上映」するような場合、その「個室」が特定少数のために用意されたものではなく、「一定の料金を支払えば誰でも利用できる」態様で提供されていれば、その個室内での上映行為は、「公衆」に対して向けられたものであると評価され、したがって、そのような利用行為を著作権者(上映権者)に無断で行えば、上映権を侵害することになります。一方、例えば、話題の新刊本をさっそく入手した者が、友人(特定の1人)に対し「君にだけ貸してあげる」と言って、その書籍を渡す行為(貸与行為)は、たとえそこにいくらかの金銭のやり取りがあっても(例えば、借りる相手が「ただじゃ悪いから、100円で1週間借りるね」と申し出て、この申し出を受け入れた場合)、「公衆」に向けられたものとは評価できません(新刊本の著作権者に無断でこのような行為がなされても、貸与権の侵害には当たらない)。友人の誰からでも貸して欲しいとの申し出があれば貸す用意があり(例えば、まわりに「誰か読みたい人がいれば貸してあげるよ」と言っていた場合に)、実際にその中の1つの申し出に応じて書籍を渡せば(貸与すれば)、もはや「特定の1人向け」とは言えず、公衆向けとなって、その行為(貸与)は、かりにそれが無償で行われても、権利者に無断で行われたものであれば、貸与権を侵害することになります。
 
以上のように、ある著作物の利用行為の相手が「公衆」に当たるかどうかは、著作権法上、少々ややこしいところがあり、実際の裁判の場面でも、この点が大きな争点となる場合があります。
AK

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