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私の昭和歌謡100 東京キッド 1950
占領下。いきで、おしゃれで、ほがらかな映画に驚く令和の夜
私の昭和歌謡100回目となりました。
私が生まれる少し前の映画を語ります。
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日本は1945年から1952年の7年間、米国の占領下にありました。
「東京キッド」はその間につくられた映画です。そして、13歳の美空ひばりが同名曲をこの映画の中で歌います。
病気の母と子が寄り添うように暮らしている。そこへ、放蕩の末アメリカに行ってしまった父親が、成功して帰ってくる。
自分を捨てた夫を許せないまま母親は亡くなり、女の子は顔見知りのキャバレーの女性のアパートに転がり込む。
その女性を射止めようと二人の男たちが張り合っている。
一人は似顔絵描き。
一人はギターの流し。
終戦後の東京は、その日を生きるだけで精一杯の人々が、ボロアパートに肩を寄せ合って暮らしている。
こうしてあらすじを書いたとしても、ユーモアのあるセリフや表情、何人もが同居するアパートやまちの様子など、映画を見なければ伝わらないことがいっぱいあります。
終戦から5年。そういえば最新の「ゴジラ-1.0」の東京です。
ゴジラの映画を見て、人々が何を感じたか?
東京も原爆を落とされたの?と間違うほどの、東京の荒廃した様子にびっくりしたのです。それだけも、この映画の価値はあります。
東京大空襲は民間人に対して米国が行った虐殺です。
日本の若者は、ウクライナやイスラエルなどでわぁわぁ騒いでいますが、自分たちが本土を、しかも首都東京を焼け野原にされたことを知らないのです。
もしかしたら、私たち日本人ってそんなにノーテンキな人種?
バカなの?そうじゃないことを願います。
「東京キッド」は令和の今観ると、とんでもないくらい日本人を叱咤激励している映画だと感じます。コントや歌で8万4000人の死を吹き飛ばすように、「あきらめなければ成功するんだ」「いいことがあるんだぞ」「希望を持つんだ」と訴えています。
悲しみを感じている暇は全くないのです。
🎵右のポッケにゃ夢がある 左のポッケにゃチューインガム🎵
「メリー・ポピンズ」の「チム・チム・チェリー」なんかより10年以上前に、このフレーズを、明るく明るく孤児が歌うんですから、
恐れ入谷の鬼子母神でございまする。
🎵空を見たけりゃビルの屋根 もぐりたくなりゃマンホール🎵
これは、もちろん戦前の日本の風景。焼夷弾で、無惨にも焼け野原となった東京が、元通りの復興を遂げる気持ちがこもっている歌詞です。
占領が終えて、この映画が封切られたあたりから、東京の街にビル建設が始まりました。高度成長。今の日本人は忘れてしまった熱気。
懐かしいなぁ。そして・・・
1958年、昭和33年。どうだっ!
東京タワー完成。
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今の人たちは戦後の義務教育で大東亜戦争について教えられていません。私も、もちろん同じです。
私たち日本人は、世界で唯一の被爆国であり、この戦争についての正しい歴史を知らなければ、日本人として生きたことにならない、と思っています。
ただ、そのことは自分で調べて、自分で感じて、自分で考えて、日本人としてどう生きるか決めればいいことです。
占領下の日本で、こんなにも、いきで、おしゃれで、ほがらかな映画を制作した「東京キッド」に乾杯!!
ありがとう。
【参考資料】
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