私の昭和歌謡43 新聞少年 1965
食卓の父に新聞手渡していただきますと朝ごはん
かぁちゃん、早く元気になっておくれよ。
おいら、やっと新聞配達に慣れたんだ。
でも、やっぱり夜明け、眠たかなぁ。
よぉし、おれ、ひとっ走りいってくらぁ。
帰ってきたら、あったかい味噌汁つくってやるからなぁ。
この歌には、1番のあとに、このセリフがある。
このセリフからもわかるように太郎くんは母子家庭である。
最近は「一人親家庭」とか言うらしい。くだらない。母子家庭という響きに、自分もそうだったから、寂しさと強さが込み上げてくる。
この母親は病弱なので働けない。だから太郎くんが朝刊を配達して、家計を支えている。しかも、配達から帰ると味噌汁を作って、母親に食べさせているんだ。
この曲の魅力は明るいメロディーと軽快なリズムだ。タッカタッカとはぎれがよい。父親がいない、母親が病弱の暗い家という歌ではないのだ。
そう、これは題名の「新聞少年」にもあるように、将来に希望や夢を持って生きる少年の今を歌ったものなんだ。
🎵僕のアダナを知ってるかい? 朝刊太郎というんだぜ🎵
令和の子供は、こんな始まりに笑っちゃうかもしれない。
でも、当時は勤労は尊いこと、逆境に負けない精神、などは良いことだと、どんな子供も思っていた。
だから山田太郎が、最後のフレーズで
🎵きっといつかは この腕で つかんでみせるよ でかい夢🎵
と歌う時、心の中で精一杯応援していた。
山田太郎さんは75歳で健在である。芸能プロダクションと日本馬主協会連合会会長もしている。
貫禄がついてしまったが、声は若い頃のまんま”新聞少年”だ。思い出の歌謡曲番組に出る時も、ステージ衣装じゃなく、企業の役職のように背広姿で歌う。
新聞少年は、はたしてでかい夢をつかんだのか?ま、元気だということはいい人生だったんだろう。
ところが新聞の方は、もう今はほとんど若者からは忘れ去られてしまった。この紙媒体のメディアがなくなったら、「新聞少年」の歌を説明するのは難しいだろうなぁ。
でも、その頃には・・私もいない、か。
【参考資料】
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