見出し画像

私の昭和歌謡126  愛国行進曲〜昭和の懐メロ軍歌  1937

愛国や保守や祖国や故郷やそういう言葉に今は胸キュン


私が子供の頃、テレビでは、盛んに懐メロ(懐かしのメロディー)として、軍歌特集をやっていた。がんがん流れていた。

戦争は、すごく悔しいことに、負けてしまった。私が生まれたのは米国からの占領が終えて、まあ、独立ということになってからまもなくだった。

家族の男たちは、シベリア抑留から帰国した叔父や、支那から船でやっと帰国できた父など、まだまだ戦争体験者たちが、新しい日本を支えていた訳だから、テレビやラジオが、戦中の歌を流すのはもっともなことだった。

でも、音楽の流れは、英米で人気のジャズやポップス風の歌が輸入され、日本の歌謡曲もけっこうな影響を受けていた。

そんな新しい音楽の中で、軍歌。
いやでも聞こえてくる軍歌。
シャボン玉ホリーデーが好きな私の耳に軍歌。

その軍歌の題名は知らない。でも、聞いていただけなのに、突然でも、68歳の私は歌えるんだ。これは、どういうことだろう?

「愛国行進曲」は作詞と作曲を応募して、当時の権威に選んでもらったという。選者には、北原白秋や山田耕作がいた。

その選び方や伝え方はともかく、大東亜戦争中に大いに歌われた。だから、インドネシアやフィリピンやパラオなどでは、高齢者はこの歌を知っている。歌える。

それが、終戦後15年経って、懐メロ軍歌特集として登場した。
私はもちろん、戦争を知らない子供たちだから、この頃聞いたわけだ。

そして、60年間忘れていた。
でも、今聞くと、驚くことに、この歌に胸きゅんとなる。

なぜかな?

歌詞は、七五調のリズムで漢字の熟語が連なって格調高い。

Wiki「愛国行進曲」より

メロディーは、最初はぎれよく、中間部はのびやかに、最後は歌い上げるところが気持ちいい。


Wiki「愛国行進曲」より


60年の時を経て、私は変わってしまったんだろうかw
いいや、ここんところ、わけのわからないJ-POPに囲まれて、音楽への期待感も無くなってしまった私。その私の気持ちを目覚めさせてくれた。

「愛国行進曲」とはよくつけたものだ。当時、第二の国歌といわれたこの曲は、軍歌でも懐メロでもない。時代を超えた優秀作品だ。



【参考資料】






【前回の記事】



いいなと思ったら応援しよう!