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私の昭和歌謡90 雨の御堂筋 1971
昔から欧陽菲菲ベンチャーズ日本歌謡はグローバル
15歳の私が驚いたのはステージ衣装だった。
それまでの衣装は、ピアノの発表会で小学生が「かっわいー」と言ってもらえるような、裾が広がったふりふりレエスのドレスだった。
なんと!欧陽菲菲は違った。
ボディにくっついたようなぴったりサイズ。肩ひもーーーー!胸から上が露出。もちろん足が見え見え。それで踊る。
それだけで、テレビ時代の歌手はいいのだ。視聴者は、圧倒されてしまう。
この衣装、着たい着たいって思ってて、ようやく私は人生でただ一回のNHKホール演奏「ヤングミュージックフェスティバル」で実現させた。
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この時歌ったのは「ムーランルージュのロオトレック」という、マンハッタントランスファーを意識したオリジナル曲だった。
妹が作詞、私が作曲、主人が編曲した。
何を着ようか?
「フランスのキャバレエ風のオシャレな衣装。欧陽菲菲みたいな肩出し」と呟いたら、母は上がぴっちりしたキンラメ、それに合わせた髪飾り、そして動ける黒いロングスカートを用意してくれた。
当時、私は公立学校の採用試験を浪人していたから、もし合格しなかったら、衣装ママ付きのニューミュージックタレントになっていたかもしれない。
いやぁ。それはない。この一回のステージで、私が受けたプレッシャーは並大抵のものではなかった。こんなことを続ける人生は私には無理、強くそう感じた。
そう。肩ひも衣装で歌う欧陽菲菲の「雨の御堂筋」は、歌より何より衣装だったことが、私の印象。
この曲はベンチャーズが作曲している。ベンチャーズはすごい。この曲は究極、演歌だからだ。しかもご当地ソングじゃないか!
ベンチャーズさんったら。
私が覚えているのは、衣装ww
それから最初のフレーズの後はいる合いの手のようなベース。
🎵傘もささず 濡れて・・・・夜の イチョウ並木は・・・🎵
これ、実際「濡れて」で切れている。でも続けて、次のフレーズの「夜の」を歌って、切る。
だから、私は「濡れて酔うの」か「濡れてよいの」かわからないで、あいまいに口ずさんでいた。今、ようやく歌詞を読み直してわかった。
作詞は林春生。すぎやまこういちさんの妹のダンナである。確か50代で亡くなっている。もっと活躍できたのに。
この歌謡曲は、思い出の曲だけれど、それは衣装だけであって、私はほとんど思い出さない。そりゃあ、歌えるさ。昭和人は。でもつい口ずさんでしまう曲の中には、ない。
さてさて、欧陽菲菲は今も健在。74歳。私は67歳w
がんばれ老年!人生100年を生き抜こうぜ。
【参考資料】
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