私の昭和歌謡45 霧の摩周湖 1966
この歌で摩周湖という湖を初めて知った小学5年
平尾昌晃は歌が上手だ。その彼がのど自慢のように作曲した歌は、もちろん布施明にピッタリだった。
布施明ののどは、歌うためにある類稀な日本の歌謡曲の宝物だ。
この二人をレコード会社が引き合わせたのだとしても、「おもいで」のヒットは、平尾さんの”自分が歌手として活躍する夢”ではなく、”作曲家としての人生”を決めるきっかけとなったんだと思う。
なぜって、布施さんの歌唱力は、たぶん平尾さんの心を震わせたんだ。
そういう出会いってたまにあるんだろう。
なんせ、平尾さんはルックス抜群。和製プレスリーで、自分でも作詞作曲して活動していこうと思っていたはず。たまらなくかっこよかった。
でも、そんなに売れてはいなかった。なぜって昭和歌謡は、プロの作詞作曲家による演歌やG&Sに流れが持っていかれていた。
ひょんな出会いで、平尾さんは、自分のかっこよさをテレビにさらすことではなく、裏方に回った。
10歳年下の布施明は、平尾さんの目にどう映ったのか?
自分の曲なのに布施に歌わしてくれって言われた平尾は、じゃあ自分のレコードと同じに歌ってくれればいいと言ったそうだ。これが日本人的だと感じた。だって、アメリカだったらお金の話になるはず。
それで、布施がレコードを擦り切れるほど聞いて同じに歌ったので、満足した。いや。違う。コピーしたからと言って、偉大な歌手の表現が変わるわけはない。あまりの巧さに脱帽したんだと思う。
そして「霧の摩周湖」は、関係者が集まってバーベキューした日に完成した。
次は湘南っぽい曲にしたいというのを、布施のイメージは湖だ、と平尾が言い、作詞家の水島哲が「摩周湖は?」と提案して始まりのフレーズの歌詞ができた。
私は10歳。社会の授業で摩周湖など教えてもらっていない。この曲を聴いて、そのロマンチックな雰囲気に妄想が広がった。
昭和40年代は図書館で地図を調べて、北海道にあることを知った。写真だって、PCがないんだから。この曲が気に入った私は、空想の湖を絵に描いた。下手な絵だったけど、なんか、気持ちは落ち着いた(笑)
そして、どの曲だって歌ってしまう私が、この曲ばかりは歌えなかった。テレビで流れた時、聴くだけだった。
🎵霧に抱かれて 静かに眠る🎵の始まりは歌える。
🎵ちぎれた あン愛のー 思い出 えン さーええもー🎵
ここが異常に難しいのだ。
ポルタメントがカンツォーネ出身布施明ならではの技巧で、無理だと分かった。これは聴くしかないと。
それから、伸ばす時、きっと口の中の広さを変えて膨よかな声にしてる。
もう参りました。
昭和歌謡は、自分も歌って楽しむ、の範疇を超えた歌手が布施明だった。
そして、布施明は、今も進化している。たいしたものだ。若い頃の声、ヒットして10年経ってから、そして今現在。
喉も健在。技巧も発展。表現力も新しい。楽しませてくれる。
彼こそ真の歌手だと心から尊敬する。応援する。
【参考資料】
【前回の記事】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?